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仕事観の変遷

はじめに

自身の仕事観の変遷についてまとめます。学生、社会人、留学、ワーホリ、ブランク期間を経て、今また働いている訳ですが、それぞれのフェーズにおいて、仕事観への変化がありました。

学生時代

高校時代は部活動をやっていたため、大学受験が終わったと同時にアルバイトを始めました。中華料理屋の鍋洗いから始まり、アパレル販売員、居酒屋のホール、キッチン、派遣など、様々な仕事を経験しました。時給も当然考慮していましたが、それよりもその仕事内容が楽しいと感じそうか、新しいことが学べそうかという観点を大事にしていました。そのため同じ職場でずっと働くというよりかは、むしろ定期的に仕事を変え、新しい職場で、新しい人間関係で、新しいことを学ぶことを好んでいました。アルバイトという立場のため、大きな責任を背負うこともなく、一生懸命に働きながらも純粋に仕事を楽しめていました。

新卒社会人時代

苦悩の時代でした。大きな責任を背負い、仕事が辛すぎて怪我をしたら仕事を休めるかなと、危険な思考をしてしまっていました。一つのミスコミュニケーションで、数百万、はたまた数千万の損失を出す可能性があり、そのプレッシャーで全く余裕がありませんでした。休日も仕事の不安が付き纏い、その不安な声をかき消すため、好きでもないアルコールをしこたま飲んで、現実逃避をしようと試みていました。全く効果はありませんでしたが、、、今考えるとその苦労した分成長できて、自分に自信が持てるようになりました。この時考えたことは、正解がない問題への対応の難しさです。学生時代までは問題に対する答えが用意されていて、その答えを回答すればよかったのですが、社会人は様々な糸が複雑に絡まり合った問題に対して、自分で正解を導き出していかなければいけません。その時々の状況に合わせて、自分で正解を創っていくのです。以前は正解だったことが、次回は不正解になることもあります。例えば、最近では環境への配慮が必須になりました。サステナビリティという考えが世間に浸透し、環境への配慮があらゆることに求められるようになりました。以前は環境のことなんて考えずに、いかに安く、早く製品を作るかということだけを考えられていましたが、現代はそれにプラスして、環境への配慮もできているかということが求められます。安く早く製品を作れたとしても、それによって環境を汚染していたら、その製品や企業は支持されません。その時々の状況や時流に合わせて、自身で考え、柔軟に対応を変化させていく必要があります。

フィリピン留学時代

この時は留学生だったため、働いてはいませんでしたが、フィリピンの給与事情に衝撃を受けました。物価は全く違い純粋に比較はできないものの、一日働いて、月給が数万円程度でした。国によってこんなにも違うものかと驚きました。もう一つ驚いたことは、そのような給与事情でも、日本の生活よりも不便でも、みんな楽しそうだったことです。生活の質や給与の高さと、人の幸福感には、絶対的に相関関係はないということを学んだ気がします。

ニュージーランドワーホリ時代

ニュージーランドの職場はとっても自由でした。また仕事に生きるというよりかは、仕事は人生の一部で、人生を楽しもうという雰囲気があるように思いました。もちろん仕事は一生懸命やるのですが、仕事のためにプライベートを犠牲にせず、家庭も趣味も楽しんでいる人が多かったように思います。日本のように体調が悪くて、無理して出勤するようなこともありません。ただ自由な分、成果にはシビアです。結果を出せていれば自由だし、出せなければ去らなければなりません。

カナダワーホリ時代

カナダは日本とニュージーランドのちょうど中間的な労働意識でした。日本よりは自由ですが、ニュージーランドよりは厳しい。ちょうど良い意識でした。またとても多様な国です。アジアからも、ヨーロッパからも、アフリカからも、南米からも全ての人種が存在していて、みんな違う。そのため違って当たり前で、そのみんながうまく共存している国です。これから人口が減少していく日本が見習うべき国の一つではないでしょうか?

ブランク時代

日本に帰国して、再就職を考えるときに、IT系の企業だったり、外資系の企業だったり、色々な企業を検討しました。ですがご縁がなく、結局再就職まで半年の期間を要しました。この期間に学んだことは、仕事の必要性であったり、働けるありがたみでした。再就職活動当初は、色々な要望がありました。業種や職種、将来性、給与、労働環境など挙げればキリがありません。ですが最終的には、人の道に反しない仕事で、自分の経験が役に立てれば良いかなと思うようになりました。結局はやってみないと分からないし、未来は誰にも分からない。今、将来なくなると言われている仕事が、
将来も生き残っているかもしれないし、結局は他者の意見に左右されずに、自分の責任で判断することが必要かなと思います。ブランク期間、いわゆるニート期間は、働いている時以上に辛い思いをすることもありました。人生に価値を感じられなくなったのです。人からは楽でいいねと言われることもありましたが、実は辛いんだよと言うことを声を大にして言いたいです。自分は社会に存在しても、しなくても変わらないのではないのか?と考える日々。収入がないので、友達と会うことも、近くのカフェに行くことさえためらいました。自分はなにをやっているのだろうかと、自分の判断が間違っていたのではないかと何度も思いました。自分はもっと出来るのにと思いながらも、書類選考はことごとく落ち、たまにある面接でも結果が出ず、悔しい思いをしました。落ちるたびに自分の人生を否定されたかのような感覚に陥り、負のスパイラルに落ちて行きました。自分で何かできないかと考えたこともありましたが、全てがよく分からなくなって、頭打ちになりました。そんな中で支えとなったのは、親であり、友達でした。自分が調子良い時ではなく、辛い時にそばにいてくれる人は、一生大切にするべき存在だと思います。


再就職活動当初に思い描いた仕事ではありませんが、楽しく働けています。新しいことを学べて、社会に属し、貢献できている感覚があります。これもブランクの期間があったからこその感覚だと思います。働けているだけで嬉しいし、これからも自身のベストを尽くしていこうと思います。最後に、ブランクの辛い時期に感銘を受け、勇気をもらった言葉で締めたいと思います。「Sometimes I’m up, sometimes I’m down. It all comes out in the end.」from The Company Men.

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