「與那覇潤氏が示したオーラル・ヒストリーの問題点」で考えたいくつかのこと

本日の朝日新聞朝刊に、與那覇潤先生の随筆「「自国の手柄話」の懸念」が掲載されました[1]。

記事の中では、「平成の末期から、若い政治学者に元気がないらしい。」という状況の背景として、政治家や官僚に聞き取りを行い現代史の叙述に活かす「オーラル・ヒストリー」の流行により、将来の話し手である現在の為政者の機嫌を損ねまいとする雰囲気と、「オーラル・ヒストリー」が往々にして「自国の功労者の手柄話」となる危険性が指摘されています。

「オーラル・ヒストリー」を広く聞き取り調査の一つの形式と捉えれば、明治20年代に歴史学者たちが江戸幕府に出仕していた者たちに質疑を行った結果をまとめた『旧事諮問録』[2]や勝海舟の口述による『海舟先生氷川清話』[3]などがありますから、日本においては「少なくともすでに明治期に「聞く」ことで歴史を知る手法が根付いていた」[4]と言えます。

また、近年では、中央政界や官界だけでなく、地方自治体の首長の「オーラル・ヒストリー」[5]も刊行されるなど、対象となる分野が広がりを見せています。

一方、自伝や回顧録が書き手の意図を反映し、自らのあるがままの姿を示すというよりは見せたい姿あるいは残したい姿を記録しようとするのと同じことが「オーラル・ヒストリー」においても生じることは避けられません。

例えば「オーラル・ヒストリー」として編まれた渡邉恒雄氏の『渡邉恒雄回顧録』(中央公論新社、2000年)には後藤田正晴の名前が頻繁に登場する一方で、同じく「オーラル・ヒストリー」である後藤田正晴の『情と理』(講談社、1998年)には「渡邉恒雄」という名前が一度も出ないことなどは、聞き手がどれほど綿密な聞き取りを行ったとしても、全ての情報を引き出せるわけではないことを示す、象徴的な事例と言えるでしょう。

さらに、『渡邉恒雄回顧録』には岸信介が学生時代に哲学書を読まなかったとされるのに対して[6]、岸信介自身に対する「オーラル・ヒストリー」のなかで「相当の読書家」ということを否定していません[7]。

こうした点は、「オーラル・ヒストリー」を研究に用いる際の注意点がどこにあるかを示唆すると言えるかも知れません。

あるいは、自伝や回顧録の類を利用する際には内容を精査する必要があるということは、「オーラル・ヒストリー」にも当てはまるということになるでしょう。

随筆の趣旨とは離れてしまうものの、與那覇先生による「オーラル・ヒストリー」に関する問題の提起は、示唆に富むものであること考えられるところです。

[1]與那覇潤, 「自国の手柄話」の懸念. 朝日新聞, 2020年7月9日朝刊27面.
[2]旧事諮問会編, 旧事諮問録. 旧事諮問会、1891-1892年.
[3]勝海舟述, 海舟先生氷川清話. 鉄華書院, 1897年.
[4]清水唯一朗, 日本におけるオーラルヒストリー-その現状と課題、方法論をめぐって-. 慶應義塾大学G-SEC Working Paper Series No.03-004, 2003年, 2頁.
[5]西川政善, 回想&展望. 徳島県教育印刷, 2019年.
[6]渡邉恒雄述, 渡邉恒雄回顧録. 中央公論新社、2000年, 146頁.
[7]原彬久, 岸信介証言録. 毎日新聞社, 2003年, 352頁.

<Executive Summary>
Dr. Jun Yonaha's Remarkable Suggestion to "Oral History" (Yusuke Suzumura)

Dr. Jun Yonaha published an essay on The Asahi Shimbun and pointed out problems of "Oral History" to political science. It might be a remarkable suggestion, since Dr. Yonaha figured concerns of a method "Oral History".

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?