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モチベーションと成功体験は密に補完関係にある。

僕は「竹を割ったような性格 〜優柔不断を添えて〜」
と、昔から自覚している。
専門学生時代、着る服を決められないのでその日のラッキーカラーと合わせることにしていた。学生寮の食堂で占いを見るのが日課だった。ある日、ラッキーカラーが無い日があった。
そんな事もあるのかと仕方なく自分で決めることにするが、すでに遅刻ギリギリの時間。ここから記憶がふんわりしているが、どうしても決まらなかったのでアウターだけで学校に行った事だけは覚えている。中は着ていなかったので、職質されていたら最先端のオシャレという言い逃れはできなかっただろう。

それから紆余曲折あり、今は同じ服しか着ないことにしている。
これでアウターだけで外出する可能性は消えた。

先日、友人とモチベーションの話になった。
モチベーションを高い状態で保つ方法について、どうしているの。
という内容。
そのLINEでは「惰性だよ、最近はモチベーションという概念すらないよ」と返したけど、境地にたどり着いただけで本来はそうではなかったはずだと後から思い直した。

元来、優柔不断として生きてきた人間はON/OFFの切り替えが出来ない人も多いように感じる。少なくとも僕はそうだ。
悩まないように何事にも理由を付けて生きている。洋服の種類を抑えたり、食べるものが決まらなかったらマックのダブルチーズバーガーを食べることにしていたり。

では仕事ではどうなのか、というと決められない事はあまり無い。
合理主義で結果を求める。デザインには自信ないが設計と思想には明確に意図がある。

心境が変化する理由は、過去の成功体験に起因していて、僕が新卒やジュニアデザイナーのコーチを行う際にもっとも気を付けている部分でもある。

前置きが長くなったが、モチベーションと成功体験は密に補完関係にある。
優柔不断でも成功体験があれば迷わない。と思っている。

努力や根性がモチベーションに繋がるかというと、僕は否定的。
努力は辛い物を食べる感覚に似ている。一瞬の爆発力と余韻がモチベーションに繋がっているように感じるが、いずれ薄まり忘れてしまう。

だが、辛い物を食べて100万円もらえたとしたら話は変わってくる。
辛い物を食べて100万円もらえたという体験が、次回以降のモチベーションに繋がって、さらに、次の挑戦に備えて楽に辛い物を食べる方法を模索したりして。

このように、成功体験がモチベーションを補完していく。
そして模索した結果が上手くいけば自信と大胆さを得る。人は一度成功するとほんの少しだけ自分のやり方を学ぶのだと思う。そしてその大胆さが次への挑戦になっていく。
世に言う挑戦できる環境、というのは努力で何でもできるよっていう根性論ではなく、成功体験を積み重ねることが出来る余白がある事を言うのだと思う。

この永久機関のようなサイクルが絡み合って、たとえモチベーションが下がった時期があったとしても続けられる事に繋がっているような気がする。
これから頑張る理由を過去の自分が作ってくれているから。


最近はデスクにある観葉植物の様子を見るついでに仕事をするスタンスになりつつあるけども、UXへの意欲を失わずにいられる理由を再認識できたことでした。


友達がこのnoteを読んでくれていれば、あの時の回答になるかもしれない。


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