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真珠光沢を描くには・・・【真珠のはなし・前半】

昨年ムーンストーンについて書いた6月の誕生石。やはり本命(?)の真珠パールについても書いておかなくては。と思って書きはじめたものの、その6月が終わって2週間も過ぎてしまった。

じつは真珠について思うままに書いていたら、いつになく長くなってしまった。それでどうしたものか・・・と公開を躊躇していたのだけど、今回は2回にわけて公開することにした。まずは前半。後半は一両日中に。どうぞお付き合いください。

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言わずもがな、真珠は貝の体内でできる生物起源の宝石だ。

貝類は外套膜という組織で炭酸カルシウムをふくんだ分泌物を出して貝殻をつくる。体内に袋状の構造(パール・サック)ができ、そのなかで貝殻の分身のようなものができることがある。それが真珠だ。

この理屈では、貝殻をもつ貝類は潜在的に真珠をつくることができる。おなじように殻をもつ軟体動物、オウムガイやアオイガイ(カイダコ)なんかも真珠をつくるのだろうか。聞いたことがない。身近な生き物ではないので知られていないだけなのかもしれない。

2015年にベルギー料理店で食べたホタテから出てきた真珠。レストランで遭遇した真珠はこの一度だけ。わたしのFaceBookより。

真珠をつくる貝には二枚貝と巻貝とが知られている。真珠光沢の貝殻をもつのがおおいのは二枚貝。だから虹色の真珠光沢の美しい真珠はたいてい二枚貝のものだ。巻貝のつくる真珠にはアワビなどの一部の例外をのぞいて虹色の真珠光沢がない。そのかわり火焔フレイム模様と呼ばれる独特の構造があり、それもまた美しい。

「パール展」(2005年、国立科学博物館)の図録より。法螺貝のなかまのピンクガイ(クイーンコンク)がつくるコンク真珠のリング。もやもや見えるのが火焔模様。

貝殻の分身(=真珠)ができるパール・サックは、かならずあるわけではない。偶然なんらかの理由でできる。そこから生まれた真珠が天然真珠だ。

いっぽう外套膜の一部を移植する手術をほどこし、結果的に袋状の構造パール・サックを貝につくらせる技術がある。そうして人の手を介してできるのが養殖真珠。芯になる球体を入れる有核真珠と貝の体組織だけを入れる無核真珠とがある。この養殖真珠の技術が開発されたのは明治時代の日本だ。

「Feel the Pearl 感じるパール展」(2018年夏、ミキモトホール)で展示されていた、御木本幸吉氏から東大理学部動物学教室に寄贈されたという半円真珠の標本。養殖技術の開発初期のもの。

真珠をとるための貝は、真珠貝と呼ばれる。三重や愛媛、長崎で養殖されているアコヤガイは真珠貝の代表。近縁の種類はペルシャ湾やベネズエラにもいる。ほかに、フィリピンやオーストラリアのおおきなシロチョウガイ(白蝶貝)は南洋真珠を、タヒチなどのクロチョウガイ(黒蝶貝)はタヒチ真珠をつくる。淡水では、琵琶湖のイケチョウガイ、中国のヒレイケチョウガイなどがある。

古代より天然真珠を珍重してきたヨーロッパでは、養殖真珠が受け入れられるのには時間がかかった。当初は天然と養殖を識別することができず、おおきな論争にもなった。いまは天然真珠も養殖真珠もそれぞれの市場が確立されている。どちらもジュエリーの世界では重要な宝石だ。

真珠の魅力はなんと言ってもその虹色の真珠光沢。

真珠の滑らかな表面と、金属のようにシャープな反射光、いっしょに浮かぶ虹色。この真珠独特の色は、ボディーカラー(実体色)とオーバートーン(干渉色)にわけられる。

これらは鑑定・鑑別ではきちんと見分けて記載される。わたしは色石が専門だけど、ずっとずっと前に真珠鑑定の研修を受けたことがある。わたしは絵を描くので、色の名前はたくさん知っているし、だから細かく色の説明ができる。それを見こんでか真珠部門にスカウトされそうにもなった。しかし、真珠の色の評価はそうとう経験を積まないとかなり厳しそうだと実感した。

微妙なオーバートーンの見極めと記載は一朝一夕でできるものではない。色の見え方には個人差があるし、ボディーカラーの影響も受ける。鑑定機関のおおくで人材が不足しているらしい。

ちょっと話がそれた。

この真珠光沢の仕組みは、真珠のできかたに関係している。

真珠貝は、パール・サックのなかで薄い炭酸カルシウムの結晶を規則正しく積み重ねる。正確にいえば、炭酸カルシウムの結晶と有機物(タンパク質)の層を交互につくる。幾重にもその層が重なると、それぞれの層で反射された光が干渉するため虹色にみえる。多層膜干渉と呼ばれる現象で、タマムシの上バネもおなじ原理で虹色に輝く。

この真珠層がぶ厚くなればなるほど、ボディカラーが濃くなり、オーバートーンが強く出る。有核養殖真珠で真珠層の厚み(よく「巻き」と呼ばれる)が重要なのはそのためだ。巻きの厚い真珠をつくるには長い時間が必要。真珠貝の養殖(真珠の養殖とは別)もそれだけむつかしくなる。

なお、真珠層のなかの有機物層にふくまれる色素によって真珠のボディーカラーが決まるそうだ。色素は外套膜の部位によっても微妙にちがえば、貝の成育環境にも影響を受ける。良い真珠をつくるための真珠貝の養殖は、経験と根気、そして災害や汚染のない最適な環境が不可欠だ。

真珠が貝殻の分身のようなものだと書いた。真珠光沢は母貝のほうにもある。真珠層の厚みのちがい、微妙な凹凸や角度によって、虹色のオーバートーンの現れかたは千差万別。

わたしはこれまで貝殻の絵をたくさん描いた。真珠光沢のあるものもないものも。

ふだん真珠光沢を意識しない貝、たとえば牡蠣でも、注意して見るとうっすらと干渉色が見えることがある。貝殻のおおくには独特の透明感がある。そこには虹色を生み出すほどの厚みがなくとも、薄い炭酸カルシウムの層ができている。

いま牡蠣を例に出したけど(好物なもので)、わたしは外食の際、絵の題材に貝殻を持ち帰らせてほしいとお願いすることがある。

あるとき、お店のかたがきれいに洗ってくれて想像以上に真珠光沢が見えたことがあった。掃除は大事だな。

ボディーカラーとオーバートーン。この真珠光沢の仕組みを知ってから、画面に再現できないものかと試行錯誤した。試行錯誤と言っても、真珠層を紙やキャンバスの上に再現するわけではなく(それはさすがに不可能!)、透明色のオイルパステルをかさねたりしてイメージとしての近い表現を試みた。

これらはタイにいるときに、勤務先の標本を借りて描いたものの一部。ありがたいことに、いまは額装されてバンコク事務所の真珠部門に飾られている。これらの貝の絵を見せてほしいという問い合わせもあるそうで、ほんとうにありがたい。

母貝そのものも宝飾品につかわれる。母貝の真珠層の部分は、”真珠の母(Mother-of-Pearl)”と呼ばれる。言い得て妙だ。この語から養殖真珠の母貝を連想する。”母”の部分のもつ包容力に、大切に大切に真珠貝を育てる人びとと水域環境までが含まれているような気がしてくる。

昨年の11〜12月には、アコヤガイとアコヤ真珠をテーマにした個展「マザー・オブ・パール」を開催した。詳細は昨年末のnoteで書いたとおり。

真珠層は炭酸カルシウムと有機物の互層だと書いた。真珠層のなかの炭酸カルシウム結晶は0.35から0.43ミクロン。有機物層はさらに薄い。あわせるとちょうど可視光線の波長と重なる。薄膜干渉が起きるのはこの薄さのおかげだ。

顕微鏡で観察すれば真珠の表面が多層膜になっているのがわかるけれど、肉眼では無理。ルーペならかろうじてわかる。

わたしがたびたび言及している13世紀のティーファーシーの書籍。真珠はペルシャ湾が産地ということもあってか、真っ先に出てくる重要な宝石だ。そもそも当時のアラビア語では(現代の北アフリカでも)「宝石(الجوهر、ジャウハル)」は真珠も意味した。さらにその真珠については、日本の出世魚のようにサイズによって別の語で言い分けているぐらいだから、その重要度はあきらかだ。

真珠について、ティーファーシーの記述を読んでいると、「薄い層が重なりあってできている」とある。

この真珠の成層構造について、ヨーロッパでは18世紀にフランスのルネ・レオミュールがはじめて記載している。そのはるか前の中世イスラーム世界で、どうやってこの微細な構造を知ることができたのだろう。ティーファーシーは、この層がなければニセモノだとも書いている。古くからニセモノがあり、その真贋を顕微鏡レベルの構造で判断する・・・中世イスラームの技術、まだまだわからないことばかりだ。

ティーファーシーは、前時代のマスウーディーや古代ギリシャのアリストテレスを引用して、真珠貝の生態や採りかたなどについても書いている。貝が開いたところにカニが小石を挟んで隙間から貝の身を食べるとか、大雨の日に浮かんでくるとか。はたまた潜水夫は特製の道具で30分も潜れた、潜るのは午前中だけ1日3回、サメに襲われそうになれば油を放って撃退したとか。その説明は、ほかの宝石よりも気合いが入っているようで読みごたえがある。

真珠光沢についてはどうか。単に白くて丸くてオーバートーンの良いものが価値が高いとは書かれているけど、光沢そのものについての言及は見当たらない。虹色の正体については中世イスラームの科学力をもってしても仮説が立てられなかったのだろうか。いや、あの科学力があったからこそ説明のつかない現象については書けなかったのかもしれない。

◆◇◆

ボディカラーは有機物層の色素に左右され、オーバートーンは炭酸カルシウムの成層構造に起因する。ボディカラーとオーバートーンがわけて考えられるのには、こうしたメカニズムの仮説による。しかしこれらは独立した現象ではなく、互いにかかわりあっている。

オーバートーンのような、その構造に由来する色あいを構造色と呼ぶ。真珠のほかにタマムシを例に挙げたけど、シャボン玉や蝶の羽、DVDなど構造色の例はいくつもある。あ、オパールの遊色効果もそうだ。

気づきにくいことだけれど、ほとんどの物質には多かれ少なかれ実体色のうえになんらかの構造色がかぶさっているのかもしれない。わたしはそう思っている。

絵画でいえば、画材のなかの顔料と支持体の表面、メディウム、それらが微妙にかかわりあって、絵の発色や質感表現ができている。だから絵は実物を観ないとわからないことがおおい。真珠も色石も、やはり実物を観ないことにはその魅力は伝わらない。

わたしたちが見て感じる実物の”感じ”。真珠や真珠貝のボディカラーとオーバートーンは、その”感じ”をわかりやすく理解できる好例だろう。その”感じ”を別の形、たとえば絵画で表現するのには、やはりそのメディアの発色の仕組みをフル活用しなければならないはずだ。

これはわたしが昨年末の個展の作品を制作するのに考えていたことだ。いや、個展の後でより言語化できた視点だと言っても良い。

誕生石の話のはずが、真珠がらみとはいえ絵の話にすりかわってしまった。後半は、またちょっと真珠に戻った話を書く予定。

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