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【エッセイ】埋まらぬ孤独と生きるとは


こんばんは、秋の夜長に耐えうる心を持たないユスラウメです。

今日は「埋まらぬ孤独と生きるとは」というテーマを一個引っ提げてコラムなんて洒落たものに手をつけてみました。
私もいわゆるエッセイスト・コラムニストだとか、そんな肩書きに憧れている者ですから。
自家製の梅酒ソーダを傍らに、カタカタと打ち込みこのテーマに向き合う次第でございます。よければみなさんもご一読ください。


まず「孤独」とはどんなものを指すのでしょう。
1人で居ること?恋人や友達付き合いがないこと?家族がいないor家族仲が悪いこと?
どれもそうで、どれも孤独である決定打とはならないでしょう。

こ‐どく【孤独】 の解説
[名・形動]

1 仲間や身寄りがなく、ひとりぼっちであること。思うことを語ったり、心を通い合わせたりする人が一人もなく寂しいこと。また、そのさま。「―な生活」「天涯―」

2 みなしごと、年老いて子のない独り者
https://dictionary.goo.ne.jp/word/孤独/

こちらの辞書ではこういった定義になっています。
だけど、現代人の感じる孤独ってこれだけなんでしょうか。

さて、私は今まで「恋人」という人間関係を築いたことがありません。
私が恋をしないわけでもないし、恋人いらない!と思ってるわけでもないし、それでも恋人ができたことはありません。
不思議だね〜、と日々白目を剥いて思っています。
その点、私の幼馴染の2人には恋人がいます。なんならかなり恋愛経験は豊富な方かと思います。本人たち曰く「若気の至りでとにかく恋愛していた」ようなので、良いか悪いかは問わず豊富です。
そんな2人の様子を見ていて思ったのは、「ああ、恋人ができたからといってすべて満たされるわけではないんだな」です。
まあ考えてみれば当たり前のことではありますよね。

私は、孤独のことを「自分の心の埋められない部分」だと思っています。
みなさんの中の孤独はどんなものですか。

恋人、という存在だけで自分の中にある穴の全てを埋めることはできない。むしろそういった存在であれと思えば思うほど、恋人にとっては重たくなっていき依存が強まって、精神的自律から遠くなってしまいますもんね。

人がそばにいても、むしろいるからこそ孤独を強く感じる時もあるでしょう。
家族がそばにいても、恋人がそばにいても、友人がそばにいても。
つらいときはつらい。
埋めようがない穴を、受け入れていくしかないのだと思います。
人生はおそらく80年ほど続いていきます。その中の4分の1程度生きた時点で、どうしようもない孤独と出会い、受け止め、一緒に生きていくしかないのです。少なくとも私は。

孤独は他者では埋められません。
だから人は音楽や読書、映画などの創作物を楽しむのだと思います。創ることも、観ることも、そういった喜びを得ることで人生を食い繋いでいくのでは、と私は実感しています。

とりとめもない話でしたが、ここまでお読みいただきありがとうございました。
またこんなテーマの話をするかと思います。


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