【書評】辻田真佐憲『古関裕而の昭和史』(文藝春秋、2020年)

去る3月20日(金)、辻田真佐憲先生のご新著『古関裕而の昭和史』(文藝春秋、2020年)が出版されました。

本書、福島県福島市の老舗呉服店の跡取りとして生まれた古関勇治(1909-1989)が、5歳頃に耳にしたレコードから流れる音楽の魅力に目覚め、リムスキー=コルサコフに師事した唯一の日本人であった金須嘉之進の指導を受ける以外はほとんど独力で作曲法を身につけ、歌謡曲、軍歌、校歌、寮歌、社歌から映画・ラジオ・テレビあるいは演劇やミュージカルへの伴奏音楽、さらには祝典曲など、生涯に5000曲を超える作品を生み出した過程を描きます。

戦前は「軍歌の覇王」と呼ばれ、太平洋戦争下で「最大のヒットメーカー」(本書、180頁)となった古関が、戦後はあらゆる分野で作曲を引き受け、「大衆音楽のよろず屋」(本書、233頁)として成功を収めたことは、一見すると戦前と戦後の活動の間にある種の断絶があったことを予想させます。

しかし、本書は、古関の政治や社会に対する見解が当時としての一般的な範囲を出なかったことを示すとともに、「ノンポリゆえにかえってどんな政治的音楽でも自由自在に作れ」(本書、289頁)たことを示します。

それとともに、交響管弦楽の分野で名を成そうとしたものの、実際には「軍歌の覇王」、「大衆音楽のよろず屋」となり、「ヒットする大衆歌謡」(本書、289頁)を求められた古関が生涯にわたって「クラシックへのこだわり」(同)を持ち続け、日本における斯界の先駆者であった山田耕筰を絶えず意識していたことなどを、本書は具体的な逸話とともに活写します。

このようなあり方は、ある意味で古関の生涯に屈折を与えるとともに、他面において戦中は「米英撃滅」を唱えながら戦後は民主主義を謳歌した日本の人々のように、特定の主義主張に囚われることなくある種の融通無碍さを発揮して時流に適応する、古関のしなやかさやしたたかさを示していると言えるでしょう。

そして、題名に「昭和史」の語が用いられ、副題を「国民を背負った作曲家」とするのは、まさに、古関の多面的な姿を通して「昭和の国民を背負った作曲家」(本書、290頁)という実像に迫る点に求められます。

例えば、劇作家の菊田一夫との二人三脚によって数々の作品を世に送り出し、妻の金子が「パパは菊田一夫に殺される!」(本書、239頁)と悲鳴をあげた古関の姿は昭和40年代のいわゆる「モーレツ社員」の祖型であるかのようであり、種々の団体歌を手掛ける様子は、天皇を親とし臣民を赤子とする疑似的な親子関係としての天皇制国家が解体された後に人々が企業や学校に対して、それまでに強い帰属意識を抱いたことと比例するかのようです。

一方、「豊橋の音楽少女」(本書、46頁)の内山金子との熱烈な手紙の往来から結婚へと至る過程(本書、46-58頁)や、戦後、株取引で名をはせた金子の様子(本書、252-256頁)など主として妻の金子との関係は描かれても、家庭人としての古関の記述が必ずしも多くないことは、戦前の家父長制から戦後の「民主的な家庭」への移行という変化を参照すれば、ある種の物足りなさを覚えるものです。

それでも、古関が専属契約を結んだ日本コロンビアが所蔵する、レコード中央のレーベル部分の原稿などを綴った「レーベルコピー」に記されたレコードの製造数(本書、86-87頁)や「レコード印税計算書」(本書、105頁)などの記録を精査することで、宣伝ではない、レコードの製造数の実数に迫る手法は圧巻であるばかりでなく、著者の研究者としての力量の確かさを示していると言えるでしょう。

各種の文献を丹念に検証し、「曲は聞いたことがあるけれど、作曲者は知らない」あるいは「名前は知ってるけど、どんな曲を作ったか分からない」という古関裕而の一生を力強く描く『古関裕而の昭和史』は、音楽と日本の社会の関係を考える上でも、われわれに様々な知見を与える一冊です。

<Executive Summary>
Book Review: Masanori Tsujita's "Koseki Yuji and the History of Showa" (Yusuke Suzumura)

Mr. Masanori Tsujita, an author, published a book titled Koseki Yuji no Showa-shi (literally Koseki Yuji and the History of Showa) from Bungeishunju on 20th March 2020.


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