保阪正康氏の論考「歴史を変えた指導者の病」で考える「論旨と参照例の関係」

6月6日(土)、東京新聞に保阪正康さんの論説「歴史を変えた指導者の病」が掲載されました[1]。

記事の中では、今年3月末に新型コロナウイルス感染症に罹患した英国のボリス・ジョンソン首相の事例から始まり、近衛文麿の痔疾や、就任直後に寒空の下で行われた祝賀会によって体調を崩し、就任から65日で退陣した石橋湛山のように疾病が歴史を左右した事例や、浜口雄幸や池田勇人など不測の事態によって退陣した者、さらにスターリンら独裁者と病の関係が検討された後、近現代の日本の指導者たちが闘ってきた「病との歴史」と病に直面した指導者の「身の処し方」が「時代の本質」を知ることを可能にする、と指摘されています。

確かに、本文の中でも触れられているように、ジョンソン首相の罹患は「歴史が指導者の病で変容することがありうる」という可能性を示す、ある種の格好の事例であったと言えるでしょう。

その意味で、今回の記事の趣旨はわれわれにとって大いに学ぶべきものと考えられます。

一方で、本文の中で挙げられた個別の事例に即すと、より慎重な検討が必要な内容も散見されます。

例えば、東条英機陸軍大臣に対して強硬な態度を取れなかった近衛文麿首相について、痔疾によって治療を施す余裕がなかったために東条陸相への態度が弱腰になったことが示唆されます。

確かに、1936(昭和11)年の2・26事件後に組閣の大命が下された近衛が自らの健康問題を理由に受諾を固辞したことは広く知られるところです[2]。

それとともに、近衛が軍部大臣に陸海軍を統御できる人材を充てる見通しがたたないことを理由に挙げたこと[2]は、もし痔疾などがない場合でも、近衛が強力な指導力を発揮できたか定かではないことを推察させます。

あるいは、石橋の場合も、「「私は新内閣の首相としてもっとも重要なる予算審議に一日も出席できないことがあきらかになりました以上は首相としての進退を決すべきだと考えました。私の政治的良心に従います」と退陣した点を「そのけじめが、石橋の評価にもつながっているように思う」[1]と肯定的な評価が下されています。

本文でも言及されている浜口雄幸の遭難に際して、長期にわたって帝国議会に登院しなかった浜口を批判した石橋[3]にとっては、言行の一致の点からも必然的な退陣であったと考えられます。

これに対して、「政治は力であり、金だ。力ある者のみが党内競争者をけ落し、その主導権を確立することが出来る。」[4]という岸信介の政治観に比べれば、石橋内閣で官房長官となった側近の石田博英に「これほどアマチュアとは思わなかった」と言わしめた石橋湛山[5]のあり方を考えれば、「岸首相の治安対策重視、日米安保条約の軍事化」と比較して「戦後政治を考える上でも惜しまれる」[1]とするのはいささか短絡的にも見えます。

すなわち、1956年の総裁選挙で派閥の存在感が高まったことを考えれば、組閣から2年程度で派閥争いが生じて石橋が政権の座を追われる可能性は捨てきれません[6]。

もちろん、こうした観点は本文の趣旨という大きな流れからすれば枝葉末節に過ぎないかも知れず、本論の内容そのものを損なうものではありません。

それでも、細部の彫琢によって全体がより輝くとするなら、個別の事例の持つ意味は決して小さくないと言えるかも知れません。

[1]保阪正康, 歴史を変えた指導者の病. 東京新聞, 2020年6月6日夕刊5面.
[2]本庄繁, 本庄日記. 普及版, 原書房, 2005年, 284頁.
[3]石橋湛山全集編纂委員会編, 石橋湛山全集』第7巻, 東洋経済新報社, 2011年, 7-10 頁.
[4]吉本重義, 岸信介傳. 東洋書館, 1957年, 157頁.
[5]宮崎吉政, 新聞記者が接した石橋湛山の実像. 石橋湛山研究, 第3号, 185頁.
[6]同, 182頁.

<Executive Summary>
What Is a Meaning of Mr. Masayasu Hosaka's Essay on Relationships between Leaders and Diseases? (Yusuke Suzumura)

Mr. Masayasu Hosaka, a nonfiction author, wrote an essay entitle with "Leaders' Diseases Change the History" on the Tokyo Shimbun on 6th June 2020. In this occasion we examine relationships between the point of the argument and examples.

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