隠遁生活は楽しいか
東京の山の手、港区六本木に赴いた。平均年収が日本でいちばん高い地区だとか言われるだけあって高層マンションが並び、その合間合間に整備された緑地がある。東京メトロ南北線の六本木一丁目駅からつづくエスカレーターでまっすぐ東へすすむ。この界隈は◯◯坂という地名が多いことからわかるように、地形の起伏がある。駅からはずっと登り坂なのでエスカレーターが整備されてあるのはたいへん助かる。
その先には個性的なデザインの駐日スウェーデン大使館がある。スウェーデン大使館ということは燕尾旗が見られるかもしれないと旗マニア的にちょっと楽しみにしていたけど、なんとそのスウェーデン大使館は7月に赤坂に移転していた。移転を周知する案内板には仮事務所とあったのでまた戻ってくるのだろうか。
いや、目的の場所はスウェーデン大使館ではなく、そのすぐ向かいにある泉屋博古館という博物館施設。高層マンションに囲まれた緑地にたたずむ、小さいながらも品のある趣の建物だ。
泉屋博古館の本館は京都にある。六本木のほうは分館で、2022年にリニューアルオープンしたらしい(公式サイト)。同館は住友家のコレクションを収蔵していて、そのコレクションの大半は東洋美術。わたしには馴染みの薄い分野なのでいままで縁がなかった。今回が初めての訪問だ。
ここでは10月半ばまで「楽しい隠遁生活 文人たちのマインドフルネス」という企画展がおこなわれている。
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隠遁生活。この語の響きのなんと魅惑的なことか。
このところ仕事も家庭もその他の活動も、なにかと理不尽なことが多くて遣る瀬ない。これは21世紀の日本では避け難いことなのはわかるのだけど、ちょっと前によく耳にしたなんとかデトックスよろしく現実逃避を試みたくもなる。
すべてを放り出して、静かな避暑地にでも身を隠して、毎日読書したり絵を描いたり思索にふけったりしながら過ごすことができたらどんなに良いだろう。わたしの性格では、そんな環境でもなにかと悩んでしまうんだろうけど。
そんなことを思っていたらソーシャルメディアにこの「楽しい隠遁生活」展の宣伝が流れてきた。いつのまにかAIはネットユーザの心まで読むようになったのか。わたしは一度も「隠遁したい」なんて書いたことはなかったのに。
ともあれ、こうした偶然はどうも気になって仕方ない。ユングの共時性じゃないけど、いま隠遁を求める集合的無意識が働いている?!集合的無意識に導かれて、わたしは六本木までやって来たのかもしれない。
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六本木の、とくにこの界隈は静かだ。見慣れた下町とはまったく異なる静かな雰囲気に、すでに“隠遁”したかのような錯覚に陥る。いや、これもまた東京の姿なのはわかっている。わたしにとってはここに来るだけでかなり非日常だ。
泉屋博古館は比較的こぢんまりした施設。受付を過ぎてすぐにホールがあり、その向こう側に展示室が3室ある。この3室が「楽しい隠遁生活」の企画展の展示室で、ホール側にあるもうひとつの展示室には企画展とは別に特集展示「住友コレクションの近代彫刻」が用意されていた。
3つの展示室では、第1展示室にひとつ目のセクション“自由へのあこがれ「隠匿思想と隠者たち」”、第2展示室にふたつ目のセクション“理想世界のイメージ”、そして第3展示室に続くセクション“楽しい隠遁—清閑の暮らし”と“時に文雅を楽しむ交遊”が割りふられている。
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第1展示室。さまざまな隠遁のかたちが提示されている。いきなり孔子に許由に達磨と、錚々たる隠者たちの姿が並ぶ。芭蕉や西行を描いたものもあったけれど、印象に残ったのはストイックな隠者たちの姿。展覧会名「楽しい隠遁生活」とそのファンシー調のポスター(本note見出し画像)とのギャップに戸惑った。えっ、ほんとにこのファンシーさで良いの?
橋本雅邦の《許由図》の迷いのない筆致が素晴らしい。画面の左半分で左を向いて胸を張る許由。これだけでその人となりが滲み出ている。しかし、わたしのイメージしていた許由は清貧の姿だったので、この絵の、装飾はないものの身なりの整った許由にはまるで貴族のような優雅さと貫禄があるようでギャップを感じる。
ここには許由の有名なエピソード、帝位を譲りたいとの提案に「汚らわしいことを聞いた」とその場で耳を川で洗って引き籠もってしまった故事が紹介されていた。なるほど、皇帝からの申し出を断っただけに釣り合いのとれる恰好でないと絵にならないということか。
なお、わたしは『徒然草』に書かれていた許由を思い浮かべていた。
貧しくて手で水をすくっていた許由。水を入れるための瓢箪をもらっても、風に揺れて鳴る音が耳障りで捨ててしまったとある。断捨離魔だったのかも。兼好法師はかなり好意的に書いていたけど、そうとうな偏屈さである。隠者たるものこのぐらいにはとっつきにくい人物でなければつとまらないのか。
あとは達磨大師。こちらは僧侶だから隠遁生活と言っても修行僧のそれだ。しかも手足を失うまでの座禅というから、こちらも尋常ではない。達磨といえば、どこかユーモラスな白隠の作品群を思い出すけれど、中国で描かれた展示作2点には峻厳さが優っている。
このセクションのタイトルには「自由へのあこがれ」とある。不自由だからこそのあこがれなのか、境遇によらない精神的自由さへのあこがれなのか。
いずれにせよストイック過ぎて、繰り返しになるけどファンシーな字体で書かれた展覧会名「楽しい隠遁生活」とのギャップに戸惑ってしまった。
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第2展示室。理想世界のイメージ。東洋のユートピアは桃源郷だ。ポスターなど展覧会ビジュアルの配色は桃源郷にインスパイアされたものだろう。この展示室には桃源郷につきものの滝の山水画・風景画が並んでいる。
いつぞや疑似科学で持てはやされたこともある滝だけど、滝壺の近くの空気はたしかに気持ちが良い。最後に滝を観たのはどこだったか、いつだったか。下手をすれば21世紀になってから国内の滝には一度も訪れていないような気がする。
滝のある風景は露出した岩肌が描かれていて、その岩肌や地形の描写からなんとなく岩石の違いが見えてくる。山なみはぼこぼこしたカルスト地形っぽいからここの岩は石灰岩、あっちの岩の縦横の幾何学的な亀裂は火山岩の板状節理か、といった具合。様式化されたように見える描線でもそんな写実性が感じられておもしろい。
桃源図、山水図といった作品は、次の第3展示室にもつづいていた。この部屋は理想の隠遁の地への導入部分のようにも感じた。展示作品の時代にも幅があるからか、理想郷の表現もけっこうバラエティに富んでいる。わたしには、老境の富岡鉄斎の山水画2点が自由を体現しているようで印象深く記憶に残った。
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第3展示室。前半は“清閑の暮らし”。観瀑図がいくつかあって、港区界隈の滝見スポットの紹介まである。来館者を館外に誘うこうした表示は、ほかの展覧会ではあまり見ない。第1展示室にも近くの竹林を紹介するパネルがあった。
江戸時代の売茶翁なんかが出てきて、隠遁生活というよりも煎茶文化を描いたかのような展示内容に思えた。隠遁生活というのは実は煎茶を楽しむ生活だったのかもしれない。
煎茶は中国文化に範をとったからなのか、日本の茶道のような侘び寂びのニュアンスはない。隠遁生活にはその語感と第1展示室の内容からストイックな精神性を連想したけど、実のところもっと穏やかなものだったようだ。
売茶翁とくれば、伊藤若冲を思い出す。展示品にはないということは泉屋博古館はコレクションに若冲作品を持っていないのだろう。実際に隠遁していた若冲こそ「楽しい隠遁生活」のイメージにピッタリなんだがなぁ・・なんて勝手なことを思いながら、展示品に若冲的なものを探していた。
葡萄の葉を模したお盆なんかはちょっと若冲の描いたものに似ているかな・・・、若冲は瓢箪も描いていたな・・・と絵よりも立体の展示品に共通点が見える気がした。隠遁生活者が描いたものでなければ、描かれた作品よりも、むしろこうした物品が隠遁生活のエッセンスを物語っているのかもしれない。
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太湖石(怪石)なるものが2点ほど展示されていた。なんだこれは。曲がりなりにも石の専門家としては気になってしまう。どちらもぼこぼこした穴が開いたような不規則な形状だけど、ところどころ線状の幾何学的な部分もある。
解説には中国の太湖の湖底から採取された石だとあった。甌穴(ポットホール)にしては穴が多すぎる。それにこの石の採れる太湖は流れのある川ではなく湖だ。流れのないところでの侵食なら石灰岩の溶食か。たしかにそう思えば石灰岩に見えなくもない。しかしここまで溶食が進むものだろうか。生命活動が活発で二酸化炭素濃度がとても高かったんだろうか・・・と考えだしたらキリがない。
わたしもちょくちょくミネラルショーで鉱物標本を買っているから、自然の不思議な造形を飾って楽しむ趣向には共感できる。どうしてこんなものができたのだろうと思索を巡らせるのは楽しい。それは現代のような体系化された知識のなかった当時はその造形美と成因についてはいくらでも仮説を立てられたに違いない。
太湖石のようなものは、俯瞰的な思考の材料として隠遁生活にはもってこいのアイテムだ。なんだか西洋の自然史博物学みたいな視点があったのかもと想像する。そういえば古代中国にも『山海経』なんて『博物誌』の東洋版があったっけ。
石ついでにもうひとつ。鶏血石という、血飛沫が飛んだような見た目の印材がいくつかあった。これは辰砂(シナバー)の混じった蝋石。蝋石というのは熱水変成でできた粘土鉱物で、辰砂は朱色の顔料としても使われた猛毒の硫化水銀。印材としてはたいへんに珍重されたようだ。
ちなみに辰砂は日本でも採れる。辰砂から得られる顔料は丹と呼ばれ、全国に点在する丹生という地名は辰砂の産地だったことを示唆する。中国でも日本でも古代から資源鉱物を見きわめる人びとがいたのだけど、そうした人びとも隠者的な存在だったと想像できる。
展示品には硯などほかの道具類もあった。自然の造形をそのまま飾るだけでなく、道具類にも珍奇な材料を選ぶ。この感覚も隠遁者のものかもしれない。
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同じ第3展示室には「時に文雅を楽しむ交遊」として、複数の人物がなにやら楽しげにしている様子を描いた作品が並んでいる。これらは隠遁のイメージとはまた異なる趣だ。ようやく展覧会名の「楽しい隠遁生活」に近づいてきた。
先にちょっと触れた売茶翁は江戸時代だけど、そのモデルは古代中国にあった。売茶翁がふるまう煎茶の席には、本格的な隠者にとっては貴重な外部との接点があって、そこで文人たちのコミュニティが機能していた。いわば文化サロンだ。
文化サロンのなかには、例えば経験と洞察から辰砂など資源鉱物を見分ける目利きなんかもいて、さまざまな事物を深く考察する楽しみがあった。それが隠遁生活の楽しさだったのだろう。
自然に囲まれた桃源郷では、隠者たちはべつに霞を食べる仙人だったのではない。ひっそりと庵や四阿があって、晴耕雨読の生活を送っていた。静かに自分の心に向き合い、たまに情報交換をする。知的な隠遁生活の楽しさが求められれば、これが理想世界桃源郷の真の姿だった。江戸時代の売茶翁はそのリバイバルだったのだと思う。
第1展示室で観たストイックな隠遁とは違う、わたしたちにも想像しやすいリアルな隠遁の形が見えてくる。ああ、これなら「楽しい」と思えそうだ。
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第3展示室の最後の一角に巻物の展示があった。それは小田海僊の《酔客図巻》。延々と飲んだくれの酔っぱらいたちの醜態が描かれている。酒の席の描写はいろいろとリアルで観ていて興味深いのだけど、さすがにこれは隠遁生活とは違うだろう。“文雅を楽しむ交友”の域を超えている。
どうしてわざわざこの巻物が専用の展示ケースまで用意されて展示されているのか。徳利や盃など宴席に使われる小物が一緒に並べられて、さぞかし隠遁生活の裏には賑やかな宴があったとでも言いたげだ。アルコールを嗜むことはあってもおかしくないとは思うけれど、これはさすがにミスリーディングのような気がする。『徒然草』にも酒呑みは「友とするにわろき者」とあったではないか。
《酔客図巻》で描かれているのは真の隠遁生活者から見た愚かな人びとの姿なのではないか。
ふと気がついた。
宴席は大勢集まったパーティのようなものだ。この港区六本木、日本一収入の高い界隈には連日豪華なパーティがおこなわれるようなところがあると聞く。
偏見かもしれないけれど、湯水のごとく大金を消費して“上流階級ごっこ”に興じる下品な成金たちがいるとすれば、彼ら彼女らは、自由で崇高な精神を求めた隠遁生活をうわべだけ真似ていても、その実、ただ飲んだくれて刹那的な快楽に溺れる俗世の姿にほかならない。
あえて港区六本木の会場でこれを展示するからこそ意味がある。わざわざ近隣の竹林や滝見スポットが紹介されているのも、いわばここが“疑似的な”存在であることの暗喩か。泉屋博古館の所蔵品を展示するのに本来はわざわざファンシーなビジュアルにする必要などないのだから、そこも合点がいく・・・ように思えてきたけど、さすがに考えすぎだろうか。
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第3展示室の最後に、来館者のみなさんは多かれ少なかれ「楽しい隠遁生活」をのぞんでいることとお察ししますなんて書かれてあってドキリとする。そこには「隠遁生活の手引き書」として書籍のリストが配布されていた。何冊かはショップに並んでいた。
このあと、「隠遁生活に終わりはありません」として住友コレクションの展示室への順路が示されていた。このセンスはけっこう好きだ。
住友コレクションの近代彫刻では、はじめに山崎朝雲の《竹林の山濤》が出迎えてくれる。精緻な超絶技巧に驚く。山濤は竹林の七賢人のうちのひとり。第1展示室にあった筆筒の浮き彫りと姫島竹外《竹林七賢図》にリンクするようで、なるほど終わりはなさそうだと納得してしまった。
会場を出て、高層マンションに囲まれた界隈の非日常をあらためて実感。駐日スウェーデン大使館の横を抜けて、緑豊かな下り坂を降りる。銀杏の実が落ちていて独特の匂いが鼻をつくのもちょっと非現実的だった。そうして反対側のビジネス街神谷町へ出た。
この日は無料公開されていた庭園美術館もハシゴしようかと思っていたのだけど、天候が下り坂なのと、整理券が配布されていた由をネットで知り、無駄足になりそうな気がして帰宅の途についた。
こうしてわたしの擬似隠遁生活は終了。ふだん馴染みの薄い東洋美術だったからか、いろいろと思いを巡らせられて良い気分転換になった。そうか、これこそが楽しい隠遁生活。うん、やっぱりこうやっていろいろと考える自由はありがたいものだな、なんて思う。
これからまたしばらく忙しい日々が続くし、悩みの種は尽きない。定期的なプチ隠遁生活でも習慣にしようかな。