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恋するスイッチ/ショートショート

【563】

”パチン”と胸の奥の方で音が鳴る。何かが弾ける音じゃない。何かが始まる音。
それは恋が始まる合図。

”好きかも”という予感がどこかで”好きなんだ”と確信に変わる。脳内の管制塔から血液が体内を巡る様に一気に駆け巡る。やがて体が紅潮して止まらない。

いつの間にか目で追いかけて、君の仕草に魅せられる。
笑い声、表情、視線。叶うことなら私に向けてとわがままな想いが高まる。
もっと知りたい気持ち、もっと傍にいたくなる気持ち。それはもう恋をしている証拠。

”ちょっと気になるから”なんて言い訳は誰のためのもの?それは正直になるのがちょっと怖いから。
引き寄せられて後戻りできなくなる予感。
でも、そんな気持ちでさえも抱きしめて欲しい。君のその細い両腕で。

ある日から晴斗って呼び方に変わった。
「晴斗って呼んでください」と君から言われたときはドキっとした。
私はただの君のファンだったはずなのに。そうだな、ファンでありフォロワーってぐらい。

晴斗は《たちばな》って名前でnoteを書いている。実名の立花をひらがなに変えてたちばなさん。
私よりも少しあとに書き始めたけれど、ものぐさな私よりも定期更新をしていて作品はエッセイや小説がメイン。

彼の書く作品はどれもがリアルですぐ隣で起きているかの様な世界観。
実在する町の名前、お店、バンド名。エッセイでは短めのボリュームでしっとり書き上げて、小説のボリュームはだいたい5000文字ぐらいと聞いた。

特別な物語ではなく、友達にもいそうな主人公がストーリーの中で恋をする。
晴斗の書く作品は恋愛小説が多い。
男性のnoteで恋愛小説を書いている人はあまり見掛けない。そのせいか物珍しさと、その彼の絶妙な心情の描き方を好きになった。
なった、のは彼の作品であって彼自身じゃなかったのに。今はもうわからない。

noteを相互フォローし合って、Twitterも同様に。どうやら歳は晴斗の方が4つ上らしい。
どこに住んでいるのかはわからないけれど、海が見える町にいると何かのエッセイで読んだ。

いずれのアイコンも同じで少し斜めを向いて伏し目な晴斗の顔しか私は知らない。
時折、互いのnoteにコメントしたり作品についてDMで話した。
彼の小説にはたくさんのスキが付けられて、それを目にするとどこか遠い存在に思えてしまって少し一人きりの気持ちになる。

あるコンテストで晴斗は入賞を果たして余計に人気noterとなった。
どこかリアルな恋愛小説について私は
「たちばなさんのお話は実話なんですか?」
と聞いたことがある。
「うん、ちょっとそんなところもあるけど、ちょっとですね」
とやや曖昧に答えた。

作品のことだ。全てを読者には明らかにしないのも納得出来る。
「そうなんだ。いつか自分にも訪れそうな物語でね、素敵だなって思うの」
私は確かな本音をそう伝えた。

恋愛経験が豊富ではない私は晴斗の書く小説の世界に浸り、自分を投影させた。
過去の数少ない経験、片思い。
不思議と重ねる情景、季節、年代。

彼は私の過去を見てきた人なのかと感じるほど。小学校のときに片思いだった男の子が引っ越してしまったこと話。
告白しようとしていた人にクラスメイトが先に告白して諦めた話。キスだけしたのに付き合うことがなかったある夏のこと。

彼の描く世界はそんないくつもの話が私の過去と重なる。確かによくあるケースかも知れない。でも彼に見られていた過去があるのなら嬉しい。そんな感情も芽生えた。

いわゆるエモい思い出話があれば、もちろん大人の恋愛小説もある。
性的な描写には心臓を鷲掴みにされた苦しさを覚え、内緒の恋愛はいつか経験するのだろうかとまだ見ぬ未来の恋愛を想像させる。

ある日晴斗からDMが届く。
私の投稿したnoteについてのことだった。このところ少し気持ちが落ちていて、思わずそれを書いて投稿してしまった。

「カナデさん元気ですか?ちょっと心配です」
「ごめん、暗めの内容を書いてたよね」
「何かあったの?お仕事?」
「うん、仕事とね彼。彼って言っても元カレ」
「辛いことが重なっちゃったんですね」
「わりと頑張っちゃうんだけどダメだった」
「ダメじゃないです。弱さ見せていいと思う」
「たちなばさん優しいですね。嬉しいです」
「あの…晴斗って呼んでください」
「え、晴斗ってお名前ですか?」
「はい、本名です。カナデさんはずっと仲良くしてくれてるからいいかなって」
「ありがとう、それだけで元気になれるよ」
「悲しい時も嬉しい時もありますから」
「そうだね、晴斗君は元気?」
「元気ですよ!そうじゃないっとカナデさんのこと元気に出来ませんから」

どうしてそこまで気遣ってくれるのだろう。
晴斗から優しくされるのは嬉しかった。
救いの手に感じて、縋り付きたい程に落ち込んでいたし、その優しさがずっと気になっていた晴斗からならこれ以上のことはないのだから。

晴斗は私のことをカナデと呼んでくれる。
私の方は本名じゃない。
だけど、たちばなさんとカナデとして出会ったから、カナデって呼ばれるのがなんだか好きだった。

私は晴斗のことは気になっていた。好きだったかはわからない。
でも、その日のやり取りですべて変わった。
信号待ちしていた交差点でトンって背中を押されたみたいに不意に飛び込んだ事故みたい。

伊坂幸太郎の『グラスホッパー』の1シーン。押された体は無抵抗に車の群れに吸い込まれてく。
恋するスイッチは”予め”なんて準備時間を与えない。唐突。
けれど、それまでの時間の中でしっかりとじゅくじゅくさせて気持ちは生まれてる。
それを自分にただ突き付けるだけ。

”もっと”という気持ちが少しずつ晴斗に向いていく。

彼の生立ちも、恋愛、仕事も全てが知りたい。日頃から晴斗がどんなふうにしているだろうと考える。その時間が増えるだけで幸福感で満たされた。

先日《元カレ》なんて言葉を出して恋人がいないことを話してしまったが、晴斗に恋人がいるのか私は知らない。
素敵な小説を書く人だ。恋愛経験も豊富だろうし、きっと恋人もいるはず。
そうやって考えると”そうだよね”と弱音がこぼす。

今まで読んだことのない彼の作品を時間をかけてゆっくりと読む。
主人公の女の子が泣いていると同じ気持ちになり、抱き締められているシーンを読めば同じようにときめいた。キスをすれば、もっとしたくなる。
そうやって思い浮かべるのはいつだって晴斗のこと。

たくさん読んで”スキ”を付ける。彼の方にはその通知が1つ、また1つと届いているはず。ちょっと迷惑かなって思いつつも彼の小説の世界に潜り込んで止まらなかった。

するとその夜、晴斗からDMが届いた。

「カナデさんたくさん読んでくれて嬉しい」
「さすがに一気に読み過ぎだったよね。通知うるさくなかった?」
「そんなことないです。嬉しい!ってだけ」
「止まらなくなっちゃって…全部好きな作品」
「最初の頃の作品は少し恥ずかしいけどね」
「あの煙草を吸う女性の話ドキドキしたな」
「なんだか全作品の解説をしたくなりますね」
「えー、そんなことしてもらったら嬉しい」
「オンラインとかでやってみますか?」
「うーん。なかなかWi-Fi環境がね…」
「もし良かったらいつでも時間作りますよ」

彼の提案はドキドキさせた。
オンラインとは言え、顔を見ることになる。
未だ見たことのない恋する晴斗の顔。
そんなシチュエーションを想像したらとても堪えられないと思って会話を濁したのが正直なところ。
彼には恋人がいるかも知れない。
そんな相手に恋をしていることが知られたら馬鹿を見るのは私。不要な葛藤で一人疲れる。

晴斗の小説の世界みたいに抱きしめて欲しいけれど。それはきっと叶わないから。

私の勝手な思い込みなはず。それにしても今日の晴斗の小説も不思議。
”元カレ”との別れと似た様なストーリーは”なぜ?どうして?”という気持ちにさせた。

彼には何も話しちゃいないのに。私がきっと気を遣い過ぎちゃったんだろう。そう結論付けて終わらせた3年の交際。
元カレから最後に言われた言葉は「好きとかそんなものじゃなくなってしまった」それだけ。

私はらしくもなく後腐れなく連絡先を消した。もういいやって決めて歩き出した。
それなのに最近になって友達から聞いた話。
他にも数人他の女がいたってこと。別れた今関係ないことだけど、急に自分のことがバカらしく思えた。辛かった。
「好きとかそんなじゃ」って、他に気持ちが分散されて本当の気持ちがわからなくなっただけじゃない。

その私の別れが彼の小説に書かれている様で複雑な気持ちになった。
当然知る由もない出来事。

「晴斗君に聞きたいことがあるの」
「どうしました?」
「私と晴斗君って会ったことあるのかな」
「ない…と思いますよ」
「そうだよね。ごめん」

そう返信すると晴斗からはどうしたの?と聞いてきた。不思議がるのは仕方ない。
私は今まで感じていた気持ちを素直に話した。でも、それがあるから晴斗のことが気になったし、近くに感じることが出来ていたから。
何も悪いことじゃないんだけどね、と話す。

「それは確かに不思議。でも僕たちは生まれも年齢も違うから本当に偶然なんだろうな」
彼は何を思って返信をしているのだろう。
すると晴斗から、

「星の数ほどいる人の中でnoteを書いてカナデさんと繋がってるでしょ」
小説を書く人らしいロマンティックな言葉だ。
「しかもそんな不思議な気持ちを僕の小説で描けて、それは今カナデさんが話してくれたから知ったことだけど…」

5分ほどDMの流れが止まる。

「カナデさんを知れたみたいで嬉しい」
彼は嘘を付いたり出来ないタイプだろうから信じたかった。晴斗の”嬉しい”が私も嬉しい。

「よくある話だよね。恋愛って主人公が違えばすべてが新しいストーリーだもん」
「そうだね。カナデさん、今は元気ですか?」
「うん、元気。ありがとう」
「良かった。それなら僕も元気になれます」

彼はズルい。不用意に私の好意を掘り下げてさらって行くから。

晴斗は私のことを気に掛けてくれた。先日の話をしてから余計に。
でも肝心なことはわからないままで時間は過ぎるばかり。
晴斗はどう思っているの?ってことばかりがわからなくて。このままで十分私は幸せな気持ちにはなれるのだけど、前に進むときには小さな覚悟が必要。

私はもうどうにでもなれと思いながら晴斗にDMを送った。
「晴斗君こんばんわ。今日は元気だよ」
「カナデさんそれなら僕も元気ですよ」
「晴斗君に聞きたいことがあるの」
「いいですよ、聞いてください」
「素敵な小説を書いているたちばなさんには恋人はいるんですか」
わざとハンドルネームを使うのは照れ隠し。

「カナデさん正直に答えます。恋人はいません」
ただ、と彼は続ける。
「これも正直に伝えます。妻がいました。もうずっと前に」
「え…そうなの」
「はい、妻は持病があって若くして亡くなりました。知っていて結婚したのですが迎えが来るのが早かったです」
「ごめんなさい、辛い話させてしまって」
「いいんです。もうしっかりと受け止めていますから大丈夫」

これが電話だったら涙で声が出なくなっていただろう。自分の気持ちだけを考えて聞いた質問を悔やんだ。
なんてことを聞いてしまったんだろうって。

「気にしないでください。妻にも言われたことがあるんです」
「何を言われたの?」
「春ちゃんはこれからも恋をして人を好きになっていいんだからねって」
私のそんな強くはなれない。死んでしまった世界でも自分だけを愛していて欲しいと思うだろう。
「素敵な奥様。晴斗君の作品にどこか優しさを感じるのはその経験があったからなんだろうね」
「そうだね、恋愛小説を書いて愛とか考えて。好きになる気持ちを思い出してたんだ」
「そうだったんだ。どう?思い出せそう?」

それは自分のことはさておき、自然と発した言葉。
「最近ね思い出したんだ。大好きって気持ち」
それが私であって欲しいと少し願う。
「良かったね!きっと幸せになれるよ」
誰がどうじゃない。
私はただ晴斗に幸せになって欲しいと素直に思った。

「よし、ばっちりでしょ」
Wi-Fi環境を整えてスタンバイ。ネット環境を邪魔するものはないはず。
あと10分もすればオンラインで会う約束。

晴斗と初めて顔を合わせる。「ここから入ってください」とメッセージを添えてZOOMのURLが送られて来た。私はそれに従って入るだけ。
喉がやけに乾くのは緊張のせい。
オンラインなのに服装はどうしようとか、メイクはどうしようとか前日からソワソワ。
晴斗はどんな気持ちだろうか。緊張しているのかな。楽しみにしているのかな。

あのDMのやり取りのときに今度作品解説して欲しいとお願いしての本日。
晴斗は嬉しそうに快諾してくれた。

ZOOMが繋がる。
最初は彼の声だけが聞えて来た。

「カナデさんこんにちは!聞こえますか?」
彼もどうやらオンラインは不慣れらしい。少しかわいいと思えた。
「はーい!聞こえますよ、こっちの声はどう?」
「本物のカナデさんだ!って感動して聞いてます」
それは同じだってば。
ビデオがONになって黒髪の青年が映る。初めて見る晴斗の姿。
「バタバタしてすいません!あ、はじめましてですね」
「うん、はじめまして晴斗君」
「やっと会えましたね」
「そうだね」
「会っていきなり言うと驚くだろうけど…」「どうしたの?」
「カナデさんにいつか会えたら言おうと思ってました」
「何を改まって…」

「大好きです、カナデさん」

恋するスイッチがまた押されて動き出す。
私も彼のことが好きだ。今そうわかったから。もういいね?今度は躊躇わないから。
ちゃんと全部受け止めてよ。その細い両腕で。

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