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何を辞めて残していこう。

今週も映画について書く。

今週は五つ葉さんがもののけ姫から生死観に近い投稿をした。

常日頃から意識しなければ通り過ぎてしまいそうな内容だったから、一行一行を味わう気持ちで読み進めた。

人は死を思い浮かべたとき、どういうふうに変化し、どんな行動を起こすのか、そんなことも考えた。

実を言うと、ボクは既に人生最期を意識しはじめている。

意識し始めてから確実に、行動も視野も変わった。「死」意識することは同時に残りの時間を意識すること。時間は無限ではなく、有限であること。これがハッキリする。

ならば、まずはやりたいことを思い浮かべるだろう。その次に仕事やお金の計算、そうやって自分が落ち着く場所まで持っていく。

その過程で素通りできないのは「所有物」だと思う。

これまで”と”これから”自分を左右するものは人であり物である。環境が習慣を作り、習慣が人を作る。ボクはそう考えている。

以前にも似たような投稿をした。

未来を予見するようで、とても他人事ではない物語。拠点を持たず、常に移動生活を続ける彼らは、何事にも執着しないし依存しない。

日本に住んでいるとつくづく思うのは、物が豊かだということだ。どこをみても似たような商品で溢れている。

高くても安くてもイイものはイイ、人によって価値基準も変わる。

きっと外の世界、国を越えなければ気づかないことだと思う。

物なんてどれも一緒だ、そんな価値観を持ち始めたのはいつからだっただろう、覚えちゃいない。

もう目の前にある物体に意味なんかほとんどないんじゃないか、ただただ存在しているだけ。だから、その「」に価値や意味を与えるのはボクたち人間なんじゃないかと思う。

想いれのある品もあれば機能性で役に立つ物もある。

そしてさらに重要なのは、そのどれを「選ぶ」かなんだろう。

幸せの判断を勝手に物に任せていた気がしてならない。物があれば幸せになれると考えていたのは幻想で。その幻想に気づくまでには随分と長い時間がかかった。

物は暮らしと密接に関係する。暮らすことをもう一度ぐらい問い直してみてもいいのではないか、そう思う。

誰と暮らすかも重要だが、何と暮らすかも同じぐらい重要。

キレイなものをキレイだと言える判断さえも他人任せにしてはいけない。

”持っている物の多さで幸せは計れない。人生は物でできてない。”
365日のシンプルライフ/ペトリ


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