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【270】真実と事実と命について

(※少し悲しい気持ちを綴る内容にしているので、途中からは有料にて公開としております)

悲しみも苦しみも《負の連鎖》は、たやすく素早く起こりやすい。
悪口も陰口もその口から溢してしまえば、それは駆け抜けるように広がっていくだろう。
「ここだけの話が」なんてものはなかなか存在し得ないものなんだ。
もし、それを口にするなら、そのときはそれなりの覚悟をしといた方がいい。

悲しみは簡単には世界を包み込むし、白く塗りつぶすよりも真っ黒に染める方が簡単で早い。

人の可能性は《心》が作り上げる。可能性は無限大とも言えるし、微かなものにでもなる。
でも、どうせなら無限大の人の可能性を信じたい
人が人と生きる世界でいるなら、それは儚くもない願いだろう。

幸せな気持ちになるのも、楽しいと感じることもある程度の努力を要するのに、こうも容易く悪いこと悲しいことが猛スピードで溢れかえることが世の中多く感じる。
そんなことばかりじゃないはずなのに、広がるのはそんなことばかり。

今日もこんなハッピーな一日でした。と、終われるエンドレスな日々を望むのは無駄なのか。
それとも、悲しみがあるから喜びを感じれるとでも言うのだろうか。もし、それを言われるようならそこに関しては「NO」と言い切りたい。

特に命に関してのことは尚更だ。


悲しいニュースはいつだって突然だ。
今年はやけにそんなニュースを目にする機会が多くなってる感じがしてる。
なぜだろう?ウイルスのせいで片付けられるだろうか。
そして、それだからと言って納得できるだろうか。
仕方ないよねと言えるだろうか。


事柄の真相を知りたくなる。
全くもっての他人事であるのにも関わらず、一つの衝撃が衝動を引き起こす。
《知りたい》欲が沸き上がり止まらなくなる。

なぜ?なぜ?

日頃から気にしている事柄、存在でないのにどうして人はこんなにも悲しみを追求したがるのだろう。
興味本意他ならない気がしていて。

確かに《好き》だったことはあるだろうけど、こんなことでもなければここまで深掘りしたがらないんじゃないかな。
知ったあとどうする?
誰かに教えてあげる?
あたかも、自分が見て知ったかのように。

そんなことしても、誰も喜ばないよね。
それに悲しみを深掘りして広めても傷付く人が増えるだけだと私は思っている。

ワイドショーや報道のあり方には疑問を抱くことが多く、それに左右される精神でいたくないとも思う。
知りたいことはそんなことではないし、そんな遺族想いではない報道なんて胸くそが悪いだけだ。
それを見て知って、私たちは何を感じたらいいのだろう?

憶測が飛び交うネットの世界もある。
一部分だけを切り取り報道して、あたかもそれが本当であるかの様にね。
誰かをターゲットにして、誰かを匿名で責めたりする。いいかい?それでは何も解決しないよね。


冷たく聞こえてしまうかも知れないが《事実は事実》だ。現実に起きてしまったことはもうそれしかないんだ。

受け止められないこともある。
受け止めたくないものもある。

でも、それだけが事実。取り返せないんだよ。
取り返せないのは命と時間。悔しいけど、それは戻すことが出来ない。

自ら命を断ってしまう。そうしたらもう《真実》は闇の中になる。
真相究明したくもなるし、それをどうしても知りたくなるが、命も時間も元通りにはならない。
だから事実を受け止めて、真実は関係のない人が知ろうとすることはしなくていいんだ。
悲しみを増大させても誰も救えないから。
真実の向こうに《後悔》が付きまとうことになってしまっても、それは誰も拭うことが出来ない。


答えを探して過去へ遡ることもするだろう。
見付けたとしても救われない悲しさは大きいけど、それでも身近な人たちはそうやって、微かな答えを探す。

そして、同じくして《見付けたい未来》がある

辛くて長い道のりが待ち構えているけど、その未来を見出だして行かなければならないんだ。
それは身近な人たちだけではなく、その事実を知っている全ての人に言えること。

だって、こんな悲しい事実はもいたくさんじゃないか。
だから、悲しみをどれだけ広げずに生きていけるかを考えなければならないんだ。



先日たまたま知人との間で過去の鬱の経験の話をした。
私自身が経験した鬱ではあったけど、他の人からしたらそれはもう顔を歪めたくなるようなことで。

確かに当時は辛かったけど、鬱である事実を知ったとき、それで納得できた自分がいて。だから、あまり気持ちは落ち込まずにゆっくりと体を休ませながらペースを取り戻して克服した。
半年ほどは心療内科へも通院したし、薬も毎日飲んだ。
職場における環境が原因ではあったけど、だからと言ってそれが改善されたりはなくって。

ただ、私は事実を受け入れただけだ。

だから、乗り越えて今があると思っている。
そして、それが出来ないから苦しんでいる人がいることも理解している。


気持ちの問題、鬱が引き起こす悲しい結末。
そうとは限らないだろうし、鬱が一生をダメにすることではないと私は思っている。
私の場合は《何もせずに休ませる》ことで回復させたけど、音楽や芸術などに没頭して、気持ちを浄化させてみることもいいとは思う。

闇なんてものは、一人一人の持っているものだ。
自分だけは違うなんてことはない。誰しもが抱える自分の中の闇の存在をどう受け止めるのか。
かと言って、簡単なものではないけど。

価値観や人生観、葛藤、悩み、成功体験。
そんなものが混ざり合って生まれるのが闇だ。
それがダメなものとして捉えずに、それも含めてが自分自身であること、完璧なんかはないんだってことをしっかりと理解することが必要だとは思う。

ただ、もしかしたらふとしたきっかけで再鬱状態になることはないとは言えない。それは危険なことだ。

日頃から、そうならないために自分自身のコンディションを把握できるようにはしておきたい。難しいことかな。

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