🍥ロースハム🍥
「今年の夏は暑くなるでしょう」
などと、お天気キャスターが眉を八の字にしてのたまっていた。猛暑を予言するばかりか、その眉すらも灼熱の八月を示唆する暗喩にしか思えず、ふた月も前からゲンナリとした心持ちになる。
ウンザリゲンナリと気が重くなったときには、ズッシリモッチリと重いロースハムを作って暗い気持ちを相殺するのが肉塊啓蒙家の作法だ。
思い立ったら吉肉である。なるべく質の良い豚ロース塊を手に入れよう。
運命のロースを連れ帰り、早速トリミングをする。この工程は、いわゆる「ハム然」とした姿形にするためのものだ。切り除いた肉は酢豚などの料理に活用する。
理由は後述するが、ここでの成形は「ある程度」にしておく。
続いては、塩漬け工程だ。
肉の重量に対し、
・岩塩3.5%
・きび糖2%(または三温糖)
・セロリパウダー0.1%
・セージ 少々
・ローリエ 少々
・黒胡椒 0.1%(挽きたて◎)
・ガーリックパウダー少々
以上の材料をよく混ぜ合わせ肉の隅々まですり込み、フリーザーバック等に入れる
※ハーブ、スパイス類は入れすぎないこと
・薄切りのりんご、玉ねぎ(またはセロリ)少々
・清酒 少々(ウイスキーやジンでも可)
以上を加え、よく揉み込んで空気を抜き冷蔵庫(チルド室)で2週間程度熟成させる
熟成期間は、時おり裏返したり揉んだり「まさかハムにされるとはねェ…上京してすぐにトンカツになれるなンて甘い世界ではないのだよ…お嬢ちゃん」などとネチネチと声を掛けたりしながら、肉の内面からも熟成を促していく。
2週間後、肉の表面を良く洗い、一時間おきに水を替えつつ2時間半〜3時間程度の塩抜きをする。
のちのボイル工程でも少し抜けるので、ここでの抜塩しすぎには注意したいところだ。
塩抜きを終えた肉の水分をよく拭きとり、キッチンペーパーで包んで脱水する。季節を選ばないピチットシートがオススメだが、今回は肉に奮発してしまったために冷蔵庫内にて小型扇風機を肉に当て、擬似的に冬季の陰干しを再現した。
途中、キッチンペーパーを巻き直し、合計で20時間程度の脱水を行なったが、冷蔵庫の占拠によって妻の顰蹙を買い機嫌を損ねるくらいなら、大人しくピチットシートを使ったほうが具合が良かったのかもしれない。
次に、燻製用の浸透セロファンを巻きつける。これを巻くと燻煙のノリがよく、ムラのない綺麗な色付きの燻製になるので、特にハム作りには重宝している。なぜこのセロファンが煙を美しく乗せることが出来るのかは、女心のようによくわから──これ以上はやめておこう。
浸透セロファンの上から食品用のガーゼで包み、凧糸で強く強く緊縛する。トリミング工程で「ハム形半ば」だった半ハムを腕力で全ハムにする男臭い工程だ。
ハムは力だ。力こそハムだ。力ずくでハムを丸め込み、ハムずくで力に包まれていく。
ちなみに、この糸巻き工程のことをハム業界や愛好家界隈では膂力肉塊成形法と呼ばれて──いますようにと、流れ星に3回唱えた。
次に、ハムを燻製器内に吊るして55〜60℃で1:00〜1:30の温熱乾燥に入る。
温熱乾燥とは、燻煙温度と食材の温度差による結露を防ぐ温〜熱燻における最重要工程だ。
結露によって出た水分は、煙の最大の敵である。汗をかいた食材をそのまま燻煙にかける行為は、汗だくの顔に化粧をする行為と同等の禁忌と言えるだろう。
温熱乾燥や燻煙工程については、以前のベーコンレシピから参照していただけると面倒が減って幸いだ。
ミズナラとクルミ1:1を混ぜ、ご飯茶碗で一杯弱ほど投入し、温熱乾燥と同じ55℃設定から燻煙にかけていく。
45分に一度、5℃ずつ温度を上げ、同量のチップを足しながら、70℃まで4ターン繰り返す。
ここで、最後の熱責めを待つベーコンを残してハムを取り出し、ボイル工程に入る。
セロファンやガーゼを纏ったまま、63℃に設定した低温調理器で5時間程度ボイルしていく。
たちまち煙が溶けだし湯が琥珀色となる。「果たしてこれでいいのだろうか」と心配になるが、これでしっかり味の熟れた「ハム味」になるのだから不思議なものだ。
試しに一度、パッキングしてボイルしたことがあるが、スモーキー過ぎてまったくの別物になってしまった。やはり肉肌を湯で馴染ませたほうが良いだろう。
厚労省が定める豚肉の芯温63℃で30分の熱入れが安全の目安だ。実際に肉芯の温度上昇に5時間も要しないが、塩の抜け、味の馴染み具合、柔らかさ等を鑑みて、私のボイル工程は5時間に帰結した。
ボイルを終えたら、氷水で急冷し身を引き締める。サウナ愛好家として、この工程を「整う」と呼んでいることは言うまでもない。
モンゴリアン・デス・ワームがごとき物体が現れ思わず後ずさりするが、これはロースハムだと思い出し、ほっと胸を撫でおろす。
急冷によってハムの表面に浮いた油脂を、ぬるま湯で流して水分を拭きとる。
ラップやフードシーラーで封をして数日冷蔵庫で寝かせれば、ようやくハムの完成だ。
出来たてのハムを耳にあてて「もしも〜し」という渾身のミートフォンギャグを家族に披露したい欲求に駆られたが、家族にとって良い結果にならない──そんな予感がしたので、俎板にハムをそっと置いて暮れなずむ西空をただ見つめた。
黄昏はさて置き、ハムに包丁をいれると──なかなかに良い色の断面である。岩塩とセロリパウダーの発色作用と、低温での火入れが功を奏したのかもしれない。
そして、目薬を点すような格好で、切りたてのハムを天から口に迎える。
ッッッ──なんだこれは──
肉塊無双じゃないか…
しっとりとした肉のうまみとスモーキーさ、脂身の甘さが渾然となって、なかなかに感動的な味わいだ。
味見はほどほどにしてハムを冷蔵庫へ片付けようとは思うものの、気づけば台所には蓋の空いたビールとマスタードが並んでいる。
一枚、また一枚と、切りとったそれを──口に運んでは夢中になって食むのだった。
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