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何度も何度も思い出す 情けなかった私 #変化を常に#まなびの人生設計図

日曜日、8年ほど続けているミライの職業訓練校の開催日だった。

ミライの職業訓練校は、豊田市の山里をフィールドに、 今の働き方の中で感じる“モヤモヤ”を深め、 自分がやりたいことを見つけ、仲間とともに切磋琢磨しながら、 カラダとココロが喜ぶ「あなたの天職」を探すための学校です。私が世話人代表をつとめています。以下参照。

対話の場を通じて、モヤモヤを育み、仮説をころがしていく、というアプローチをとっているが、毎年、受講生も世話人も、半年間の深い学びをえて変化をとりいれていくというものである。

昨日もとてもよい時間を過ごしたけれども、その中で、昔の嫌だった記憶はよく思い出されるという話があった。うんうん、あるよねとみんなで共感しながら付き合い方を話すシーンもあった。

5年ほど前に自身のエピソードを短編小説にしたものがあったので引用する。

できることと言ったら、ただ時間をかけて受け止めるという作法しかないのかもしれない。

これも私の一部だから。

<短編小説:あの教室>

夏の日差しが教室に差し込む。2限目が終わり、ざわざわとした空気に包まれる。ふいに番長が後ろの扉からはいってきた。
ぴーんとした空気がはりつめる。

A 君の胸元が宙に浮いた。

ドン、

後ろの黒板が響いた。ケタタマシイ鳴き声とともに重たい空気が広がる。

学級委員の彼は重たい空気に押しつぶされそうになっていた。ぶつぶつと葛藤のまじった声で鳴いている。ほんの1分が何十分の時間の流れに感じる。

「やめろよ。」

B 君の声で鉛のようになっていた体がうごき向かっていく。B 君のおかげで何事もない教室にもどる。始業のチャイムが鳴り響いた。

なにもできなかった自分、立場をきにした自分、バツの悪い自分、助けられた自分、情けない自分、何十年経っても覚えている。

今も、あの教室で救えなかった A 君を何度も何度も救いつづける。

僕が僕で居続けるために。

平成30年5月 新スローライフ通信寄稿文


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