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やらない勇気とやる勇気

小学生の私は運動も正直あまり得意な方ではなく(今もですが)、体も精神も弱い子供でした。


自分より人を優先し、自分の意見をあまり言えない。


喘息持ちで体力も少ない。

そんな私が中高6年間、陸上部に所属することになります。
色んな良き悪き思い出全てが今の僕を作っていることは間違いないのですが、その中で今でも頭に浮かんでくる出来事があります。
今回はそれを共有させていただきたく思います。


僕が中学一年生の時でした。
その当時は筋肉の炎症という怪我に悩まされ、痛む前に塗り薬を塗っては走り、少し痛くなっても我慢して走るという日々でした。
もちろんそんな事を続けていて怪我が順調に治るわけもなく、治りかけては再発の繰り返し。

そんなある日、大会に出場するか否かの決断をしなければならず、僕は大会に出場したいという強い気持ちとこんな怪我で走って悪化したらどうしようという葛藤のようなもので挟み撃ちになっていました。

親にも相談できなかった僕は、たまらず2つ上の、当時の3年生の先輩に相談しました。
今思うとよくそんな大人な返しができるなぁと思いますが、先輩はこう言いました。

やる勇気も大事だけどやらない勇気も大事だよ。

と。

そんな事を言う人間がいるのかと当時は驚きました。
その時僕は大会に出場したいという気持ちだけを優先して考えていたのです。
長い目で見れば、しっかりと怪我を完治させて万全な状態で競技を続ける道を選ぶべきで、もし僕がその時大会に臨んでいたら、僕の競技人生は間違いなくより短くなっていたでしょう。

それと同時に、僕はその先輩の一言が、大会に出場しないことを逃げることだと考え、自分は弱いと思っていた、負けそうな自分を肯定してくれた気がしたのです。

「怪我なんかに負けて辞めるのか」
「怪我くらいはねのけてやってやれよ」
と自分に無理強いしていたのです。
そんな自分を全て包み込んで、許してくれた気がしたんです。


まあ昔の時代はそんなことざらにあったでしょうし、我慢が美徳みたいな考えの方は何をくよくよと思うかもしれません。
確かに我慢は大事です。
でも目標やちゃんとした理由、もしくは一方を押さえつけるだけの我慢なんてゴミです。
それを思うのは自由ですが、人に押し付けるのはお門違いです。

大人でも似たような決断を迫られることが多々あると思います。
大人だって子供だって規模が違うだけで決断の連続です。

今すぐ衝動に駆られて行動を起こすのが悪いわけじゃない。
何か行動を起こす勇気はとても大事。
でも、一旦、冷静に、お茶でも飲んで、もしくは寝て、広い視野で見る事も同じくらい大事だと思うんです。
誰かに意見を求めたっていい、だけど、人のせいにはしたくない。

人は、もしくは多くの人は、集中したり何かに夢中になったり、追い詰められたりすると周りが見えなくなるものです。

今だって自粛のムードの中どのように過ごすか考える日々だと思います。
遊びたいのもわかる。
外でやりたいことがあるのもわかる。

でも、もしそれがきっかけで、何か起きたら?

目先の楽しみに身を任せてあなたの身に、あなたの大事な人の身に何かあったら?何もできなくなってしまいます。
やるなら自分で勝手にやればいい。

働いてくださる方々、ご苦労様です。
体には気をつけて。

自粛できる方々。
働いてくださる方々のリスクをこれ以上上げないために、自粛してください。

何か起きてからじゃ遅いんです。
少しやり過ぎなくらい心配して、何もなかったらよかったねでいいと思うんです。

それに、家の中だからといって何もできないわけじゃない。

自分のやりたいことに繋がる何かができるはずなんです。
準備期間だと思えばいい。

政府が悪いとか、〇〇が悪いとか言って全て改善されるなら、みんなとっくにやってます。
ネガティブな事で頭が一杯だと、ネガティブな事が起きるものです。

ハッピーにいきましょう

実際僕らは便利な時代に生きているので、顔を見て会話することができます。
手を繋いだり、抱きしめあったりはできないかもしれないけど、今は生きているだけでいいじゃないですか。

気持ちだけは負けちゃダメ。
今は耐え忍んで、いつか大きな花を咲かせましょう。
笑ってみんなとまた会えるように。

やらない勇気も大事だよ。

僕が先輩にもらったメッセージです

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