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見えているそれは虚か実か

街灯の光と自動車のヘッドライト/テールランプがひとしく滲んでいる。民家の窓からこぼれるあかりも同じようだ。距離感がつかみにくく足取りがおぼつかないけれど、知っている場所なのでなんとかなる。眼に入ってくる光量の調節がきかない。つまり絞りを開きっぱなしのカメラのように否応なしに光が眼に入ってくる。いつも見ている景色は無意識に取捨選択したもので、実際の情報すべてではないのだと実感する。

先日、眼科で眼底検査を受ける際に瞳孔を開いたままにする点眼薬をさした。その影響は数時間つづく。自動車の運転はしないでくださいと言われるあれだ。検査を終えるとあたりはもう夜のとばりが下りんとしていて、薄暗くなった帰り道には住宅街の光が灯りはじめていた。

瞳孔の調節ができないと、瞼を閉じないかぎり眼球はすべての光を受け止める。見慣れた景色が一変する。いつも見ていたのが“虚”で眩しく溢れる光が“実”なのか、はたまた逆に瞳で光量を加減することで“実”を見ていたのか。

そんな制御のきかない眩しさのなか思い出したのは、あのソール・ライターのニューヨークの写真。それから10月に上野の国立西洋美術館で観たキュビスム展だった。

以下、キュビスム展はおおむね写真撮影オッケーだったので撮っておいたものより。光が滲む様子で、このクプカの作品とかソニア・ドローネーの色面構成の作品を思い出したというわけ。

フランティシェク・クプカ《色面の構成》

この色面構成の“キュビスム”は一般に知られているキュビスムとはちょっと趣意が異なる。オルフィスムという詩的・美的要素を備えた新たなキュビスムだった。

ジョルジュ・ブラックとパブロ・ピカソのふたりがはじめた初期段階のキュビスムでは形態の表現に主眼が置かれていた。アフリカの彫刻がインスピレーション源になっていたからか、いずれもくすんだ色合いで色にまで関心が及んでいないかのようにさえ見える。

ジョルジュ・ブラック《ヴァイオリンのある静物》

色であれ形であれ、視点に依らずに対象自体の存在に挑んだところ、その知覚を超えたスタンスは、開きっぱなしの瞳孔で見る世界とリンクしている。

わたしにしては珍しく展覧会が始まってすぐに足を運んだ。スケジュールがあいていただけでなく、キュビスム作品ばかりの展示をはやく観ておきたかったからだ。

キュビスムといえば20世紀初頭の革命的な美術運動。その知識が先行してしまってイメージだけはあるのだけれど、ピカソの諸作品なんかを除けば実際の作品はあまり観ていなかった。そしていままで何度か書いているように、わたしはシュルレアリスムの再解釈みたいなことをしたいと考えている。絵画表現の転換の先鞭をつけたキュビスムについては、中途半端な理解のままでいてはいけない気がしていた。

絵画表現の転換と書いたけど、それは2次元の平面に描く絵画に擬似的に3次元の物体や空間を表現する従来のアプローチを拡張することだった。

ではなにをどう拡張するのか。ピカソとブラックがやったのは空間の縦・横・高さの軸とは異なる軸を増やすことだった。

そのアイディアは無から生まれたのではない。より高次元からは低次元を俯瞰できるという数学の定理からだった。平面からは線を、空間からは平面を見渡せる。同様に、空間を見渡せる第4の次元が想定された。話が散らかりすぎるので詳細は避けるけど、次元にまつわる難問のポアンカレ予想が提出されたのがキュビスム登場数年前の1904年だ。

4次元のアイディアはパラダイムシフトと呼んでよい。現に芸術分野ではこのキュビスムをはじめ、のちのシュルレアリスムなど形而上学的な対象を探究する呼び水になった。同時にサイエンスの世界ではアインシュタインの相対性理論を導いた。その後の科学・技術の発展を考えれば、パラダイムシフトと呼べるのは言をたないだろう。

やや脱線気味になったけど、わたしのキュビスムに対する関心はこのパラダイムシフトになった4次元のアイディアが絵画表現でどのように料理されたのか、それが時代とともにどう消化されたのか、あるいはなにが未消化なのかにある。

キュビスム展の副題には「美の革命」とある。文字どおり革命的な転換だった。第4の次元が時間であれ精神世界であれ、見えないものまで表現しようという姿勢には無限の可能性があるように思う。その美の革命を主導した、またはその洗礼を受けた作品群が一堂に会するのだから、これは見逃すわけにはいかない。

本展はキュビストたちに霊感をあたえたセザンヌ、ゴーガン、ルソーから始まり、キュビスムの誕生からその後までを網羅した意欲的な内容で、なんと14ものセクションにわけて構成されていた。このボリュームはさすが西美。ひとつのテーマでこれだけ細分化されたものは珍しい。

ただ、ポンピドゥーセンターの収蔵品を中心に構成されているので、その点では偏りがある。わたしが期待していたキュビストのひとりアンリ・ル・フォーコニエの作品は展示されていなかった。それから画家ではなかったけれどキュビストたちに伝道師のような重要な役割を果たした数学者のモーリス・プランセについても、会場にあった関連写真や展示解説文には出てこなかった。

プランセはピカソらにエスプリット・ジューフレの数学書(ポアンカレ数学の解釈書)と4次元の思想を紹介した人物だ。キュビストたちの空間と形状の分析はジューフレの理論に大きく影響を受けている。図録を通読したところ、第8章「デュシャン兄弟とピュトー・グループ」のところで以下のような記述が見つかった。

こうして誕生した「ピュトー・グループ」のメンバーたちは、アンリ・ポワンカレが展開し、キュビストたちの友人でもあった数学者モーリス・プランセが彼らに紹介した、非ユークリッド幾何学や四次元といった数学的概念について、アトリエでの集いで語り合った。

キュビスム展の図録より

非ユークリッド幾何学が出てきた。しかしそれがどうキュビスム作品に結実したのかがいまひとつ見えてこない。今回どこかの展示の導入部でも、たったひとこと“非ユークリッド幾何学”の文字列が書かれていたところがあったけれど、深入りはしていなかった。

また余談になるけど、ちょうど先日高校生の長男に数学を教えていて、その内容が複素数だったものだから、ついでに関連してリーマン球面の話をした。複素数は実数と虚数をカバーする概念で、リーマン球面はその応用。リーマン面を基準面にした楕円幾何/双曲幾何が非ユークリッド幾何学だ。

どこの解説だったか記憶が定かではないのだけど、ピカソがデッサンに数字を大量に書き込んでいたというエピソードに触れた箇所があった。そんな書き方をされたらなおさらそれがどんなものなのかが気になる。その数字が意味するところが未解明で公開できる段階ではないと判断されたのかもしれないけれど、そこはそのまま公開しても良かったのではないか。すくなくともわたしのような鑑賞者は喜んでいろいろ考えるのだから。

これは完全にわたしの独断的な推測なのだけど、分析的キュビスムと総合的キュビスムのアプローチはそれぞれ非ユークリッド幾何学の双曲幾何と楕円幾何に対応しているんじゃないかと思っている。

思うところが多すぎてどうも脱線しがちだけど、展覧会の展示についてあらためて追っておきたい。

キュビスムといえば先に述べたとおりブラックとピカソが主導した革命的な美術運動というのがとてもよく聞かれる説明。それは今回の展覧会でももちろん説明されているし、その当時の熱狂を再現したかのような展示だってあった。

ピカソとブラックによる最初期のキュビスム作品が並んで展示されている。

彼らによる初期の造形実験は考えただけでわくわくする。キュビスム(立体主義/立体派)とは後年批評家によってつけられた呼び名で、当の本人たちの目指したものを的確に表現した語というわけではない。立体(3次元)より高次の次元を目指したのだから“シュルキュビスム”とでも呼ぶのがベターだったかもしれない。

それはさておき、キュビスム的な立場では従来の具象絵画で構築された遠近法や明暗表現は“光学的イリュージョン”である。なぜなら風景にしろ人物にしろその見え方の一面を限定的に再現しようとしているに過ぎないから。キュビスムはそのイリュージョンから解放されて対象そのものを表現しようとした試みだった。

分析的キュビスム、総合的キュビスムの語が示唆するように、それはカントの認識論に関連づけられていた。キュビスムの擁護者でもあった批評家オリヴィエ=ウルカドは、ショーペンハウアーがカントについて論じた的確な文章を引いてキュビスムの説明にあてている。

カントがこれまで果たした最大の貢献は、現象と物自体、つまり目に見えるものと存在するものとをはっきりと分けたことである。そして彼は、物と私たちのあいだには常に知性が働くことを示したのである。

図録中の田中正之国立西洋美術館館長による寄稿「キュビスムを理解するために—いくつかの視点」より

伝統的な絵画がただ現象を表象していただけだとすれば、キュビスムは物の存在自体を表しているのだという。別の批評家モーリス・レイナルも、「キュビスムは知覚的表象から概念的表象へと絵画のあり方を変えた」と評価している。

兎にも角にも、キュビストたちは高次の別の次元を想定してあらたな表現を模索した。それは先ほどパラダイムシフトのところで書いたとおり。

初期のキュビスムの賛否は大きく分かれたものの、19世紀の印象派と違って一部のインテリの支持があったせいか、いやおそらくはサロン制度自体が時代とともに多様化したせいか、キュビスムはそうした新たなサロン形式の発表にも広がっていった。

この展覧会では、“サロン・キュビスト”としてそうしたサロン形式で発表した画家たちを取りあげている。なかでもこのキュビスム展のポスターにも使われているロベール・ドローネーの幅4メートルになる大作《パリ市》は、とりわけ目をひく存在だった。

ロベール・ドローネー《パリ市》

テクニカルにはキュビスムの手法をとりながら三美神を中心に据え、近代的なパリの象徴となったエッフェル塔をいれるなどしたモニュメンタルかつ調和的な構成。コラージュの要素もある。これは、初期のストイックで狂気じみたキュビスムから、かつてのアカデミックな絵画への揺り戻し、ある種の古典回帰だったのかもしれないと思った。

産業革命後の近代化も落ち着いた20世紀初頭。印象派以降の急激な変化のあった美術界。サロンのキュビスムは表現する側と受け入れる側の落としどころの形だったのかもしれない。

ロベールの妻のソニア・ドローネーの作品も、カラフルな大作がいくつか展示されていた。マルセル・デュシャンの兄ジャック・ヴィヨンや冒頭に挙げたクプカなど、カラフルだったり同系色の分割画面構成のなかにおぼろげに主題を造形する作品も並んでいた。これらはいわば具象から抽象へのメタモルフォーゼだ。

わたしは自分が具象絵画を描くからか抽象絵画に苦手意識があって今まで避けがちだったのだけど、この展示の流れが苦手意識のもとになっていた隙間を埋めてくれたような気がした。

サロン・ドートンヌでは、おそらく《パリ市》に触発されて、まるで19世紀のサロンの「大仰な大作グランド・マシン」の再来のように、何人もの芸術家が競って大型作品を制作したが、この分野で栄誉を得たのは《熊に襲われた村人たち》(ロードアイランド・スクール・オブ・デザイン美術館)を描いたル・フォーコニエであった。

キュビスム展の図録より

ここで言及されているル・フォーコニエは、今回は展示されていない、わたしが作品を観たいと思っていた画家だ。観てみたかった理由は、どこでそれを読んだのかもう記憶がないのだけど、その作品に数学的な文脈で説明が加えられていたからだ。

書籍のモノクロ写真ではあったけれど、このサロン・ドートンヌの様子を伝える展示もあった。あいにく細部はよく見えないし、色の情報がない。しかし作品の大きさはわかる。ロベール・ドローネーの《パリ市》にも似た迫力があったのだろう。

キュビスム展の図録より。右端の大作がル・フォーコニエの作品。

そしてデュシャン兄弟。あのザ・キュビスム《階段を降りる裸体》のマルセル・デュシャン。のちに小便器の《泉》や割れたガラスがそのまま使われた《大ガラス》などで20世紀美術をなんでもありにしてしまったデュシャン。彼に兄弟があとふたりいてそれぞれがキュビスムに関わっていたのは知らなかった。彼らがいっしょに写った貴重な写真もあった。

なお、兄のひとりは先に名前だけ出したキュビストのジャック・ヴィヨン。もうひとりの兄レイモン・デュシャン=ヴィヨンは彫刻や建築を手掛け、このキュビスム展にも立体作品や設計のデッサンが展示されている。

スペイン出身のフアン・グリス作品も多く展示されていた。

グリスは対象の具象性を一部に残したまま画面を再構成した、ポスターのような印象の作品が多い。後年ピカソが描いていたようなものもある(未確認だけどたぶんグリスが先)。変化し続けて分派していったキュビスムにあって、実直に同じスタイルを続けていた印象がある。

フアン・グリス《ヴァイオリンとグラス》と《楽譜》。この写真を載せて気がついたけど、左の《ヴァイオリンとグラス》は図録にある図と180度回転している!どちらが正しいのだろう・・・

グリスとともに制作していたのがフェルナン・レジェ。レジェは学生時代に名古屋でレジェ展を観て知っていたつもりだったけど、金属光沢のある筒を組み合わせたような絵の記憶が強くて、わたしのなかではカンディンスキーやモンドリアンみたいなモダン・アートの位置づけになっていた。なるほどここに並ぶとキュビスムに見える。そのカンディンスキーやモンドリアンの作品にまでキュビスムの文脈にくわわりそうな気がしてくる(モンドリアンの彫刻はあった)。

後半はキュビスムの広がりを象徴するかのように、えっあの人も?!という感じで作品が並ぶ。モディリアーニ、ブランクーシ、ピカビア、ローランサン、ル・コルビュジエ。そしてシャガールまでもがキュビスムのくくりで登場。

マルク・シャガール《婚礼》と《白い襟のベラ》

たしか三浦篤さんが書籍でシャガール作品は独自の遠近法で描いていると書かれていた。今回の展示を観ているとその独自の遠近法はキュビスムの影響だったように見えてくる。

じつはわたしはピカソ作品がけっこう好きなのだけど、キュビスムをはじめた頃の絵はあまり好きではない。ポアンカレ数学に触発されたアプローチは面白いし、それが衝撃的であったことは想像できるのだけど、心の琴線には触れないというか。

ピカソは第一次大戦でブラックが制作活動から離れたタイミングで作風を古典主義的なものに変えている。そこでいったんキュビスムから離れ、シュルレアリスムに傾倒した。スペイン内戦があって、あの名作《ゲルニカ》で突如キュビスム時代の作風を復活させた。

造形表現に特化したかつてのキュビスムと異なるのは、ゲルニカ爆撃の悲劇を描くのに強い感情表現が盛り込まれたこと。同時期の《泣く女》もその派生だ。初期キュビスム作品とは似て非なるもので、そこには精神性が宿っている。

初期キュビスムの造形表現の模索は、敢えて語弊を恐れずに言うなら知的遊戯の範疇だ。絵画芸術にとって第4の次元に相当するものは精神性につながるなにかなのだろうか。

この展覧会、観た直後は感想というか思うところを言語化しておかなければと思っていたのに、仕事に忙殺されたり仕事以外のあれこれでもなにかと落ち着かなくて、後まわしにしたまま記憶の彼方に追いやられるコースに入ってしまっていた。

いや、正直に書こう。前半に書いた4次元のパラダイムシフト部分。展覧会ではこの部分への言及が消化不良で、期待はずれ感があったのだ。だから筆が進まなかった。

そうして時間が過ぎてしまっていたところで、冒頭に述べた眼底検査。開きっぱなしの瞳孔という意外なきっかけでキュビスム展のことを思い出した。これはもう、美術の神様が書きなさいと言っているにひとしい。

そしてもうひとつ。

今年も終わりに近づいて一年を振りかえる時期になった。まだ1か月ほどあるけど、1か月しかない。夏までのあいだお題note企画で楽しませてくれたオトナの美術研究会、メンバーシップは終わってしまったけれど、主宰のちいさな美術館の学芸員さんがこのタイミングで嬉しい企画をたててくださった。わたしはもちろん参加表明した。

企画のハッシュタグは「#マイベスト展覧会2023」だけど、テーマは「2023年に見た中で、一番印象に残っている展覧会について語ろう」とある。ベストかどうかの判断は正直に言ってむつかしい。どの展覧会も毎度毎度いろいろと考えさせられる。このキュビスム展は消化不良ポイントがあったにせよ、こうしてnoteに書いていると、じわじわとキュビスムによる“美の革命”の大きさを思い知ることができた。とても印象に残っている展覧会なのは間違いない。

キュビスム展の図録にある関連年表は1907年に始まり1926年で終わっている。1926年はフアン・グリスが亡くなった年だ。その2年前の1924年にアンドレ・ブルトンが『シュルレアリスム宣言』を書き、美術界の流れが大きく進んだ。

何度も書いているけどいよいよ来年はシュルレアリスム100周年。何ができるかまだまだ模索中ではあるけれど、何かあらたな表現に挑戦したい。シュルレアリスム前の美の革命を振り返ることができたのはグッド・タイミングだったかもしれない。

来年に向けてのヒントをもらえた点で、このキュビスム展をマイベスト展覧会にしたい。そしてnoteにまとめる背中を押してくれたアドベント企画にも感謝。


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