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サファイアのひみつ

9月の誕生石はサファイア。わたしは宝石鑑別の仕事がら、ひととおり誕生石をおぼえている。だけど、いまの仕事に就くまではあまり興味がなかった。それでも、この「9月の誕生石サファイア」だけは以前からおぼえていた。自分の誕生月が9月だからというのはもちろん理由のひとつなのだけど。

サファイアといえば、手塚治虫の少女マンガ『リボンの騎士』の主人公。わたしは熱烈な手塚ファンだ。わたしの記憶に、サファイアの宝石名がのこっていたのは、じつはこのおかげ。今回の見出し画像は、手塚さんの直筆サイン色紙のリボンの騎士のとなりに岩石標本(青い部分がサファイア)をのせた写真にした。どちらもわたしの宝物だ。

サファイアはとてもポピュラーな宝石なので、鑑別の仕事では毎日かならずみている。しかも産地鑑別がむつかしい場合があってよく悩まされる。それで手塚マンガ以来の親しみが持続しているのかもしれない。

そのサファイアは、鉱物としてはコランダム。7月の誕生石ルビーもおなじくコランダムだ。だから、noteに書けそうな内容をさがすと、7月のエントリと重複しそうなことが多い。最近よく引用している13世紀アラブ世界の書籍でも、ルビーといっしょに述べられている。この本のサファイア関連部分についてはすでに書いてしまった。

これまで一日一画ではいくつかサファイアを描いた。羅列してみると、原石から研磨石、ジュエリーまである。色は青いものが多いけど、透明度はいろいろ。産地もスリランカ、ミャンマー、タイとさまざま。これだけ描いているということは、やっぱりわたしにとって身近な宝石なのかもしれない。

ここで最後に挙げたものは、ちょっと特殊なサファイアだ。ドーム状のカボションに研磨されていて、上から光をあてると、6条の光線が放射状になったパターンがあらわれる。これが星のようにみえることから、スターサファイアと呼ばれる。

このスターサファイアに見られる6条の光線は、インクルージョン(包有物または内包物)による。石の外からはいった光は、このインクルージョンに反射する。これが規則的にならんでいるおかげで”スター”になる。

下の写真は、今年出版されたばかりのスミソニアンのコレクションをまとめた書籍『Unearthed』(J. E. Post著)より。”Star of Asia”の愛称で知られるスリランカ産のスターサファイアとその拡大写真。

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このスター効果をつくりだすインクルージョン、コランダムの場合はほとんどが針状にのびたルチルという鉱物だ。コランダムの結晶構造に関連して120度に交わる3方向にならんでいる。

この美しい織物のようなパターンから、宝石鑑別の現場では”シルク”とよばれている。サファイアの産地は、古くはアジアばかり。ヨーロッパ人の感覚では、東洋由来の絹のようにシルクロードをわたってきたエキゾチックな印象をもたれていたのかもしれない。

スターサファイアになりそうな原石をみつける方法を、宝石ディーラーのかたに見せてもらったことがある。コランダムのなかのシルクが六角形のパターンにみえる箇所に水滴を落とす。その水滴を上から見て6条の”スター”があればアタリ。その原石をカボションに研磨すれば良い。わたしもいくつかもっている原石でためしてみたのだけど、残念ながらスターはみえなかった。

このシルクを構成しているルチルは、いくつかある酸化チタンが結晶化した鉱物のひとつ。わりと多くみられるもので、水晶などほかの鉱物結晶のなかにもできていることがある。

ルチルはすべてが針状なのではなく、晶出するときの条件によっていろいろな形のものができる。わたしのコレクションにはルチル単体の結晶はないのだけど、ルチルの結晶格子の模型ならある(笑)。

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サファイア(コランダム)は、屈折率が1.76〜1.77。わりと高い屈折率の鉱物だ。インクルージョンのルチルの屈折率は、2.62〜2.90。さらにとても高い屈折率なので、コランダムのなかでも光が反射する。スターサファイアの輝きが鋭いのは、ルチルの屈折率の高さが理由だ。

ルチルはとても安定した鉱物。ルチルもふくめてチタンの化合物はさまざまな産業用途につかわれている。わたしの眼鏡のフレームも軽くて強いチタンフレームだ。

チタニウムホワイトという油絵具がある。これも二酸化チタンが原料。隠蔽力が強くてハイライトの描写に最適なので、わたしは重宝している。ハイライトというところがちょっと鉱物のルチルと通じるところがある。

そうそう、かつてダイヤモンドの模造品としてつくられた合成ルチルなんて人造鉱物もあった。いまや、ある意味でとても貴重な存在かもしれない。

脱線しかかってきたので、サファイアに話をもどす。

純粋なコランダム(酸化アルミニウム)は無色透明なのだけど、主成分のアルミニウムが別の元素におきかわることで、さまざまな色がつく。

サファイアの青色をつくっているのは、アルミニウムを置換している不純物の鉄とチタン。これらがとなりあう位置にならぶと、電荷移動チャージトランスファーというメカニズムで黄色〜赤色の吸収がおこる。吸収されずに透過する光の成分が青〜バイオレットなので、石が青く見えるというわけ。このように、チタンと鉄がとなりあうとサファイアの青色ができる

このチタン、サファイアの色だけでなく質感にも影響している。

コランダムが結晶化する際、結晶構造にとりこまれない余分なチタンは別の鉱物として結晶化する。その代表格がルチル。ルチルはスターをつくるような針状に成長することもあれば、ちいさなちいさな粒子状になったりもする。

伝説的な産地であるカシミール産のサファイアには、その柔らかな質感から”ベルベット”と呼ばれるものがある。ここ数年、オークションハウスで高額で落札されているのを見かける。このベルベットの正体も、じつはこまかな粒子状のルチルだ。

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これは、パンデミック前の2019年末に国立新美術館で開催された『カルティエ、時の結晶』展の図録から。パンテールがパランスボールみたいに乗っかっているのが、カシミール産サファイア。このベルベット感、写真でつたわるだろうか。

さきほど「チタンと鉄がとなりあうとサファイアの青色ができる」と書いた。

このメカニズムを利用して、加熱処理がほどこされるサファイアがある。コランダムの融点は2000℃超。いっぽうでルチルの融点は1800℃あまり。コランダムが壊れず、ルチルが壊れる絶妙な温度で焼くことでおきる現象がある。

針状のルチルの結晶が壊れて、その材料であるチタンがイオン化する。そして、コランダムのなかの鉄イオンとペアになり、電荷移動の仕組みで青色がつく。サファイア内部のインクルージョンからチタンが拡散して色がつくカラクリだ。色がつくとともに、ルチルが壊れるので透明度が増す。下のスライドがその例(右半分が加熱処理後)。わたしが7月前半におこなったウェビナーより。

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内側からだけではなく、外側からチタンを拡散させて青くする”チタン拡散処理”というものもある。これは表面付近にだけ青い色がつき、そのあとで研磨されるのでファセット境界の色が濃くなる。その色だまりをさがせば容易に見分けがつく。このチタン拡散サファイアは人工的に着色したものとみなされるので、二束三文。もはや宝石の価値はない代物だ。

このように、チタンは天然サファイアの発色、そしてその仕組みを利用した加熱処理に密接にかかわっている。スターサファイアやカシミール産サファイアのベルベットのような質感にもかかわっている。チタンなくしてサファイアなし、ともいえる存在だ。

冒頭でふれた『リボンの騎士』のサファイアは、天使チンクのいたずらで男女両方の心をもって生まれたという設定になっている。男の心と女の心がいれかわったりする。サファイアが王女として生まれたシルバーランドの決まりでは、女性は王位を継げない。サファイアは王子として生活しながらも、男女両方の心のあいだで葛藤しつづける。

『リボンの騎士』は1950年代に描かれたマンガだ。60年ちかくも前だけど、ストーリーをとおして浮き彫りにされているテーマは、アイデンティティとジェンダーにまつわる社会的な問題。このテーマは、ここ数年ようやくひろく認識され、議論されるようになってきたものだ。時代がようやく手塚治虫に追いついたということか。

『リボンの騎士』のサファイアのなかの男女の心。かなりこじつけに聞こえるかもしれないけれど、宝石サファイアのなかのチタンみたいだと思ってしまう。そのありかたで色にも質感にも影響するところなんかが、似た関係にあるからだ。

わたしの悪い癖で、いろんなものをあれこれ関連づけて考えてしまう。宝石のサファイアと漫画のサファイアをおなじエントリで書いたので、いささか迷走してしまった。でも、水滴を垂らしてスターサファイアの原石を見つけるみたいに、ちょっと違った視点でいろんなものが見えないかなぁなんてことは、いつも考えている。『リボンの騎士』からこんな連想をする読者はさすがにいないだろうな。

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