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映画『C'MON C'MON(カモンカモン)』

2021年の作品。主人公はホアキン・フェニックス演じるラジオジャーナリスト、ジョニー。
彼は妹から頼まれ、9歳の甥っ子ジェシーの面倒を数日間見ることになる。舞台はLAからNY、そしてニューオリンズと移り変わるロードムービー。

なんとなく見ていたけれども、自分とこどもの人生両方に携わっている僕にとって共感できる作品だった。

ストーリーの展開に起伏こそないが、子育てのリアルさが十ニ分に表現されていた。子供はかわいいし、尊い。しかし子育てはハッピーな気持ちだけでなく、好むと好まざるとにかかわらず疲労や戸惑い、理不尽さ、我慢などの試練も同時に経験させられる。

3歳の子どもと本気で喧嘩して後で謝ったり、寝顔に謝ったりすることもある。
何もできない0歳の子どもに対して嫌気がさす瞬間もある。
子どもからの核心をついた質問に、何て答えていいかわからず大人の狡猾さでごまかしたりする。
子どもは物事を分かっていないようで、分かっている。あまり子どもに知られたくない状況も、子どもはしっかりと観察して理解している。そう何度も思わされた。

直接的ではないが、そんなリアルさがこの作品に描かれており、観賞後にふと浮かんだ感想は『完璧じゃなくてもいいんだ』であった。

ビジネスパーソン、父、夫、自分には色んな役割があり、そのすべてで100点を目指していたのかもしれない。
子どもが生まれる前ならそれもできたが、今は違う。

子供が大きくなったら忘れるかもしれないこの2、3年を大事に過ごしたい。そう考えると常に右肩上がりの成長を続けないと気持ち悪いと感じてしまうマインドも少し修正が必要かもしれない。

また、母親の描写が非常にリアルだった。
男女で分けて話をするのはあまり好きではないが、マイケル・ミルズ監督が男性でありながら、ここまで母親をリアルに表現できることに驚かされた。

作品の中で色々な本が引用されていたが、母親に関する引用は、普段母親である妻を横で見ている僕にとっては共感しかなかった。

以下、引用
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『母親たち』ジャクリーン・ローズ
“Mothers: An Essay on Love and Cruelty”

「母性とは、私たちの文化の中で、私たち自身が対立するという現実や、完全な人間であることの意味を封じ込める、というよりむしろ葬り去る場所だ」

「それは私たちの個人的・政治的な失敗のための、究極のスケープゴートである」

「世の中のあらゆる問題の解決は、信じられないことだが "当然に" 母親の仕事だ。私たちの社会や私たち自身について考えるのがむずかしいすべてを、母親が背負うことを期待するとき、私たちは母親に対して何をするのだろうか? 母親は、まっとうに生きられる人生の最も困難な側面に関わらずにはいられないのだ。なぜ物事を明るく、無邪気で、安全なものにすることが、母親に課されなければならないのだろうか?」
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親になって、時には仕事を急遽調整しなければならないこともあり、ストレスを感じることもある。しかし、大変なのは自分だけではない。大半のことが母親に丸投げされているということに改めて気付かされた。

たぶん自分は結果が形で見える''仕事''にウェイトを置いていた。実績が評価され、自己承認欲求が満たされる''仕事''と、ブラック企業にも負けない労働量や時間にも関わらず決して評価されない''育児・家事''を並べた時に前者を取っている。

仕事に精を出すことは悪いことではないと思うが、今はバランスが大事だと考えを改めるきっかけになる作品だった。

心に響くシーンが他にもあった。
ジョニーが甥っ子のジェシーからなぜ奥さんと別れたのか聞かれた際に、「長い間一緒にいると、自分と相手の境界線があいまいになる。でもお互いを幸せにすることができなくなるんだ。そうしたいと思っていても」と答えていた。

これもまた共感できる。

節目節目で何度か観ることになりそうな作品だった。

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