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My statement/心の訴え

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「普通は人それぞれ」→わかってるんです。

お前に何がわかる。お前らの普通と一緒にすんな。←1年ほど前の僕です。 8ヶ月の海外留学を経て、良くも悪くも全てが変わりました。 良い事だらけだったし、感謝をしてもしきれないことがたくさん起きた。 でもその時は、悪いことばかりが目の前をチラついていて、特に社会と普通という言葉とそれを使う人が嫌いでしょうがなかった。理由もなくイライラしてた。 だけど今は、僕という人間と「会おう」って言ってくれる人がいるだけで嬉しいし、生きてるだけでハッピーって甘ったるい考えの人間になってしま

お金を払うという事

今はなんでも無料の時代です。 というか無料が正義みたいになっている節があります。 それが本当に解せない。 解せない。 何かを始めるために無料で始めて、そこから移行するのはよくある話です。 僕も現在やってますし。そのくらいしないとダメな時代になってしまったのかな。 実際本当に好意だけで無料で何かを発信している方も多くいますしごちゃまぜな時代なのですが。 だけど、発信者側の意思とは裏腹に無料を使われている事が気に食わないんです。違法にね。 なんか法について触れると海外と

詩を書いていた頃の話。

◇◇◇◇ 僕の好きな女性のタイプは 冬の初めの深夜二時頃、街灯の少ない街みたいな人 そこには居心地の良い静けさがあって、誰も近くを通らない あるのは自分自身と街だけ 喋らなくても、少し冷たい優しい風が心地よく包み込んでくれて、それにわずかな喜びを覚える 暗闇続きで気が落ちているときは、街灯のぼんやりとした白い光が照らしてくれて、道を示してくれる 何より、自分がこの街と一体なんだと感じる ずっと住んでいたくなる そんな人 ◇◇◇◇ 一年前に、写真と詩を合わせ

良い写真とか悪い写真とか

今はどんなカメラでも誰でも手が届く時代です。 高いカメラを買えばいい写真が撮れるなんてあたり前で、技術が無くてもシャッターを押すだけである程度いいものが撮れます。 ただそれが「自分にとっての楽しい写真」かは別の話だと思います。 もしくは「自分が好きな写真」か。 僕は「初対面が一眼レフで撮る写真」と「彼氏彼女や親友、もしくは家族やパートナーがiPhoneで撮影した写真」なら僕個人としては後者の方が絶対良いと思うし、それを常に越えるのが僕の課題でもあります。 結局何が言いた

自分の色と他人の色

僕は意識していないと目つきが悪いです。 これ本当に。まぁ、驚くことでも何でもないですよね。 ここ数年はそんなに言われなくなったんですけど結構悪かったんです。 僕のことを知っている人の最低でも5割以上は「怖い」とか初対面で思ってた事でしょう。 それを抑える方法はもう僕の中であるのでご安心を。 今よく考えると鋭い目つきは自分を守る手段だったような気がするんですが、その時の気持ちが思い出せないので詳細はわかりません。 少なくとも気持ちのいい事では無かったと思うな。 僕は自分

無意識の好き

今日も変わらず暑いですね。 汗臭くなるのやだな、 今は撮影がひと段落して、写真の書き出し待ちの時間です。 6月は短期間に色々な人と出会って色々な写真を撮るのですが、やってみて初めてわかることが多すぎますね。 自分が何が得意で、何が苦手か。 そして何よりも明白になったのは、自分の良いと思ったその人の写真が必ずしもその人にとってのお気に入りではないという事。 もちろん「良い写真なんて人それぞれ」というのは分かっているのですが、実際その状況を目の当たりにすると少し考えさせ

Never get old.

いかがお過ごしでしょうか。 僕は朝の撮影を終え一度帰宅してからそそくさと昼ごはんを終えて、3時間の空き時間でこのnoteを書いています。 休憩後は夜の撮影に向かいます。ありがたいですね。 ただ電車移動だし荷物の量的になかなか辛いですね〜暑いし。 軽くするには荷物を減らすのではなく僕が強くなれば良いのだと思い、肩周りの筋トレを一時期していましたが続きませんでした。 筋トレは誰かにやれと言われなければできないんですよ。 言われればめちゃくちゃ燃えるのですが。 陸上部時代はそ

やるしかないしやりたいからやる

一応自粛期間も終わり、なんとなーく日常が戻り始めていますね。 それと同時に、色々な事が変わり始めています。 電車に乗っても人は変わらずいるけど、どこに行っても人は少なめ。 僕も例に漏れず色々変化が起き始めてます。 というか起こしてます。 15人無料撮影をやっていたり、それ以外にもちょこちょこ撮影をさせていただいたりと今まで心の奥底に溜まっていたものが溢れかえってます。 そりゃあ疲れるけど、楽しすぎる。 赤ちゃんを撮影したり、男性だったり女性だったりそれぞれの楽しさがあ

嫌いな人は100%害ではない? / Is a person you hate 100% harmful?

今まで嫌な人がいても「放っておこう」とか「無視しよう」、「許そう」とか言っている僕ですが、生まれてからずっとそのように考えいたわけではもちろんなく、嫌いな人はめちゃくちゃいました。 でも今嫌いな人のことを考えろと言われても特に浮かばないんですよね。 その時はマジで嫌いだったけど今ではなんとなく感謝すら覚えているし、仲良くなっている場合もあります。多分心のどこかで許したんでしょうね。 僕の中で嫌いな人の対処法は2つあると思っていて、 ・放っておく ・自分から歩み寄る です。

似た者同士ってどうなのよ?

結論:2倍楽しいけど嫌な時は1.5倍嫌になる 先に結論から言いましたが、言葉の通りです。 僕の中で似た者同士であることを喜ぶのは女性が多い気がします。 多分、多分ですけど男性は変なプライドがあるから「みんなと一緒」よりも「自分だけ」に対しての意識が強いゆえにかな。 学生の時は何かと「ウチら、マジ似たもん同士だよね☆」とか何かとお揃いの物を身に付けるのは女子だった気がします。悪気はないですからね。 今考えると学校という広い様で狭いコミュニティの中にいたら同じ様な人間も生

大人は笑わない/Big boys and girls don't laugh.

ダイヤモンドは砕けない 岸辺露伴は動かない 「今度ご飯行こう」は信用できない 「一緒に走ろうね」も信用できない 「ここから開けてください」も信用できない あくまでジョークですよ。70%マジです。 という事で、今回は大人になると笑う回数が圧倒的に減るらしいという話です。 最近自粛生活で気づいた点が、「よく笑うようになったな」という事です。 いや一人暮らしなんですけども、前よりなんでも笑うようになった気がします。笑いのハードルが下がったというのかな。全然声だして笑います。

少数派と特別 / Minority and SPECial

僕のnote記事の多くは社会にイラついている人や自分との向き合い方がわからない人向けだと思っているのですが、過去の僕を含むそんなみなさんは常に少数派(マイノリティ)だったりするのかな、とよく考えます。 みなさんは、少数派になりたい側ですか? それとも気づいたらなっている側ですか? どっちが幸か不幸とかいう話ではなくて、何においても少数派っていうのが生まれると思うんです。政治のような国規模のものから小学校の教室のような小さなに場所だって常に存在する。 学校なんて毎日戦争みた

A definition of happiness/幸せの定義

めちゃくちゃシンプルです。 僕は、人の幸せを願うことができている間は自分は幸せだと思います。 「何が幸せ」という確定事項は僕の中ではありません。 そりゃぁ好きなことしている時とか何かを食べている時は幸せだけど、どの行動が幸せだということでは無くどんな状態が幸せかということの方が僕にとっては重要です。 自分を避けたいが故にわざと他に時間を当てているのなら話は変わりますが、ある程度自分と折り合いがついている前提で相手のことを気にかける余裕があるなら十分僕は幸せだと思います。

興味なんてない

「結局は他人」という記事で僕が冷徹マシーンということがひしひしと伝わってしまったかと思いますが、それと同じくらい「愛」が重要だと思っています。具体的には「無償の愛」みたいな。 必要以上の期待は自分を殺しかねません。 いつかこれについても書きましょう。 もしかしたら愛は大きくて言い過ぎかな、「人を思いやる気持ち」と言っておきましょうか。 これって本当に説明が難しくて、確かに「よそはよそ、うちはうち」という信条は僕の中にあるものの10で向かってきたら10で返す努力をするとい