『特別番組 川端康成氏を囲んで』が示す三島由紀夫の川端康成への敬慕の念の深さ
1970年11月25日に三島由紀夫が陸上自衛隊の市谷駐屯地で蜂起に失敗して自決してから、間もなく満50年を迎えます。
いわゆる三島事件に関する論考は多数あり、ある種の日本の国民的な神話を形成していると言えるかのごとき観を呈しています。
ところで、周知の通り、三島由紀夫が川端康成に私淑していたことは広く知られるところです。
その様な三島が、師とも仰いだ川端がノーベル文学賞を受賞した翌日、NHKの企画により伊藤整とともに葉山の川端邸で鼎談を行いました。このときの様子は、1968年10月16日に『特別番組 川端康成氏を囲んで』として放送されています。
この番組の中盤では、日本語で文学作品を書くということと翻訳の問題、さらに日々の創作活動が世界との関わりを持つことなどが話題となっています。
今回、三島と川端の創作活動や文学、さらに言葉そのものに対する見方が凝縮された内容なっている中盤のやり取りを、以下にご紹介いたします。採録に際しては、2003年11月30日にNHK総合テレビでの再放送の内容に従っています。
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川端:伊藤さんに聞きたいんだけれども、今度受賞でですね、審査、翻訳でやってますね。
伊藤:そうらしいですね。
川端:だから、僕は、翻訳者にはおかげが非常に多いわけですけど、おそらく、いい訳だったと思うんですよ。
伊藤:そうでしょう、そうでしょう。
川端:それで、まぁ、翻訳ばかりじゃなしに、サイデンステッカーやキーンや、フランスの作家もそうですが、私をかなり応援してくれる人もあるんですよね。
伊藤:はい、はい。
川端:だから、翻訳者が半分もらったのか、三分もらったのですかね、分かりませんけどね、日本語で審査されていない。これ、非常に良心的には、辞退するのが本当かもしれない。
伊藤:そうですね…。
三島:そんなとんでもない。
伊藤:しかしですね、私、賛成するわけにはいきませんですね。私ども、外国の諸国の文学を、私なんか英語を商売にした人間でも日本語で読んでいる。それで分かったつもりでおりますから、いい翻訳ということもですね、何と言いますか、原作の再現をできるだけ忠実にやるということですから、日本語で読んでもらうチャンスはなかなかしばらくはないでしょうから…。
川端:日本語訳ね。
伊藤:これはもう、そんな辞退するということを考えていただくと困ると思うんです。
川端:辞退はね、そんな深刻には考えないんだけど、まあしかし、そういう考えも確かにあるんじゃないかとね。
三島:それは、日本の作家の永遠の宿命ですね。
川端:永遠に近いですね。
三島:ほとんど永遠に近い宿命でしょう。向こうの人が日本語が自由に読みこなせて、普通の教養の中で読みこなせて…
川端:前、東洋でタゴールがもらったけど、ベンガル語で書いているけど、恐らく英語で読まれたんじゃないかな。
伊藤:あれは、あの人は英語で書いたんじゃなかったでしょうか。
川端:英語でも書いたし、英語以外でも書いたんじゃないかな。知りませんけど。
伊藤:ああ、そうですか。
川端:私が読んだのはブワヒ語ですけどね。大変やさしい。
伊藤:分かりやすい英語ですね。
川端:だから、そういう翻訳で賞を出すというのもあったんですかね。
伊藤:いや、大体そういうことじゃないんでしょうか。
三島:孤立言語のところはそうでしょ。フランス語か英語、ドイツ語くらいまでじゃないでしょうか。
伊藤:ユーゴスラビアなんて人は、去年ですか、おととしですか、翻訳で読んだに違いない。ロシア語でもそうじゃないでしょうか。
三島:ただあれですね、ノーベル賞って非常に華やかなものですけど、これだけ華やかな国家的な栄誉をお受けになる川端さんを拝見するとね、私はよく思い出しますのはね、昔、もう昭和23、4年頃でしたか、このお宅にお移りになった頃ね、お伺いしまして。これから仕事します、って向こうの書斎にお移りになる。その後姿を拝見するとね、私、いつも俊成だと思っていたんですね。それからまたね、川端さんがね、俊成のね、比翼の体というんですか、またあれをお始めになるんだと。そして、比翼を囲まれてうんうんいわれるんだろうと思うとね、その、なんともいえない気持ちをしたことがあるんです。そうすると、例えばこういうね、非常に孤独な深夜のお仕事とね、国家的な栄光の間をつなぐものをね、これは実に不思議な働きだと思うんですよ。これがね、誰のためでもない、川端さんがお書きになったものは誰のためでもない、川端さんがお書きになったのは誰のためでもなければ、本当にその芸術がそこに自然に出てきて苦しまれて書かれた、それがこういうことにつながった。それが芸術のありがたみでもあり不思議でもある。他の仕事なんかは広がりの上で掴むわけですな。これ、だから違う。深夜の川端さんの机がノーベル賞に直接通じている。その感銘が非常に深いんですね。ことに川端さんが社会的に活動されるわけですけど、普段にぎやかな活動をされながらも、非常に苦しまれる方ですから、その孤独なお時間とね、これとをつなぐものにね、私は一番感銘を受けました。
川端:そうですね。さっきの話の、つまり、私なんてのは怠けた結果でね。
三島:それを言ってはおしまいですが。
川端:だけど、まあ、怠けているから今まで生きてたんでしょうね。ノーベル賞も怠けた結果だと。
三島:力まない、ということは非常に難しいことで、剣道の極意でしょうから。怠ける、といことと力まない、ということはほとんど別なもので、見た目が似ているだけですがね。
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翻訳者もノーベル文学賞の賞金をもらわなければならないという川端の冗談めかした発言を真に受ける伊藤と、書斎と世界とが繋がる様子を力説する三島との間には、文学者としての力量の差が垣間見られると言えるかも知れません。
それとともに、一見すると背もたれに寄りかかるように椅子に座り、不遜ともいえる発言をする三島の言葉の隅々にまで川端への敬慕の情が溢れていることは、実際の映像だけでなく、文字を通しても実感されるところです。
この鼎談の2年後に三島が自決し、さらに1972年には川端も自ら命を絶つだけに、『特別番組 川端康成氏を囲んで』の持つ、文学史的、文化史的、あるいは精神史的な価値は大きいと言わねばなりません。
それだけに、2003年の再放送を最後に地上波、衛星放送のいずれでも取り上げられていない『特別番組 川端康成氏を囲んで』が、三島由紀夫の没後50年を契機に再び電波を通して人々の耳目に触れることが期待されるところです。
<Executive Summary>
What Is a Meaning of NHK's Featured Programme "Talking with Mr. Yasunari Kawabata"? (Yusuke Suzumura)
The 25th November 2020 is the 50th anniversary of the death of Yukio Mishima, an author and one of the remarkable figures of the Japanese literature. In this occasion we examine NHK's featured programme entitled with Talking with Mr. Yasunari Kawabata broadcasted on 16th October 1968.
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