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変わりゆく季節の風景と、介護未経験のスタッフの変化を感じた話

「おかえり。」タラップから降りると、そんな声をかけてもらえることが、すごく嬉しかったことを覚えている。介護事業として継続して行くための他施設実習を終えて、一度、宝島に戻った。しばらく島を不在にすると「あれ、誰だったっけ?」そんな冗談は、宝島に10年住んで、島を出る頃まで変わらなかった。

「やすらぎ」の活動は、時間も日数も増やしていた。短時間のサロン活動から、デイサービスのような形に変化させていた。そんな中で島内のスタッフにも少しづつ変化があった。

「和室に入った瞬間に、シマさんの上着を借りた男性スタッフがいたり、子供たちも一緒になって時間を過ごしたり、岩義さんが昔やっていた砂糖小屋を見たいという想いに対して、すぐにスタッフが反応し、二人でドライブに行かせてもらえる環境があったり。スタッフの昌子さんは、いつもいる家族がいない利用者さんのことを気遣って、明日は昼食を皆で食べようと提案してくれた。僕自身の中でも、他のスタッフの中でも、今後の形が少しずつ見えて来ていることを感じる。やすらぎという場を一緒に作って来て、これからより良いものになることを皆で感じていきたい。」〜業務日誌より〜

と記録していた。

旧暦で行われる新年会

老人会は新年会は、宝島で年に3回迎える正月の一つ、旧暦での正月に合わせて行われていた。これは、自治会主催で行われていた新年会とは別だ。この頃の高齢者はまだまだ若い方も多く、婦人会の手伝いをもらいながらも、自分たちの手で、新年会を祝っていた。年々、ますます高齢者の高齢化が進むと、難しいことも増えていったけど。

季節を感じさせる黒糖作り

そして、当時の宝島の2月は、黒糖作りが行われていた。さとうきび畑にある砂糖小屋で火を焚いて、製糖する。今はもうなくなってしまった、この季節の風景だった。高齢者を誘って、見物に行った。その日の午前中、男性スタッフと作業を手伝いに行き、午後からの活動に自然に繋げられた。畑での皆さんの姿は活き活きしてる。一緒に作業することは大事。お願いするだけでは、人は動かない。こちらも気が退けてしまう。それでも当時の僕は、お願いしまくって、当たって砕けまくってた。

昔ながらの作り方で作られる黒糖。「あの頃は〜〜。」ほとんど全員が黒糖を作った経験がある。貴重な現金収入で、「一生懸命働いたよ。必死だった。」口々に話された。今のように機械があったわけではない。牛や馬を使って、サトウキビを絞っていたそうだ。大変な時期も、共有できる大事な思い出だ。

昔のように、ガッツリと仕事をできるわけではないけど、作業を終えて、釜を眺めながらのお茶のみ話には、花が咲いた。「来てくれて、ありがとね〜。」と、「なんも加勢できんで、ごめんなぁ。」「いいのいいの!また色々お願いね〜。」暖かい時間が流れていた。

長期での応援スタッフの来島

この頃、長期でよかあんべからのスタッフが来てくれることになった。最初に宝島にきてくれたのが、花田さんだった。移住当初、認知症を患っていた健雄さんとの関わりで、自分の無力さを感じ、泣きながら電話した時に話を聞いてくれた花田さんだ。だからというわけではないが、僕が信頼できる人の一人だった。

そんな花田さんは、移り住んでくれた当初、住宅の空きが無く、公共施設の物置を間借りしながらの暮らしだった。最初は、ダンボールのテーブルを使っていた。今では、笑い話にされるが、大変だったと思う。その後、スタッフの住環境も、来年度に向けての事業所の準備でも、布団や家電、しつらえなども、島民の皆さんにお手伝い頂きながら揃えた。

僕が大事にしていたこと

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