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一粒のラムネ

ちょっとした、なんでもない出来事が、まるで何かの啓示のように響いて心から離れないことがある。


僕はひたち海浜公園にいた。地元の写真館さんの仕事で、ある幼稚園の親子遠足の撮影に同行していた。
曇り空の6月。日差しがない分いくらか涼しいが、ムシムシとしたその空気は夏がもうすぐそこまで来ていることを伝えているようだった。
午前10時に到着し、子どもたちを追いかけながら撮り回って、予備のカメラとレンズを入れたリュックを背負う背中はじっとりと汗ばんでいる。
どこの家族も昼食をとる時間になって、昼食風景を一通り撮った僕もなんとなく空腹を覚え、木陰にあるベンチに腰掛け休憩することにした。
今朝ちょっとだけ早起きをして自分で作った、卵焼きを焼いて冷凍食品を詰め込んだだけのお弁当だが、外の空気の中食べるお弁当は何でも美味しく感じるものだ。
僕は時折撮影対象の子どもたちの動きを目で追いながら、食事を続けていた。

ふと背中の方からタッタッタッと小気味良い、乾いた足音が聞こえた。その足音は僕の背後で止まった。振り返ると、僕が写真を撮っている幼稚園の制服を着た女の子がひとり、手を後ろに組んでニコニコしたまま立っている。
顔に見覚えがある。きっと先ほど何枚か写真を撮った子だろう。

「こんにちは。どうしたの?」

僕が尋ねると、彼女は満面の笑みからまたさらに1.5倍ほど笑顔を膨らませ、後ろに隠していたあるものを僕に見せてくれた。
それは緑色の紙の箱で、よく見るとレンズとファインダーが付いている。
付いているというか、プリントされている。それはレンズ付きフィルム「写ルンです」のようなデザインで、その箱には「食べルンです」と言うロゴが書いてあった。

「良いカメラを持ってるね」

僕が体を向き直しながらそう言うと、彼女はファインダーを覗く仕草を見せ、僕に向かってシャッターを切った。
良いタイミングだなあ。これが本物のカメラなら、彼女が撮る写真はどんなものになるのだろう。
そんなことを考えながら、僕はポーズをとるわけでもなくシャッターを切る彼女を静かに見つめていた。
何枚かシャッターを切ったところで、彼女はくるっと振り返り母親の元へ駆けていった。
カメラを触りながら話している。そして間もなく、何かが分かったらしい彼女はカメラへ落としていた視線を母親に戻し、笑顔をひとつ送ってまた僕の方へ駆け寄ってきた。
少し安心した顔で、ファインダーを覗きながら今度はさっきよりも深めにシャッターボタンを押す。するとレンズ部分が連動して動き、箱の中のカラフルなラムネが顔を出した。
箱を軽く振って、手にラムネをひとつ取り出す。1センチほどの、きれいなパステルグリーンの色をしたラムネだ。

「はい!」

彼女は元気にそう言って、そのまま手を僕に差し出した。

「いいの?ありがとう」

僕はそのラムネを彼女の手から自分の手に移した。
そのまま写真を1枚撮って、口に運ぶ。
外側の硬いコーティングを噛み割ると、ラムネ特有のさわやかな甘みが口いっぱいに広がった。

「おいしいね」

僕がそう言うと彼女は達成感いっぱいの笑みを浮かべ、「バイバイ」と手を振って母親の元へ戻っていった。
大作戦を成功させた彼女は、母親に抱きついて全身で嬉しさと恥ずかしさを伝えているようだった。
母親と目が合って会釈をする。それに気づいた彼女はもう一度僕の方をちらっと見て、小さく手を振った。

名前も知らない、もしかしたらもう二度と会わないかもしれない彼女とのやりとり。
時間にしてみればたった数分の出来事。
それでも、僕たちは年齢も言葉も越えて通じ合えた気がして、なんだかとても胸があたたかくなった。


もともとは何も意味のない、生まれて死ぬだけの人生に意味を与えてくれるのは、社会でも常識でもなく、こういった小さな優しい出会いと心が通じ合う時間なんだと思う。
人生を180度変えてしまうような運命の出会いをダイヤモンドとするなら、それは誰もが小さい頃にやったであろう、公園や園庭の砂の中からキラキラした石を探し出すような、些細でありふれたものなのかもしれない。
いや、だからこそ、身近に転がっていることを忘れずに、ひとつひとつ丁寧に拾い上げ、優しい気持ちで生きていきたいのだ。

今回僕が拾った小さな「キラキラ」、彼女がくれたパステルグリーンのラムネは、今どんな宝石よりも輝いて、僕の心の中に残っている。


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