田中佑典のヴァナキュラーな日常

山村、生活史、コモンズ論などを専攻する研究者の卵。役人をしながら研究をしながら二つの法…

田中佑典のヴァナキュラーな日常

山村、生活史、コモンズ論などを専攻する研究者の卵。役人をしながら研究をしながら二つの法人を運営しています。総務省→外務省→コロンビア大院→立教大学大学院社会学研究科。その他TedxSaku speaker, WEF Global Shapersなど。

最近の記事

分断とナショナリズムを乗り越えるための「小さなシステム」、または自治

先日緑のFIKAの会なるイベントにお邪魔してきた。 FIKAという名前だけで、学生時代スウェーデンに住んでいた僕としては胸が高鳴る。 FIKAとはスウェーデンで広く浸透している「コーヒータイム」のような時間。 ただ、単なる休憩時間というより、コーヒーとシュークリーム(セムラ)を手に、友人や家族、同僚とまったりした時間を一緒に過ごすニュアンスのほうが強い。 スウェーデンで過ごした1年足らず。 自然と調和し、家族や友人との時間を大切にする北欧での生活は、その後の僕の価値観を

    • 地域からの撤退をどう考えるべきか?

      1.はじめに 2024年1月1日に石川県能登地方で大規模な地震が発生しました。今なお懸命の捜索活動が続けられているわけですが、今後の復旧・復興を進めるうえで、米山隆一衆議院議員のとある投稿が大きな注目を集めています。 地震前から維持が困難になっていた集落においては、「復興ではなく移住」を推進するべきだとする米山氏の主張は広く拡散し、賛否両方の意見が寄せられています。 ちょっとだけ自己紹介をさせていただくと、僕は1989年に奈良県の旧大塔村という場所で生まれました。 も

      • 多様性ってなんなんだ続~「みんな違ってみんなどうでもよくない」を目指せるか?

        朝5時からこんなポストを見て、なかなか面白かったので書き始めたら手が止まらなくなったのでそのまま公開。 多様性ってなんだと考えさせられる。 僕は多様性には「縦」と「横」のふたつの軸があると思っていて、縦はいわゆる社会階層や年齢、横は人種や民族、ジェンダーなど。そして、世の中で多様性を謳っている会社や人ほど、後者にしか目を向けていない(というより、多様性という言葉は「そもそも多様性の目的が先にあって初めて認識される」ものなので仕方がないとも思う。詳しくは昔匿名ブログで書いた

        • 2024年の抱負

          2023年の振り返りはクローズドな場に譲ることにして、ここでは2024年の抱負を語ってみようと思う。 自分も34歳であり、そろそろ「自分らしさ」で勝負していく年ごろらしい。 副業的に続けてきたPMIやムラツムギも、それぞれ小規模ながら安定した軌道に乗ってきているように感じられてきた。何より最近は「PMIらしい」「ムラツムギらしい」という言葉をよく使う。事業アイデアを思い付いた際、フィルタリングをかける視点として「それはPMIらしいか?」「ムラツムギらしいか?」という言葉を

        分断とナショナリズムを乗り越えるための「小さなシステム」、または自治

          利益が目的じゃない?信用金庫が開くコミュニティ至上資本主義

          先日信用金庫に勤める知り合いと話をする機会があった。 地方で暮らしていると信用金庫というワードは街のあちこちでみかける。例えば、僕が暮らす長野県の東信エリアには上田信用金庫があるし、調べてみたら県内にはエリアごとにバチっと分かれて6つの信用金庫がある。 長野信用金庫長野市、千曲市、坂城町、上水内郡飯綱町、中野市、上高井郡小布施町、須坂市、飯山市、下高井郡山ノ内町上田信用金庫上田市、東御市、小諸市、佐久市、北佐久郡御代田町、北佐久郡軽井沢町松本信用金庫松本市、塩尻市、大町市

          利益が目的じゃない?信用金庫が開くコミュニティ至上資本主義

          ものがたりが生み出す格差の構造

          とある尊敬する政治家がいる。 彼は非常に意志が強い。これをやる!と決めたらそこに何があっても突っ走る。自分の信条に従って、そのために敵が生まれたとしても意にも介さない。 そうした彼の覚悟がどこから生まれているのか私は以前から気になっていたが、最近彼と接する機会が増えてくる中で、あることに気がついた。 それは、彼がひんぱんに自分の父親を引き合いに出しているということだった。 彼の父親も政治家で、元々スキーヤーとして活躍していた。彼は、何かにつけて親父のことを引き合いに出

          ものがたりが生み出す格差の構造

          コロナでオンライン帰省したら初めて家族が家族になった話

           ー今年のお盆はオンライン帰省でー  そんなキャンペーンが日本で展開されている。  実は当方アメリカにいてイマイチ実感がないのだが、確かに最近の報道を見れば、帰った方も不幸になる、迎えた方も不幸になる、誰も幸せにならないとんでもない夏休みのようである。  ・・・ところで、オンライン帰省って何なのだろう。  こんな疑問を抱いたのは、どうやら僕だけではなさそうだ。  SNSを開くと、「オンラインって…うちの田舎インターネット繋がってないよ!」や「オンライン帰省いつもやってま

          コロナでオンライン帰省したら初めて家族が家族になった話

          地方が抱える構造的課題と新陳代謝の欠如

          いかなる共同体も、時代の変遷に伴って、当然求められるものは変わっていく。 企業を例に考えてみよう。 日本的経営の限界が指摘されて久しいが、その背景には、硬直的な新卒一括採用・終身雇用制がビジネスのトレンドに即していないという現実が背景にあると指摘されている。 変動激しい社会に合わせて、よりイノベーティブで流動性が高く、機動性の高い経営体制に移り変わっていく必要がある一方、大企業は既存の巨大な体制を抱えたまま即座に対応することができない。それは、大企業の抱える社員が、過去

          地方が抱える構造的課題と新陳代謝の欠如

          宗教がないという宗教を生きる

           歎異抄にかの有名な一説がある。 「善人なほもつて往生をとぐ。いわんや悪人をや」  歎異抄の解釈本なぞは世の中に数多く出ているし、今更私ごときが解説するべき内容ではないのであるが、一般的に解するとその趣旨は、「自力で修めた善によって往生しようとする自称善人ですら往生することができるのだから、自らの罪業の深さを知る悪人が往生できることは言うまでもない」とでもいえよう。  一方、これも数限りなく指摘されてきたことではあるが、上記の親鸞の主張は一般人の常識的理解とはずいぶん趣

          宗教がないという宗教を生きる

          グローバルな課題とその限界

           米国で研究生活を送っていることもあり、時折日本で話題となる社会課題とのギャップを感じる機会にとまどうことが多い。  一例を挙げれば、私がここ数年携わってきたいわゆる地域活性化なる領域は、グローバルなイシューの中ではほとんど見向きもされていない。国際的な議論に強引に即していえば、それは「貧困削減」や「地域間格差の是正」なのであり、地域の衰退が地域の衰退として問題にされることはほとんどないと言ってよい。  米国を旅して回ったときこのことを如実に感じることがあった。いうまでも

          グローバルな課題とその限界

          日本の美と発展

           生まれは吉野、育ちは桜井。30年弱の人生において、これほどこの事実に厳然と対峙させられたことはない。山村の寂寞とした芸能と王朝文化の軌跡がわずかに残る吉野。それに比して、奈良時代の豊麗な、まるみを帯びた優美さを誇る田園風景を持つ桜井。幼き日の両地での記憶は、どうやら確かに私の心の奥深くに沈殿し、知ってか知らずか、暗闇を照らす灯篭のようにいくべき先を照らし出しているように思える。  日本の美はどこにあるかと考える。古今東西あらゆる学者と美術家がつばぜり合いを繰り返したこうし