20年間のダイジェスト

ふとしたことがきっかけで、あまりこれまで語らなかったこと、語りきれなかったことを、これから少しずつ書いていくことにした。

初回、自身のキャリアを振り返る。

大学時代

1998年、福岡大学理学部応用物理学科に入学した。高校の時は有機化合物が大好きだったが、物理現象の基礎を学ぶと将来何か役に立つだろうと思い進学。その頃、リニアモーターカーに興味があって、卒論は超電導電磁石を複数作って検証した。

入学して間もなく、学園祭の実行委員サークル(七隈祭実行委員会)を選び、4年間活動を続けた。1999年、福岡吉本と一緒にお笑いオーディションを企画立案・実施を担当し、企画や演出の面白さに気づた。(当時、福岡吉本の支社長を務めておられた中島さんと打ち合わせを重ね、司会は福岡大学の先輩にあたる華丸大吉さんにお願いした)

4年時には実行委員長を務めた。この頃、学園祭二酸化する学生も減少傾向であったり、就職氷河期だったりして、人のつながりが希薄になりかけていると感じ「人と人、人とモノとのつながり」を年間テーマに掲げた。この頃から、人と人、人とモノとの関係性やコミュニケーションの変容にはとても興味があった。

大学時代、物理学やコミュニケーションに触れたことが、いまの自分の核になっているのだろう。

社会人時代

大学卒業したのちに、学園祭の前夜祭でお世話になった、M2エージェントの故・宮崎まりさんに、福岡の制作プロダクション・株式会社サヴィー(http://www.thavi.co.jp)を紹介いただき、あの手この手を使い、入社した。そこから11年間、人材管理、総務、倉庫管理、フリースペースの運営、展示会・式典・学会・大会・プロモーションの企画制作・実施運営、進行・演出など、のめり込むように、エンターテインメント業界の多数の現場を経験し、たくさんの方にお世話になった。

2009年、九州電力こども科学研究室という、科学実験と先進的な研究者のトークと組み合わせた親子参加型の体験企画を担当することになった。2年間担当した。この企画で、大学時代の経験が合流したことで、科学とコミュニケーションに関わる活動がしたいと思い、2011年、大人の科学リテラシーの促進を目指し、理科ファンというコミュニティを立ち上げ、いろいろな仲間を出会い活動を続けた。この頃、福岡市科学館ができるとニュースを聞き、いづれ科学館の仕事がしたいと考えていたが、どうやってその仕事にたどり着くかは想像もついていない。

さて、いろいろなご縁で、2015年、デザイン事務所・ブランコ株式会社(https://bulan.co/ja)に転職し、ここではデザイン制作現場を経験した。特区1周年記念事業を天神地下街で実施した。デザインとエンターテインメントが融合した企画を担当し、その頃、職種の枠を超えて活動する楽しさを学んだ。

2016年1月、だれでも参加できるものづくり博覧祭つくると!(https://vol1.tsukuruto.net)がスタート。数十年ぶりの大雪での開催がいまだに懐かしい。(最近の大寒波が5年ぶりと言ってて、「あ!」と思い出した)たしか2016年の夏頃、科学イベントに足を運んだときに、福岡市科学館のブースがあって、アポ無しで、つくると!2の出展交渉をした。ここでの会話がきっかけで、福岡市科学館の仕事につながった。

起業から現在

立ち上げるために、2017年1月より、個人事業(屋号・ピノー)を立ち上げ、福岡市科学館の準備室と九州大学大学院芸術工学研究院 学術研究員に所属した。初めての経験ばかりでこの一年は本当にあっという間に過ぎた。

2018年1月法人登記、ピノー株式会社(https://pino.ooo)を設立。職種に問われないミクスチャースタイルの制作プロダクションにすれば、飽きずに無理なく、仕事も会社も続けられると感じ、コミュニケーションを軸にして「人と人、人とモノとのつながり」を創り、身近な世界平和を目指すことにした。

営業先に説明するときにかならず「なんの会社?」と聞かれるので、説明用の事業領域を決めておく必要があった。そこで、
 ・エンターテインメント
 ・デザイン
 ・コミュニティ
3つに整理してを柱に据えた。(なんでもそれって言えることも大事)立ち上げた時は一人だったのだけど、税理士と話して、最初から事業と案件をすみ分けしながら、どの領域がどの時代にニーズがあるのか振り返ることも想定した。

個人事業を始めるときに、社名占い(https://社名占い.net)でかなりのパターンを出して考えた。好きな会社と同じ画数にするとあとあと後悔が少ない。僕の場合はソニーの井深大さん、設立趣意書、製品が好きなので、5画にして、今後グループ会社ができることも想定して、ピノー・コミュニケーションとか、ピノー・エンターテインメントなどができるよう会社名は、
・日本語 ピノー株式会社
・英語 Pino Inc.
 ・ドメイン pino.ooo
に決めた。お名前ドットコムで、たまたま「.ooo」を発見したのもかなり運命だった。

コミュニティという点で絞って紹介すると、
コ・コラボレーションスペース・サンボン
2018年5月、アマダマングラフィカの尼田くん(https://www.amadaman.com)、ゼロワンイメージのおふねさん、梶原ブランディングの梶原さん(https://kajigra.com)とサンボン(https://www.pino.ooo/cid15)をつくった。現在はほぼピノーのオフィスとして活用している。

カフェ+スコーン専門店 Ruska Cafe and Scones
2019年4月、入居している美山ビル1階に、Ruska Cafe and Scones(https://www.pino.ooo/cid20・https://www.ruska.jp)を開業した。最近は小鹿田焼に行ったことを機に民藝の歴史を調べて、いとおしく、地域に愛されるお店にできるよう営業していく。

つくるとオンライン版 つくりま⭐︎SHOW
2020年、つくろか!の竜馬さん小野塚さん、つくるけぇ!の大下さんと一緒に開催。かなり手探りだったけど、雑談のように話してPRできる環境はこれからもやっていきたい。(http://live.tsukuruto.net

2020年は、佐賀女子短期大学と西日本工業大学の非常勤講師を担当した。
・佐賀女子短期大学 地域みらい学科 グローバル共生ITコース
 メディア概論 
 コミュニケーションデザインの歴史とマクルーハンのメディア論に触れて、引き出しを増やす機会として
http://www.asahigakuen.ac.jp/sajotan/subject/community_future/global_coexistence_it/
・西日本工業大学 デザイン学部 情報デザイン学科
 WebデザインⅡ
 情報設計、構造・要素の検証、ワイヤーフレーム制作、トーン作り
https://www3.nishitech.ac.jp/examination/courses/design/page2

まとめ

振り返ると偶然とは言え、いろんな物事の「つながりに気づいて」早いうちからつなげていた。そんな、つながりがつづく人生で決して計画的とは言えないけど、時代と一緒に、高いところに行きたいとは考えていた。困っている人を素直に助け、断らずに率先して動き、つながりをつくっては実践して、やったことがない経験を積み重ねてを、繰り返していくことで、独自の良い環境や良いコミュニケーションが生まれていく。それは、僕らが生まれる前からも、今も変わらない。

最後に、2020年は厄年でコロナ時代突入。エンターテインメントやデザインの事業に注力し、コミュニティは継続性を改めて考える年になった。大きな出来事は経理、ロボティクスエンジニア、3DCGデザイナー、ライターが加わり、いろんな視点で会話ができて、心強い状態。ますます頑張れる。

2021年は会社では8月から5期目がはじまり、次の5年を目指した成長を社内外のみんなで作りたい。

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