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ウロボロスになったセルペンティ

宝石の鑑別という仕事がら、ハイジュエリーはよく目にしている。ありがたいことにいくつかのジュエリーブランドから企業研修の講師として招かれたりして、そこの製品だけでなく歴史や理念にも触れる機会ができた。いつのまにかそうした直接的な縁があるブランドでなくても関心を持つようになった。

宝飾店ブランドはデパートのなかに入っていたりもするし、銀座なんかには路面店があったりするから、ふらりと立ち寄ることもある。

わたしのような男性のひとり客だと
「贈り物をお探しですか」
と訊かれるのが定番で、
「いいえ、購入の予定はないのですけど興味があるのでちょっと見せていただけますか」
などと返すとけっこういろいろなものを見せてくれて勉強になる。ふだん鑑別している宝石がどんな製品になるのかを知る機会にもなる。

路面店とくに旗艦店だとブランドの理念が内装やレイアウトからもわかりやすく表現されていて、そんな場にいるのも楽しい。しかし店舗ではあるので、いくらわたしが図々しいとはいえ冷やかしばかりだとちょっと申し訳ない。その点では、その場での販売を目的としない展示会があれば気兼ねなく観られるのでありがたい。

先日そんなハイブランドの展示会に出かけた。

場所は原宿の駅前。昨年書いたポメラートの展示会で行ったところだ。ここは数年前にオープンしたイベントスペースで、わりと頻繁にブランドの展示会がおこなわれている。noteに書いたのはポメラートだけだけど、わたしは他にもちょくちょく足を運んでいた。

今回はイタリアのブランド、あのブルガリ。知名度は抜群だからまさか今さら周知するのが目的ではないだろう。固定の上顧客はとうぜんあるし、そうした層への宣伝はふつうは不要。そうすると一般向けに無料でおこなう展示会にはどんな目的があるんだろうか、と不思議に思う。写真撮影は自由だったからソーシャルメディアによる宣伝効果を利用するためなんだろうか。たしかに“映え”ポイントはいくつも用意されていた。

この展示会のテーマは、ブルガリを代表する意匠であるセルペンティ(蛇)。銀座のブルガリにも、ビルの前面にセルペンティがいる。

後日たまたま銀座へ行ったのでその時に店舗前からビルを見上げてパチリ。

そのセルペンティのラインナップが世に出たのは1948年。今年で75周年になる。

「ブルガリ セルペンティ75周年 時を超えて紡がれる無限のストーリー」

これが展示会のタイトル。各国を巡回してようやく日本での開催だという。そういえば昨年だけどAmazonのプライムビデオで視聴できたドキュメンタリーとか大きめのメディア露出があったのもその一環だったのかもしれない。

会場の外観も蛇のウロコを模している(見出し画像)。75周年を祝うアイコンは数字を輪になった蛇(ウロボロス)が囲んだ形になっている。

会場の壁面にあったウロボロスマークの写真を撮りそびれたので、もらったコースターを。

ウロボロスは無限、永続、完全などの象徴だ。なるほどこれだけで企画の「セルペンティ75周年 時を超えて紡がれる無限のストーリー」がわかる。ムダのない秀逸なデザインだ。

展示の前半はパネル展示も交えたセルペンティにまつわる逸話とブランドの歴史や製品の設計について。ところどころに古いセルペンティのジュエリーが展示されていた。

ジュエリーが飾られている部分の側面と柱が鏡になっていて、周りの反射像からすぐに正確に認識するのがむつかしい空間になっている。
エメラルド、サファイア、ダイヤモンドとエナメルを使用した1969年のゴールドのネックレスとブレスレット・ウォッチ。ブルガリ・ヘリテージ・コレクションで非売品とのこと。

重厚なネックレスなどはとくにそのつくりの丁寧さが際立っている。ネックレスとブレスレットは可動部がけっこうあって、蛇らしさの再現とともに高い技術力が活かされている。

そのつくりの良さはパヴェのダイヤモンドのテーブル面が綺麗に揃っていたり前からは見えない部分まで丁寧に整えられていて隙がないところなんかからわかる。鑑別の仕事でもハイジュエリーはたびたび見る機会がある。ハイジュエリーはそうしたつくりがいずれも非常に丁寧だ。

ジュエリーの造形でわたしが最も気に入ったのはこれ。

エメラルドとダイヤモンドのセルペンティ・ネックレス

グリーンのラインで表現された蛇の動きがリアルだ。移動動物園なんかの蛇を巻きつけるアトラクションを彷彿させる。このライン部分はバフトップ(上面が丸く研磨されていて下面にファセットがある)が並べられている。蛇が抱くペアシェイプの大きなエメラルドはインクルージョンがほとんどない。バフトップのほうはこのサイズでこの色の濃さだから、これらのエメラルドはザンビアかジンバブエ産だろうか。

裏面中央に留め金

胴体部分に1〜2センチごとに可動部がある。蛇の滑らかな体表を再現したものだからそうした部分と留め具部分の工夫もうかがい知れる。

いっぽう、ウロコが目立つセルペンティもいた。ぱっと見ではどこが可動部なのかわからないけれど、これもわりと細かく動くようにできていそうだ。

ウロコが印象的なネックレスとブレスレット・ウォッチ。衣服に引っかかりそうでハラハラする。

こちらはウロコのひとつが留め具になっていそうだなと思ったら、そうではなく頭の部分にあった。首のまわりにぐるりと巻き付けてから留めるのだとすると、やはりけっこう滑らかに動くようなつくりになっているのかもしれない。

横から見ると頭の部分に留め金があるのがわかる。

もうひとつ、エメラルドのほかにクリソプレーズをあしらったセルペンティ。クリソプレーズは微細なクォーツの集合体であるカルセドニーのひとつ。ニッケルによる着色でブルーを帯びたグリーンになっているものがクリソプレーズと呼ばれる。

エメラルド、クリソプレーズ、ダイヤモンドとゴールドのネックレス

このクリソプレーズひとつひとつが蛇の柄にぴったり合うように削り出されているのは驚異的だ。それぞれは似ているけれどふたつとしてまったく同じピースはない。ふと自然史系の博物館にある骨格標本のレプリカづくりを思い出した。

ジュエリーの展示だけでなく、インスタレーションや映像スペース、バーカウンターなども用意されていた。それらの空間も居心地が良く、またそれが刺激的だった。そこはホテル経営もやっているブルガリならではの演出なのかもしれない。

これは日本展のみの演出かもしれないけれど、枯山水を模したインスタレーションがあった。株式会社stuとうえ加藤造園のコラボレーションによるSandscape Garden。

砂の上を金属のボールがずりずりと動きながら跡をつける。その痕跡がいつの間にか蛇の形になっているというもの。景山は石灰岩。空隙のある層が見えるのでトラバーチンだろう。ブルガリの拠点がローマにあるので、それに因んでいるのかもしれない。トラバーチンは水中の溶存炭酸カルシウムが沈澱してできた石灰岩。長い長い時の流れを象徴するモチーフとしてはナイスセレクションだと思う。

蛇模様がある程度できあがったら傍にひかえる担当者が消してゆくのも永続性というか無限性を象徴している。

写真にボールが写っていなかったので、別に撮った動画から切り抜いて重ねてみた。蛇の姿がある程度できてきたところで、係のかたがならして消していくところ(右上部分)も併せての演出がニクい。

そしてエマニュエル・ムホーによる100 colors no.50 Serpenti。100色をつかって347,100個のローマ数字が巨大な透明アクリルパネルに書かれ、それがトンネルのように配置されている。両端には鏡があるので無限に続いているように思えて、なかをくぐると不思議な没入感がある。

ムホー氏は日本在住の建築家。重なるアクリル板のゲートは伏見稲荷の千本鳥居みたいだ。膨大なローマ数字が書かれているところからも無限がモチーフになっているのがわかる。エンドレスな感じはウロボロスになったセルペンティを彷彿させる。

いつまでも続くカラフルなトンネル。反対を向くと鏡に映った自分の姿。自撮りに慣れていないので撮影時もしかめっ面でスマホ画面を見てしまった。

もうひとつ、別棟に現代アーティストのレフィーク・アナドール氏による没入型インスタレーションがあった。この空間は床面と天井、壁面の一部が鏡になっていて、壁面の大型ディスプレイに蛇の体表のようなカラフルな模様が映し出される。それがアニメーションで動いているというもの。あのチームラボの空間演出を思い出した。

ほかの来場者が映り込むので、わたしは写真は撮らなかったけど、これもほかのインタレーションと同じくセルペンティの持つ無限性がテーマになっているのがよくわかった。

そしてノンアルコールのカクテルとポップコーンが供されるバーカウンター。一人でも二人でも大人数でもくつろげるようなスペースが用意されていた。

バーカウンター。実際この左側には数名の来場者とバーテンダー係のかたがいたのだけど、ちゃんと映り込まない角度が用意されていてこの写真が撮れた。このコースターが例のウロボロスマーク。

バーカウンターと休憩スペースの向こうには大型スクリーンで上映されるドキュメンタリーのダイジェスト。Amazonプライムビデオの『Inside the Dream』だ。そうだった、このなかでもセルペンティが出てきていたのを思い出した。

ブルガリは19世紀後半にイタリアで創業したジュエリーブランドで、それでもほかの、とくにフランスや英国の老舗ブランドに比べれば後発と言える。現在のこの存在感と影響力は、ビジネス戦略だけではなくその製品の質と思想に依るところが大きいように思う。

2015年の秋に東京国立博物館で開催された「アート・オブ・ブルガリ 130年にわたるイタリアの美の至宝」展。当時わたしはまだ今の仕事に就いて2年目で、ジュエリーの知識も甚だお粗末な状態だった。

2015年のトーハクでのブルガリ展。仕事の後に行ったので夜の写真だけど、かえってブルガリらしいインパクトになった。

この時は図録が売り切れていて買えなかった。手元に資料は何もないのだけど、セルペンティのものはブレスレット・ウォッチが展示されていたのを覚えている。わたしが持っている2019年のブルガリの書籍でも載っているのはブレスレット・ウォッチだ。エリザベス・テイラーが愛用していたことでネックレスよりも人気があったのかもしれない。

『BVLGARI the Story, the Dream』(2019年, C. Ottaviano編, Rizzoli刊)より。シークレット・ウォッチになっているセルペンティたち。

じつはこういうブレスレットに見えるシークレット・ウォッチっていいなぁと思ったことがあったのだけど、幸か不幸かメンズのラインナップはなくて、そうこうしているうちに熱が冷めたことがあった。わたしが近年愛用している木製腕時計の会社に提案したら木でつくってくれたりしないかな。

今回の原宿での展示会、これまでいくつかのジュエリーブランドのものを観た。もちろんどれもそれぞれ印象的な演出で良かった。それぞれ楽しませてもらったのだけど、同じような感覚で足を運んだ今回のブルガリのセルペンティには良い意味で期待を裏切られた。

この空間でこれだけの演出ができるものなのかという驚き。そして今、セルペンティにからめてブランドの永続性をアピールする余裕。蛇は古くから図像学でも頻出したモチーフだけど、だからこその説得力がある。この展示会の発案者・設計者と話をしてみたいと思った。そんなふうに思えたジュエリーの展示会は初めてだ。

ブルガリはその大胆なデザインから「色石の魔術師」なんて呼ばれることがあって、その色石(カラーストーン)を専門に仕事をしている立場としては気になるジュエラーではあった。ジャイプールで大粒のエメラルドを買い付けるドキュメンタリーを観て、ダイヤモンドよりもカラーストーンを取り上げてくれるところに好感を持っていた。

しかし、宝石を超えた永続性をアピールしたセルペンティの展示、その展示の完成度の高さを見ると、ジュエリー文化の懐の深さをあらためて教えられたような気がしている。きっとほかのジュエリーブランドにもこうした視点はあるのだと思う。もっと丁寧に、ジュエリーの作り手の思想に寄り添って仕事ができないだろうか・・・そんな気づきが得られた展示会だった。

銀座のブルガリの入口のすぐ横にはこのセルペンティ軍団がディスプレイされている。


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