高校時代ー原点

この高校時代を抜きにして後の歩みは語れません。
是非最初に読んでいただけたらと思います。

バスケットボール

「高校時代を抜きにして後の歩みは語れない」と書いたばかりですが
正確には「高校時代のバスケを抜きにして後の歩みは語れない」です。

楽しくできれば
僕の母校は沼津東高校。静岡県の公立高校です。
中学入学前にスラムダンクを読んでバスケを始め、試合に出られずともこのスポーツが持つ楽しさに惹かれていた僕は高校でもバスケを続ける事を決めました。「楽しくできればいい」と、入学直後の車中で父親に話したのを覚えています。

転機
毎日の練習のふとした気付きの積み重ねによって自分の身体と向き合う楽しみを覚えた事により、入学当初の「楽しくできれば」という思惑とは180度異なる高校バスケ生活を送る事になりました。
自分の身体との対話に伴う技術の向上がたまらなく楽しく、その技術の向上に伴って強くなったのは、中学時代に成せなかった「試合に出たい」という思い。この思いは、執着とも呼べる強さにまでなり、後の高校生活を大きく変えました。

運動神経の壁
僕のポジションはSGで、抜群の身体能力を誇る友人がスタメンでほぼフル出場していたました。
明らかな身体能力の差を技術の試行錯誤だけでは埋める事ができないのは素人なりに理解していて、独学でトレーニングにも力を入れました。
朝は日の出前に家を出て通学電車の中で朝日を拝み自主朝練へ向かい、夜は全体練習の後に最後まで体育館に居残り練習、体育館が使えず練習の無い日は外で坂ダッシュに長距離ランを、在学途中にウエイトルームができる前は下校後に市民体育館に立ち寄ってウエイトトレーニング。

「運動神経の壁を超えろ」

自分に言い聞かせ続けました。

自己流のトレーニング
力の差は縮まれど決して埋まる事はなく、出番のない試合の後は、帰途に就くチームメイト達と別れ、悔しさと共に体育館へと戻り黙々と練習しました。
自己流の技術の試行錯誤が身体感覚と技術を向上させた一方で、自己流のトレーニングは効率が悪く、また怪我にも繋がりました。自己満足の無理なトレーニングで身体を壊し、早すぎる復帰時期を自分で決めてはまた怪我をするという悪循環。常にどこかしらに痛みを抱え、授業間の移動で校舎の階段を登るだけでパンパンになる程疲労が蓄積した足。
当然、こんな有様では「運動神経の壁」を越える事はできませんでした。

心構え(意地)と挫折

差が縮まっているのは分かれど、どれだけ頑張っても追い付けず、試合ではチャンスすら与えられずに悔しい思いばかりをしました。
その悔しさを燃料にしてさらに自分を追い込んでは味わう、さらに大きな悔しさ。その悔しさと苦しさの連鎖に耐え切れなくなり、大好きなバスケをやめようかと何度も思いましたが、辞めませんでした。正確には、辞められませんでした。ここまでやって辞められるものか、という意地で何とかぶら下がっていましたが、人生最初で最後の挫折を味わいました。

悔しさと苦しさの螺旋からの脱却
「楽しくできればいい」という入学当初の思いとは真逆の、悔しさと苦しさの螺旋。そこから僕を降ろしたのは、レントゲンに映った2本の亀裂でした。3年のインターハイ予選直前の練習中、パスをカットしようとした時に右手親指を骨折し、最後の大会ではユニフォームを着る事なく引退しました。
周りからは気の毒な怪我だと思われましたが、あの2本の亀裂は僕を螺旋から「降ろしてくれた」と表現するのが正しい怪我でした。あの怪我がなく、じわじわと引退を迎えていたら、心の整理ができなかったと思うからです。

原点

結果は残せず、終わり方も見方によっては悲惨でしたが、高校バスケが僕の原点である事は間違いありません。

正しい努力の大切さを身をもって学び、もがく過程でスポーツ医学への興味を持ち、拠り所だった自分の身体との対話は30歳半ばになった今でも続いています。そして何より、魂の耐久力が養われました。
「長いアメリカ生活で、挫折は経験しませんでしたか?」と聞かれる事がありますが、経験していません。正確に言うと、高校バスケ部時代の「挫折」に比べたら、アメリカ生活中に経験した思い通りに行かなかった事や辛い事は、「苦労・苦闘」で片づけられたからです。

学んだこと

正しい努力と、正しくない努力
結果を出すためには、正しい努力が求められ、目標との距離があればあるほど、より精度の高い努力が必要となる。
挫折が養う魂の耐久力
深い挫折ほど、そこから立ち上がった時に「あの頃に比べたら」という魂の耐久力が養われる。

大学受験

バスケで経験した挫折から学んだ教訓を生かして戦略を立て
ネガティブなモチベーションも燃料として使い
自分の意思の強さを信じなかった事が結果に繋がりました。

バスケットボールからの切り替え
進学校では、部活引退は受験勉強に集中する事を意味します。少なくとも、当時はそうでした。バスケットボールへの入れ込みようから、この切り替えができるかと心配されていましたが、部活引退翌日に一日だけ学校をさぼって、ギブスで固められた右手を眺めながら河原でボーっとした後は、自分でも驚くほど見事にスイッチを切り替える事ができました。

大学選び
多くのクラスメートたちが大学で何を学びたいか迷っている中、僕はすんなりと志望先を決めました。バスケットボールでもがく過程で関心を持ったスポーツ医学、それを学べる大学は当時「日本には」数える程しかなかったからです。目指すならば一番高い山をと、当時の自分の成績 (下から両手で数えられた)を省みずに、早稲田大学人間科学部スポーツ科学科を目指すことにしました。

一点集中
目標は定めたものの、自分の成績との差は歴然でした。
がむしゃらな努力は結果に繋がらない事を身をもって学んでいた僕は、徹底的に情報収集をして戦略を立てました。
出した結論は、早稲田大学の人間科学科スポーツ科学部のみを受験、塾には行かずに自分の戦略に基づいて反省と調整を繰り返して目標を目指す、というものでした。必ずしも推奨できる考え方ではありませんが、この一点集中の考え方は自分のスタイルとして定着し、渡米後にも長くに渡って決断基準となっていました。

直感
下から両手で数えられるような成績の生徒が、独学で難関と言われる大学を一校だけ受験する。当然、担当教員や進路指導の先生には考え直すように促されました。が、これが結果を出す唯一の方法だという自分の直感を信じる事にしました。
アメリカ生活でも、多くのシチュエーションで自分の直感を信じて決断を下してきましたが、根拠がある直感は瞬間的な論理的思考であり、瞬間的であるが故に純粋な判断に繋がると思っています。ただし、直感で下した決断に固執しない事も大切です。これは後のアメリカ生活を振り返るときに記していきます。

フェアな受験勉強
バスケットボールと勉強の決定的な違いは、練習しすぎて身体を壊したバスケットボールとは違い、勉強をし過ぎても身体が壊れない事でした。
また、もともとのスタート地点が低かった事もあり、反省と調整を繰り返した戦略に基づいての勉強は、量と比例して結果が出ました。
(がむしゃらな)努力が結果に結びつかないフラストレーションをバスケットボールで散々に味わった僕にとって、努力が結果として反映される勉強は非常にフェアなものだと感じ、多少のモチベーションの上下はありましたが、下記の「ダークサイド」を燃料に、脇目を振らずに勉強を続けました。

心構え

全てを捧げたバスケでは挫折を味わい、ここで行くと決めた大学にも落ちたら、高校生活は負け一色になる。それだけは絶対に避けてみせる、という気持ちで受験勉強に臨んでいました。大学でスポーツ医学を勉強したいという気持ちは当然ありましたが、それよりも強かった、これ以上負けたくないという思い。ネガティブなモチベーションが発揮する力の大きさを、この時に学びました。
ネガティブなモチベーションには、個人的なストーリーが必ず内包されています。僕のメンターの一人Tim Groverは著書Relentlessの中でそれを「ダークサイド」と呼びましたが、自分のダークサイドから目を逸らさず、認識して使いこなす事は、後の人生でも役に立ちました。

その他教訓

知らない選択肢は選べない
大学選びの際に「日本には」と書きましたが、狭い世界で生きていた当時の僕の頭に、海外という選択肢は浮かびすらしませんでした。
「知らない選択肢は選べない」と少し歳をとった今の僕は若い人達に伝えます。そもそも、進学校だからといって、大学に進学する必要はありませんでし、大学だって世界中にあります。しかし、そういう選択肢を知らなかった僕は、「進学校→国内の大学に進学」という限りなく狭い選択肢の中から道を選びました。
幸運にも僕の場合は、より多くの選択肢を知っている今の自分でも取るであろう道が当時の狭い選択肢の中にも存在していましたが、世界を広げ、人生の選択肢を可能な限り多くすることは、とても大切だと思います。

自分の意思の強さを信じない
僕は意思が強い人間だと思われる事が多いのですが、それは僕が自分の意思の強さを信じていないからです。信じる代わりに、僕は意思を揺らがす材料を排除します。
例の一つに、17歳の夏に僕がとった行動があります。受験生の夏、家に籠って勉強すると決めましたが、人に会って息抜きをしたいという欲は必ず出てくると分かっていました。ならば、人に会いたくなくなるようにすればよい、という考え方です。
家にあったT字型の剃刀は予想以上に使い勝手が悪く、できたかなと思って覘いた鏡に映った落ち武者に衝撃を受けながらも、髪を綺麗に剃り落としました。いきなりスキンヘッドになった高校生の息子に、両親は「また極端な事を」と呆れていましたが、この極端さは結果に繋がり、夏休み後には飛躍的に成績が向上しました。

結果にこだわり世界を狭める
結果だけを見れば、僕の受験勉強は成功でしたが、一校に絞って特定の科目だけを勉強するやり方は「受験の為の勉強」の最たる例であり、「バスケにかける」という名の元に部活を引退するまでは殆ど勉強していなかった事と相まって、勉強を通して高校時代に世界を広げるという事はできませんでした。
他の事も頑張る事は、「かけている」事をないがしろにする事ではないと気づいたのは、後の事です。やりなおせるならば、まだ頭の柔らかい高校時代に受験を意識しない幅広い勉強をしたいものです。

学んだこと

知らない選択肢は選べない。
世界を広げ、選択肢を出来るだけ多く持つことはとても大切。
直感を信じる。
根拠のある直感は瞬間的な論理的思考で、純粋な意思決定に繋がる。
ネガティブなモチベーションを認識して使いこなす。
個人的なストーリーと共に深く根付いているそれは、大きな力を生む。
意思の強さを信じない。
弱さを認め、その上で邪魔になる要素を排除する。
他の事を頑張る事は、「かけている」事をないがしろにする事ではない。

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10字
原点である高校時代、留学を決意した日本での大学時代、アメリカ生活のそれぞれのステージを振り返った、計12のノート(計10万字強)を読むことができます。 全てのステージにおいて「心構え」「苦労したこと」「学んだこと」が共通項として記されています。

What's upの意味が分かずにスタートしたアメリカ生活。そこから英語を習得し、大学院で学び、NYの裁判所で国際結婚し、PhDを修め、N…

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