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コンスタブルが風景画で描いたもの

三菱一号館美術館で観たコンスタブル展。

先日のnoteでは、1832年のロイヤルアカデミーでの”対決”、とくにターナーの作品について書いただけで終わってしまっていた。

展覧会全体について書きたいけど、長くなりそうなので、ここでは話をこの”対決”にもどす。ほかの作品については、あらためて別のエントリで書くつもり。

というわけで、今回はその別エントリ。主役のコンスタブル作品について。

展覧会では、人物画や版画も展示されていたけど、なんといっても、コンスタブルといえば油絵の風景画。英国の町はずれの森林や田園、そして人びとの素朴な暮らし。それらが垣間見える風景画が、実に素晴らしい。

このnoteの見出しに使ったのは、この展覧会のショップで購入したクリアファイル。見開きで使えるタイプのもので、《フラットフォードの製粉所(航行可能な川の情景)》が両面にわたってデザインされている。コンスタブル展で、わたしが最も気に入った作品だ。

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上の画像は図録より。この作品、ほかの作品に比べて大型で、構図も隙がなく、描写も細かい。完成度がかなり高い。

画面の左半分、一点透視の消失点にあたるところに見えるのが、フラットフォードの製粉所。コンスタブル家のものだそうだ。ここに画材を置いて戸外製作をしていたらしい(羨ましいぞ)。

わざわざタイトルに”航行可能な川”と入れているけど、運河として使われていた様子がわかるよう、平底荷船が描かれている。川のすぐ傍に、細い道が奥へつづいていて、なにやら作業をする人たちと、仔馬に乗る子供の姿が見える。

川の対岸と画面の右半分に描かれた樹木。製粉所と運河のある画面の左半分を邪魔しないように、それでいて不安定にならないように、畦道と樹木の枝ぶりが配置されている。遠くの木々も、小気味よくリズミカルな縦の方向をつくり、なおかつ全体で緩やかな曲線を描いている。空に湧く雲も、なんだか樹冠と呼応しているようだ。

解説文によると、コンスタブルが結婚して実家を離れる直前の1816年に、この作品に着手したとある。コンスタブルが多くの作品を生み出した、実家のまわりの風景。画家としてのキャリアを決定づけた、ストゥーア川沿いの風景。この風景との愛情を込めた別れが、この作品の動機になっているに違いない。

また、図録の巻末に収録されている主任学芸員の方による寄稿(※)によれば、この年にコンスタブルの父親が他界したとある。実家のある地域だけでなく、父親との別れも、この作品には投影されているのだろう。気合いが入るわけだ。

そんな背景を知ってしまうと、わたしの悪い癖で、妄想が止まらなくなる。2槽の船や人物、枝分かれした道、画面中央の枯れ木。こうしたパーツは何かを投影しているのではないか・・・。

この《フラットフォードの製粉所》の次に、この作品の習作が展示されていた。枠にはめたガラス板を用いて、風景を透写した下絵。レオナルド・ダ・ヴィンチが『絵画論』に記した手法だという。デューラーの版画にも似たようなものがあったっけ。

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これを見ると、実際の風景をほぼそのまま写しているようだ。構図を考えたうえで木々や小道を配置したというわけではなかったみたい。しかし、逆に、それだけ調和のとれた風景を切り取っていたといえそうだ。

コンスタブルやターナーが登場する前、英国では、風景画の地位は低かった。風景画は、宗教画や歴史画など”上位の”絵画の背景でしかなく、画家たちは風景画のみで生計を立てることはできなかった。どこか人工的で不自然な、わざとらしい風景ばかりが描かれていた。

いっぽうで、17世紀のオランダには、すでにヤーコプ・ファン・ロイスダールなどの驚異的に上手い風景画家がいて、英国よりもひとあし先に風景画の地位が確立されていた。先のnoteで触れた名誉革命がどれほど影響したかどうかはよくわからないけれど、オランダから君主がやってきたことは、オランダ美術が紹介されるきっかけになったことだろう。コンスタブルはロイスダールに影響されたといわれている。

ロイスダールの風景画にも隙がない。そのうえ、なにげないモチーフでも、ドラマチックに見えるように描いている。描写はとても写実的なようで、全体ではメリハリのきいた誇張をしている。下の絵は、ロイスダールの《渓流の風景》。わたしが2004年に神戸で観た、「ウィーン美術史美術館所蔵 栄光のオランダ・フランドル絵画展」の図録より。

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例えば空や光。雲や陽射しは、刻一刻と移り変わる。アトリエで時間をかけて描くには、観察した瞬間をそのまま写すことはできない。画面のなかで、ベストな瞬間を組み立てることになる。

コンスタブル作品もそうだ。戸外製作をしていても、写真を撮るわけではないのだから、常に移り変わる対象はそのまま焼き付けられない。むしろ、それらをどう料理するかが、画家の力量にかかっており、描く側の醍醐味でもある。

上ですこし触れた、図録巻末の寄稿(※)には、《フラットフォードの製粉所》の空模様と緑地の陰影の関係が不明確であることと、下絵の空の部分にはなにも描かれていないことが指摘されている。その違和感を、画面を統合するのに壁に突き当たったのではないかとしている。

いろいろな見かたがあるものだ。

わたしは、空模様と大地の差異には、違和感を感じなかった。このような雲と陰影は、天候次第でいくらでも存在する。むしろ、そこに理想化されていない自然さを感じるぐらいだ。

変わりやすいことで有名な英国の天候。だれの言葉なのかは知らないのだけど、"Every cloud has a silver lining" という美しい言いまわしがある。太陽に照らされた雲の反対側を、銀の裏地に例えている。この慣用句は、ものごとの二面性のメタファー。コンスタブルは、土地や肉親との別れのさなかにあった。この空は、人生の転機に希望を見出していたような空模様なのかもしれない。

ロイスダールに影響を受けたコンスタブルは、ロイスダールほどではなくとも、誇張できるところを誇張して、思い出ぶかい風景をドラマチックに表現しようとしたんじゃないだろうか。

もう一点、コンスタブル展で印象にのこった作品も載せておく。1820年代に描かれた《ザ・グローヴの屋敷、ハムステッド》。これも図録から。

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コンスタブルは、病気を療養する目的で、ふた夏ほどハムステッドという街に家族を住まわせた。この絵は、この街にある大きな邸宅”ザ・グローヴ”を描いたもの。

前景に池があり、そのほとりで牛を放牧する地元の人びとが描かれている。他の作品と共通することだけど、やや引いた視点から、描かれている対象を客観的に捉えている。邸宅のまわりの樹木は整然とした印象がある。いっぽうで、手前の池のほとりの木々は、手入れされているようには見えない。木立と茂みは、あたかも遠景にたたずむ豪邸と前景の庶民の生活とを隔てているようだ。

コンスタブルは、風景画の描写にあたって、あとから雲や虹を配置して場面を”演出”することはあった。しかし、社会的なメッセージを込める目的で、人びとや建物を配置していたのかどうかはわからない。

意図的にオブジェクトを配置したのか、実在する眼前の光景をそのまま描いたのか。いずれにせよ、コンスタブルの風景画には、自然だけでなく人間活動も含めた光景が描かれている。過度に理想化しない自然描写だからこそ、さりげない”被写体”には説得力がある。

当時の画壇で上位とされた歴史画や宗教画では、あからさまに登場人物になにかを演じさせるものだから、意図はわかりやすい。図像学として体系化されるぐらい、それが前提になっている。裏を返せば、歴史画の背景としての認識だった風景画には、それがない。風景画のなかの人物などには、当時はとりたてて関心を払われなかったのかもしれない。逆に、だからこそ、さりげなく主張を込めることができたとは言えないだろうか。

もう一度、《フラットフォードの製粉所》をふりかえる。下絵の段階にはなかったものに、雲だけでなく、人物もある。それらは移動するものだから、パースをとった際には描かなかっただけだろう。だけど、後からわざわざ描き入れたことには意味があるんじゃないか、と思ってしまう。

また、妄想してしまう。

船上の人物のもつ櫂が、仔馬に乗る子供に向かっていたりするところに、つい、コンスタブルの幼少期と厳しかった父親の記憶を重ね合わせてしまう。含みのある配置は、意図的かもしれないし、無意識かもしれない。もちろん真実はわからない。

自分も、ひさしぶりにこのぐらいの大作を描きたくなった。もっと小さいものなら描きかけのものが数点ある。早く仕上げてしまわないと。

※ 「コンスタブルの空—独自性にいたる契機」と題された、三菱一号館美術館主任学芸員の加藤明子氏による論考。いつも悩むのだけど、この、展覧会の図録の寄稿文はどう呼べば良いのだろう。カテゴリが不明。

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