ベトナムのプチ移住から帰って来た子供たちが、初めての登校・登園する後ろ姿に思うこと
宝島という小さな島で生まれ育った息子が、1年生を終えると同時に、ベトナムにプチ移住した。娘は、年長だった。
宝島小中学校は、すごく小規模の学校で、小学校に上がる前から、ずっと一緒の友達だった。家も近いし、毎日友達と遊びに出かけていた。貴重な時間だったのだろうと思う。子供たちは、小さな島で地域の方に見守られて成長した。
僕は単身で移住して、結婚し、家族ができた。仕事場も生活の場も全てが、近所。常に家族一緒に過ごせた。だから、宝島は子供たちだけでなく、僕たち家族を育ててくれたと、僕は思っている。
そんな僕たち家族は、ベトナムへのプチ移住を経て、家族は日本、僕は単身海外へという選択をした。ベトナムでも、ほぼ24時間をともにしたから、大変なこともあった。けど、ベトナムに独りで戻った夜のベットが広すぎて、寂しかった。
小さく、大きな一歩
そして今日、帰国して初めて学校・保育園に行く日だった。子供たちにとっても、大きな1日。実際は親の方が心配なもので、妻は一緒に学校の近くまで行こうかと思っていたそうだ。僕も内心ではそう思うだろう。
「ついて来なくて大丈夫。」
そう妻に言った息子は、一度も振り返ることなく、初めての学校に歩いて行ったそうだ。息子は、ベトナムで「(同じ歳くらいの)友達が欲しい。」とたまに口にしていた。だから、学校をすごく楽しみにしていた。
ただ、転校生が集まった会議室では、他の転校生は保護者も一緒だったそうだ。「ほんのちょっと泣いた。ほんのちょっと。」らしい。でも、その後も溢れるように言葉が出てくる。「めちゃくちゃ、めちゃくちゃ楽しかった!」「(可愛い子いたけど、)かわいすぎて嫌だ。」ホッとした。
娘の方はというと、初めての登園で、妻の足にしがみついた。そして、妻が園を出ると、泣いたそうだ。それはそうだろうと思った。今まで、ずっとそばにいたママだ。
朝の電話で、そんな報告を聞いて、少し不安だった。すごく明るいひょうきんな子だけど、いつも兄がそばにいた。
でも、お昼に帰って来たときは、兄と同じように、テンションが高かった。「優一先生がギター弾いて、歌うんだよ!」声が弾んでいた。
僕たちの出した答えは、間違いではなかった。と思えた。付け加えると、「今のところは。」だ。
子供たちが追い込まれる「9月1日問題」
ニュースでは、9月1日は子供が命を絶つ日が多い日だと書かれていた。悲しい現実だと思う。僕もどこかで、「うちの子は大丈夫。」そう思ってしまうし、今もそう信じている。でも、そう思う親の子供も、命を絶ってしまうのも事実だ。今は、色んなことを話してくれる子供たちだけど、そのうち話してくれなくなるだろう。親や大人に反発することもあるだろう。きっと、彼らも悩みもがく時期があるだろう。僕たちがそうだったように。
僕も成長しなきゃ
そんなときに、教材の一つになれる親でありたいし、大人でありたい。価値観は一つじゃない。世界はもっと広いんだよ。逃げてもいい。人生は勝ち負けじゃない。白黒の話じゃない。世の中は素晴らしい。生きることは、苦しいこともあるけど、素晴らしい。そんなことを教えるのではなく、感じさせられるような人間になりたい。
子供たちの姿に、僕も背中を押される。愛おしすぎる子供たちと離れてまで、ここにいる、今、この時間を全力で生きようと決意を固めた。
頭にあることをカタチにしよう。小さな行動を。まずは、それからだ。
家族に思うこと
お互いにいつも強くいられるわけもなく、それぞれの不安を話すことも、もちろんある。今まで、文字通り、ずっと側にいた父親がいなくなり、多少は子供たちの気持ちも不安定になっているだろう。これからのことを考えて、不安で眠れないこともある。僕が海外にいることで、妻への負担も大きさを感じている。でも妻は、弱気になる僕に、
「大丈夫!なんとかなる!」「どうにかなる!どうにかする!しかない☺️」
と言ってくれた。心強く頼もしい。家族は、あるものでなく、なっていくものだと思う。遠く離れていても、背中を押してくれる家族に、感謝。
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