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意志とかけじめとか

最近になってまた気づく、この世界とか見ているモノや考えていることは全て主観に過ぎないということ。

ボクはよく考えてしまう質で答えのない問題に延々と答えを求めてしまう癖がある。それは時に苦しいこともあれば、延々と悩んだ挙句に「あぁ、そういうことか」とすっきりすることもある。

話は変わるけど、最近はめっきりテレビを見ていない。理由の一つとしては、テレビを点ければ見たくもない情報が流れ込んでくるから。いい情報も悪い情報も自分で判断しなければいけないはずなのに、知らないうちに誰かの意見に流されている。

コロナや政治の問題が後を絶たないし、根拠も出所も分からないフワッとした言葉だけが虚しく頭の後ろを通り過ぎる。

誰かの意見が伝染するスピードは思ったより速いみたいだ。

"I think this way
 いく通りもある
 その問いの答えはもうただ…"

口から出た周波数

じゃあいったい自分の口から出た言葉は、誰の影響も受けなかったシンプルで透き通ったオリジナルな言葉かと言われたらそうではないと言える。

当然のことだけど、もうボクは子供ではない。27歳の日本人男性だ。一人で物事を考えて発言ができる立派な大人だ。

だけれど、誰かの影響を受けて意見や考えを曲げたり変えてしまうことがある、これもまた事実だ。

今となってはどこで道を間違えたのかみたいな探偵ごっこはできない。ただひたすら道端に落ちている正解か間違いかも分からない言葉を拾い続けていくだけ。

どんどんと罠にはまっていくような気がしてしまう、目に見えない相手に。

自分の所在が、この身体に住所のようなものがあるとしたら、きっと今頃ジブンはどこに。

”なぁきっと
この世に正解もハズレも
本当は無いハズだから”

重み

もしかしたら自分は優柔不断なんだろうか、そうやってまた考える自分がいる。きっと誰かに質問してしまえば楽だろう。
「あなたは身長が179㎝で細身、何事も考え過ぎてしまう癖があって音楽や芸術が好きな27歳の...」
たぶんだけれど、ボクの求めている答えはきっとそこにはない。

手軽に手に入る答えよりも、苦労して時間をかけて得た言葉に人生を預けたいと思う。

そんなことを言ったってこれからも誰かの言葉に動かされる場面はいくらだってある。

だから一歩進んで二歩下がる。前に進むことが正解ではないはず。誰かが正解を解いたら疑ってしまえばいい。

答えを出すのはその後だって遅くはない、全ては自分で決める。

”死ぬ間際に悔いは無いと
言えるように
生きていたいだけ”



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