うつわ作家 加藤裕の生い立ち②
1)専門学校時代
陶芸の学校で有名な多治見市陶磁器意匠研究所に入学し
そこではろくろを挽く以外にも
陶芸の技術や作品に対する自己表現を身につけました。
ここでは自分の好きな事を自由に取り組む事ができ
空いた時間があれば釉薬の調合をし、
テストピースをひたすら作って実験と研究を重ねていました。
2)社会人時代
卒業後は幸兵衛窯に約7年修行しました。
幸兵衛窯は開業200年以上で
人間国宝加藤卓男先生がいた歴史ある窯元です。
陶芸家を目指す先輩や熟練の職人さんたちと一緒に
ろくろや絵付けなどをして商品を制作していました。
また、この頃から作家として活動を始めました。
公募展に出品する作品を
会社のレンタル窯を借りて仕事終わりや休日に制作をしていました。
憧れの陶芸を仕事にする日々を送っていましたが
業績の悪化で収入的に生活が厳しくなり転職をしました。
陶芸の道は諦めて、食品工場に転職しますが
人間関係や職場環境が合わず1年半で退社。
3)陶芸をやりた気持ちと将来への不安
自分は何をしたいのか分からず1度社会から離れたいと思い
多治見工業高等学校陶磁科学専攻科に入学
今まで学んだことを少しでも活かせるセラミックの仕事に就くために
セラミックコースを選択しました。
1年生の時に非常勤講師の陶芸家の先生と出会って
『こんなにも技術があるのに陶芸をやらないのはもったいない』と言われ
セラミックから陶芸のコースに変更をしてもらい
もう一度陶芸の勉強をやり直しました。
そこで改めて陶芸が好きなんだと感じました。
このまま陶芸をずっと続けたいと思いましたが
それだけでの生活は厳しいので
卒業後は会社員として働きながら
作家活動をすることにしました。
仕事終わりや休みの日だけでしたが
少しでも自分の好きなことができる時間は心が満たされる時間でした。
数年はレンタル窯を利用していましたが
前々からお願いしていた窯屋さんから『中古の窯が入った』と連絡があり
すぐに見に行くとほぼ新品できれいだったので購入を決めました。
そこから窯を自宅に設置してもらって本格的に活動をしていきました。
一方、会社員としての仕事は役職もあがって忙しくなる日々でした。
休日出勤も増えて家に帰っても仕事に追われ
制作する時間がなくなっていきました。
それと同時にだんだんと心が病んでいきました。
ここで以前から『社会に対する疑問』を抱き始める。
"学校に行って勉強をする"
"会社に就職して働く"
社会の当たり前に違和感を感じていました。
このままだとまた陶芸ができなくなる
自分の好きなことができない人生
なんのために生きているのか分からなくなり
もう消えてしまいたいとまで思いました。
今までは陶芸で生活はできないと思っていましたが
それもまた常識に囚われていることだと思い
うつわ作家で生きていくと決意しました。
このまま続けるためにはどうしたらいいのかと
自分に問いかけながら、いろんな道を探し始めました。
続く
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