「終戦77年」に考える「戦争の終え方」

今日、日本武道館において全国戦没者追悼式が行われました。

1945(昭和20)年8月15日に昭和天皇がポツダム宣言の受諾を国民に告げる録音がラジオ放送を通して伝えられてから77年を経て、ロシアによるウクライナへの侵攻や中国による台湾海峡での軍事演習の実施など、日本の近隣諸国の情勢は近年になく緊張の度合いを加えています。

太平洋戦争、あるいは近年普及する呼び方に従えばアジア・太平洋戦争の始まりと終わりの日については広く知られているものの、いかにして始まったか、あるいはどのようにして終わりを迎えたかについては十分な注意が払われないというのが実情です。

しかし、実際には日中戦争の状況の打開と東南アジアの資源の確保による米国の対日禁輸措置の克服という目的が戦況の悪化により戦線の維持に代わり、遂には国体の護持へと変化する中で、政治家も軍人も戦争の終結を決断できず、最後は護持すべき国体の象徴である裕仁天皇の「御聖断」を仰がなければなりませんでした。

これは、指導者たちの間に、敗北を決断するという不名誉に与ることを避けようという心情が作用したことを推察させるとともに、天皇の神聖性を強調して戦争を遂行してきたために、可能な限り有利な条件を引き出すことで戦争を終結させようとするあるしゅの貪欲さが事態を長引かせたことを示します。

その意味で、戦争の当事者とならず、恒久的に平和を保つことの重要さとともに、もし不幸にしてひとたび戦争が始まれば、いかにして戦いを終えるかという点にも十分な注意を払うことは、「戦後77年」の現在を生きるわれわれに課せられた大きな責務と言えるでしょう。

それだけに、今日の「終戦の日」を手掛かりに、戦争と平和だけでなく、戦争の終え方についても思いをいたすことは、重要な意義を持つのです。

<Executive Summary>
What Is an Important Attitude for Us to Examine to End the War? (Yusuke Suzumura)

The 15th August, 2022 is the 77th anniversary for the Memorial Day for the End of the Pacific War, or the Greater East Asia War. It is remarkable opportunity for Japanese people to examine a meaning of the war and it would be one of remarkable meanings of the day.

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