【書評】伊東潤『一睡の夢』(幻冬舎、2022年)

昨年12月14日(土)、伊東潤先生の小説『一睡の夢』(幻冬舎、2022年)が刊行されました。

前作『天下大乱』(朝日新聞出版、2022年)では、徳川家康と毛利輝元という、ともに自らの凡庸さを自覚する2人を対比させ、関ケ原の戦いへと至る過程に焦点を当て、1990年の英国のテレビドラマ"House of Cards"のように人々の欲と野望に満ちた姿が取り上げられました。

今回は、関ケ原の戦いを経て公儀から一大名へと転落した豊臣家と、新たに日本を支配する地位を手にした徳川家との相克を、徳川家康と淀君を通して描き出します。

このときに手掛かりとなるのは、『天下大乱』で取り入れられた「徳川家康と豊臣秀頼のどちらが時間を味方につけているか」という考えです。

年齢の差が50歳あり、一方はやがてこの世を去り、他方はこれから人となるという両者の違いは、本作でも重要な役割を果たします。

すなわち、かつては栄華を誇ったものの今や多くの大名が離反し、難攻不落の大阪城を除いては頼るべきもののない豊臣家にとっては、徳川家康の寿命が尽きるまで生き延びることが不可欠であり、徳川家康としては存命中に最大の敵である豊臣家を滅ぼさなければ徳川家の安泰はないという点は、両家の対立に緊迫感を与えます。

また、実父である浅井長政と養父の柴田勝家を戦乱の中で失った淀君にとって豊臣家、何よりわが子の豊臣秀頼の安寧こそが唯一の願いであるとともに、母であるお市の方から教えられた「乱世にあって最も大切なのは誇り」という考えは揺るぎのないものであり、徳川家に膝を屈してでも家を永らえるか、豊臣家の誇りをもって最期を迎えるか、という葛藤は、「無位無官ながら嫡男を生んだということだけで豊臣家を差配し、選択を誤った」と思われがちな淀君の人物像に奥行きを与えるものです。

これに対し、本作の徳川家康も「智謀に長けた狸爺」といった通念に修正を迫るものに他なりません。

武将としては凡庸ながら治世にはその凡庸さが必要な徳川秀忠に征夷大将軍としてのあるべき姿を示しつつ、成長の跡が認められない様子に煩悶とするありさまは、「父としての家康」という新たな像を提示します。

しかも、「父としての家康」の苦悩は徳川秀忠に対してのみではなく、「徳川家の父」として次の世代にも及ぶことは、優れた武将ながらその勇武さは治世に無用となる松平忠直への評価や、将軍家の藩屏となるべき徳川義直への訓導の場面に鮮やかに示されるとともに、その後の「徳川の平和」を予告するものでもあります。

そして、徳川家康と淀君との間の父と母の争いをより一層印象深いものにするのは、誇りよりも家の安泰のために方策を尽くす豊臣秀吉の正室であった高台院や、豊臣家の家宰でありながら徳川方の離間策によって大阪城を去った片桐且元、大坂冬の陣の際の、勲功を上げることを優先する牢人たち、あるいは駿府と江戸の二元体制下に生きる徳川家の諸臣や豊臣家滅亡後に備えて戦功を残すよう配慮された徳川家譜代の諸将などの姿です。

『武田家滅亡』(角川書店、2007年)で滅びの中に光る未来への期待を印象深く書いた手腕は今回も健在であり、簡潔な文体と最新の歴史学の成果を積極的に取り込んだ構成が加わることで、物語は重厚で濃密な歴史絵巻となりました。

「天下の静謐のためには戦わなければならない」という逆説的な状況を通して戦乱の世の最後を生きた人々の様子を知るためには、『一睡の夢』は欠かすことの出来ない快作です。

<Executive Summary>
Book Review: Jun Ito's "Issui no Yume" (Yusuke Suzumura)

M. Jun Ito published book titled Issui no Yume (literally A Dream During a Nap) from the Gentosha on 14th December 2022.

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