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吉田松陰について学んだら新しい発見がゴロゴロあった話

僕が偉人伝に興味を持ったのは1社目の起業後、あまりにも何も知らない、何から手をつけたらいいのか分からないという状態だった時だ。

How to本、自己啓発的な本にお金を費やした後に、まずは自分自身を含めた、人間そのものについて良く知らないことには意味がないことに気がついた。

人間を知るには古典が読むのがいいよ、と薦められて内村鑑三氏、安岡正篤氏、森信三氏らを水先案内人に日本、世界の偉人と触れていく事になった。

日本の偉人を中心に偉人伝を読んだのも理由がある。

バイオベンチャーで経営や事業開発をやっていると海外に出ることが多くある。

その際自分があまりにも日本の歴史や文化に理解が浅いことを自覚する機会があったからだ。

学校教育を受けた頃には、年表と出来事を覚えるようなことはあったとしても、その背景にある深い物事に思いを馳せるようなことはなかったと思う。

例えば、

その時どのような社会体制や一般常識がまかり通っていたのか?何が今との違いなのか?それはなぜか?を考えること。

どのような気候風土が、その土地に住む人の考え方に影響を与えるか?文化風俗や宗教観への影響を想像すること。

どうやって支配者層と被支配者層が生まれたか?その中でどのような折り合いがつき、時には崩壊していくのか?

現在まで語り継がれ名前が残った人が偉人だとすれば、なぜ皆の記憶から消えずにいたか?その人がどんなことを考え、実行していたのか?

などなど、思いを馳せてみるとその偉人の生きた言葉が今のわたし達が生きる世の中や、自分の周りに起こっていることにも繋がっているのを発見したりする。

ちょっと前置きが長くなったのですが、そんな小さな驚きを集めることができるので「偉人」について学ぶの楽しいですよ!ということを少しシェアしてみようと思います。

僕にとっての2大偉人

今までに特にこの人は!と思って度々本を読んだり、勉強会に参加したりして学んで来た2人が

二宮尊徳

吉田松陰

です。

二宮尊徳は別の機会に譲りますが、このポストでは吉田松陰について最近学んで驚いたお話を書いてみます。


単なる「狂」のひとではない

まず、僕の中では、吉田松陰は「狂人」というイメージでした。

本人も

「諸君、狂いたまえ」

という名言を残しています。

当時は、通行手形を持たずに藩を超えて旅をすることは重罪でしたが、友人との約束を優先して東北旅行に行き脱藩の罪を背負う。

また、沖で停泊中のペリーの黒船に手漕ぎ舟で乗り付けアメリカに連れて行けと直談判する。などなど。

一般に「諸君、狂いたまえ」は、当時の常識や固定概念にしばられずに、自分が正しいと思うことを考え実行せよという意味だと解釈されています。

また、そのくらいのレベルで考えないと、当時の苦境を脱することはできず黒船の奴らに蹂躙されて奴隷になってしまうぞ!と、一喝して目覚めさせるためのショック療法的な言葉だと思っていました。

でも、この解釈をなぞるだけでは薄いと思うようになりました。

吉田松蔭はADHD?

これは僕の想像ですが、おそらく吉田松陰はADHDだったと思っています。

理由は以下。

ADHDは

1.注意欠陥

2.多動、多弁

3.衝動性

の性質のいずれか、または組み合わせという特徴があると言われています。

さらに、2と3は関連していると思っていて、

「多動、多弁」の傾向の1つに他人よりも先に何らかの危機感を感じ、色々なアイディアが湧いてくる、または周囲がトロく見えてともどかしくなる

その結果、「衝動的に」に居ても立ってもいられず「やってしまう」傾向があります。

実際に有名な留魂録という書物に辞世の句として

「かくすればかくなるものと知りながら已むに已まれぬ大和魂」

という歌が残っています。まさに自分で言っているやん!

先に記述した脱藩の罪を追って行った東北旅行も「衝動性」が裏目に出てしまったのかも知れません。

また、注意欠陥的な側面もあったようで、「回顧録」という書物以下のような記載があります。

ペリーの船に、盗んだ舟で乗り込むという尾崎豊ばりの作戦を立てます。

 3月9日 昼間に下見していたこれだと思っていた舟が夜行くとなくなっている。その上野良犬集まってきて吠えられまくる。その時、

舟を盗んで漕いでいくって難しいな〜と思った。

と記述しています。

 3月25日にも川にワンサカ停泊してある舟があったので、これはどれか盗めるだろうと決行。

実際に乗れたのですが、河口に番船を見つけ「やばっ!」となる。

行ってはいけない場所に行き、先生と鉢合わせした時の中学生のようです。

「でも俺に天が味方するなら行けるはず!」というなんだか分からないロジックで突入した結果、運良く番船に見つからず突破!

しかし、喜んだのもつかの間、沖に出たら波の大きさに耐えられなくなり、舟を捨てて岸に登って出直した。とあります。

もうちょっとちゃんと計画ましょうよ!とツッコミいれたくなります。

大義はあるが、今闘ったら負けるという判断

逆に衝動性に駆られず、冷静に判断している事例もある。

凡そ今日の事、中国夷狄の大義を論ずるの外、他は言ふに足らず。然れども兵法は先づ勝ちて後に戦を求むといへば、大義の在る所にても勝算なくして妄りに戦ふは、猪武者(いのししむしゃ)のなす所にして、兵家の貴ぶ所に非ず。

これはペリー達が浦賀にやってたのをみて、長州藩の殿様宛に、「こうしないとやばいですよ!」という情報を伝えた「海戦策」という手紙のなかの一節。

前段として、アメリカは日本を力で脅して植民地にするか奪い取ろうとしてやってきているわけだから、それを防衛する日本側に大義はある

しかし、幕府の役人はビビって思考停止か、まだ迎え撃つ鍛錬できてないとか言い訳をして逃げ回っている。

だけど、衝動性に任せて「迎え撃つぞ〜!」と息巻くわけでなく冷静に兵力分析した上で「このままでは勝てない」と判断して次の行動に即座に移っていきます。

ADHD特性をうまく使える鍛錬をしていた

ちなみに吉田松蔭は単なる無鉄砲ではなく、11歳にした山鹿流兵学という当時の兵法を修め、殿様に講義する立場になるくらいの秀才でした。

鍛錬を継続する心、集中力が高くないとなかなか達成できない偉業です。

この知識と培った忍耐力は「衝動性」を抑えるのにとても役に立ったと思います。

先程黒船を見て、全く異なる動力原理で動く船とそれにくっついている大砲を見た瞬間にこれまで学んだ兵学では太刀打ちはできないと直感的に悟ります。

そこで、「誰かがやるべき」とか評論するのではなく、長州の殿様にしかるべき進言しつつも、フリーのサムライとして短期、中長期でやるべきことを自分ごととして決め、連動する仲間を創っていきます。

まったく余談ですが、ADHDの多動性とか衝動性は裏目に出ることもあるんですが、本人的に生存本能的にやばいと思われる事態に直面した時に

1.「ざわっ」とする

2.何したらいいか、アイディアが出る

3.瞬時に判断して動いちゃう

の三拍子で誰よりも先に危機回避の手が打てる時もあります。一定程度そのような特徴をもった人が集団の中にいるのは、企業、民族、大きくはホモ・サピエンス種の存続の為にも重要なのかもなとも想像してしまいます。


『士は過なきを貴しとせず、過を改むるを貴しと為す』

上は、幽囚録という書物の中の一節です。松蔭が師と慕っていた佐久間象山よりかけられた言葉として記録されています。

勘の良い方は分かるかもしれませんが、

論語「過ちて改めざる。其れを過ちという。」

の引用です。

松蔭先生は、天賦の才を持ちながらも自分の多動性、衝動性ゆえに悩むこともあったのかもしれません。

そんな松蔭を見抜き、師匠として

性質と未熟さゆえに、多少の失敗はするだろう。だから、「失敗をしない」ということを重要視するのではなく、ミスったら素直に謝り改めることを心がけよ

と励ましたのだと感じます。

さらに

『国家多事の際、能く為し難きの事を為し、能く立て難きの功を立つるは、過を償ふの大なるものなり』

と続きます。

国が大変な時に、(他の者ではビビってできず)松蔭しかできないようなこともある。だから、そういった大事に取り組んで功を立てれば、過去の罪(脱藩とか)を償う以上となるぞ。きばって頑張れ!

というような意味になります。

後日の松蔭の運命を知れば、若者を焚き付けて鉄砲玉にしたようにも見えるかも知れません。

でも結果としてみれば、松蔭だけでなく門下に多くの人材を排出し当時の日本の一大危機を脱すること貢献したことになります。

象山自身は傲慢なところがあったらしいのですが、人を焚きつける能力はピカイチだったと思います。

今風にいえば、その人物の良い部分を活かして、事業に対し「自分ごと」として取り組ませる為のアドバイスセンスがピカイチとなるでしょうか。

当時の武士達は当然に古典の素養があったわけで、それを良い感じで象山なりのアレンジを加え、松蔭の性質、時代背景と託すべき役割を認識した上での言葉だなと感じます。

まとめ

今回は最近僕が探求してきた「ADHDの才能の活かし方、ネガティブ面の消し方」「吉田松陰の残した言葉」にクロッシングポイントを発見したというお話でした。

偉人伝や歴史を学ぶ面白さは現在に繋がる点を見つけられることだと思っています。あ〜そうだったのか!ということがたくさん見つかります。

時代時代にルールや社会規範というものがあるのですが、時代が移り変わるとき、古くなったルールに盲目的に従うことは破滅の道をたどることになるかも知れません。

うまく合意形成して次の枠組みを創るのが一番ですが、時には革命や血が流される事態も起きつつ、人間は歴史を重ねて来ています。

また、偉人といえども人間なので、君子聖人ではないわけです。様々な失敗を重ねています。

きっと自分と被ったようなお気に入りの偉人も見つかるかもしれません。

今日取り上げた吉田松蔭は、近現代日本の起点を創った人です。

そして松蔭は基礎となる学問を修めた上ながらも、人生途中から自分自身の気質や特徴に気がついて、それを活かす為の鍛錬だったり、仲間づくりをしていった。そして、その陰には佐久間象山の存在も大きかったのではないでしょうか。

僕も日々を生きていることに精一杯になりがちです。

ただ、松蔭の短い生涯の中で学びと探究の中で自分の長短所を自覚し、それに流されるのではなく、良いところを伸ばし、悪いところは目立たせない為の工夫をしていました。

意図的に未知の領域に踏み込み、自ら白帯として鍛錬する機会を作り出すこと、良い師匠を見つけて素直に学ぶことも大事だぞと教えてくれている気がします。

松蔭は微罪で逮捕された際に老中暗殺計画を自ら告白し、それが原因となり死罪を言い渡されて伝馬町の獄で露と消えます。

諸説ありますが、僕にはこの行動は「衝動性」による行動ではなく、自身を処刑した事実によって門下生の怒りを焚き付け一気に新しい国づくりを進める燃料を与えるための選択であったと思います。

「諸君、狂いたまえ」の言葉は、その行動と確信犯的にセットになって強力な力を持ったのでしょう。

今の時代は自分の命と引き換えにという部分は真似できるものではないですが、変革期には常識人からすると「狂人」と思えるような人が現れて、活躍するものなのかも知れません。

いい大人になりつつも、世間常識に縛られて生きるのが苦手な自分にも、それならば別の役割があるから精進しろよと言われている気がしました。


おまけ:勉強会で学ぶ**

一人で本を読んでそこから学ぶのもいいですが、読書会とか、勉強会を通じてだとさらに学びは深まります。

2ヶ月に1回ですが、僕の師匠でもあり、偉人伝教室を福岡中心に主催されていらっしゃいます、寺子屋モデル社長の山口秀範氏を講師にリアルな勉強会in東京またはオンラインで開催しています。

ご興味ありましたらメッセージください。

長文読んで頂きありがとうございました。


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