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東京都立青山高等学校卒業25周年によせて

本日、1995年3月15日(水)に私が東京都立青山高等学校を卒業してから、25年目を迎えました。

私が青山高校を志望校として決定したのが1991年7月であったものの、当時の模擬試験の結果は最後までC判定以上ではあなかったこと、当時の都立高校ではグループ合格制が導入されていたため、青山高校に合格できない場合に割り当てられる学校が不確実であるために当時の担任からは他の都立高校の受検を進められていたことなどは、すでに本欄でもご案内した通りです[1]。

その様な状況の中で無事に青山高校に入学することが出来たばかりでなく、優れた同級生との交遊により自己研鑽に励むことが出来たこと、あるいは部活動として青山フィルハーモニー管弦楽団に所属したことにより、演奏活動や団の運営を通して知見を広められたこと、とりわけ時間芸術としての音楽において愛好家団体がいかなる意味を持つかを考える機会を得たことは、私のその後の歩みに大きな影響を与えることになりました。

このように、青山高校は私にとって大きな意味を持つ場所となったことは、教職員一人ひとりが真摯に教育活動に従事していた結果であると言えます。

それとともに、1992年4月7日(火)に行われた第47回入学式で濱名言實校長が21世紀は国際化の時代となり、一人ひとりが社会で活躍するためにも高校での人格の形成と知性の発展が必要であり、まさに青山高校の全人教育と教養主義的教育こそが次代を生き抜く新入生にとってふさわしい場である、という趣旨の式辞を述べられたこと[2]が示すように、「受験のための勉強」ではなく「豊かな知識と教養を身につけることにより人格を陶冶する」という教育方針が貫かれていたことも見逃せないところです。

今や、青山高校は東京都教育委員会が指定する進学指導重点校7校の一角を占め、進学面において都立高校を牽引する存在となりました。

その一方で、現在も「知徳体の均衡ある全人教育を推進する」[3]ことで社会に貢献し、社会を指導する有意な人材を育成することを目指そうとすることは、日々不確実性が増す今日において、実に意義深いことです。

卒業後の25年間、今日に至るまで同窓会活動や青フィルの活動などを通して青山高校と関わりを持つことが出来たことをありがたく思うとともに、これからも青山高校の一層の発展のためにいささかなりとも貢献できればと意を新たにするところです。

[1]鈴村裕輔, 都立高校一般入試合格発表日によせて――平成4年度の思い出. 2017年3月2日, https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/76353/12a3305a9fbc51431c533d5e36330043?frame_id=435622 (2020年3月15日閲覧).
[2]鈴村裕輔, 東京都立青山高等学校入学25周年によせて. 2017年4月8日, https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/76353/7a162473d7541e497ca2a7868f844abf?frame_id=435622 (2020年3月15日閲覧).
[3]平成31年度東京都立青山高等学校学校経営計画. 東京都立青山高等学校, 公開日未詳, http://www.aoyama-h.metro.tokyo.jp/site/zen/content/000290562.pdf (2020年3月15日閲覧).

<Executive Summary>
Miscellaneous Impressions for the 25th Anniversary of the Graduation from the Tokyo Metropolitan Aoyama High School (Yusuke Suzumura)

The 15th March 2020 is the 25th anniversary of my graduation from the Tokyo Metropolitan Aoyama High School (TMAHS). On this occasion I remember some episodes of the TMAHS.


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