「広島への原爆投下」から75年目に思ういくつかのこと

本日、1945年8月6日(月)に広島県広島市に原子爆弾が投下されてから、75年目を迎えました。

同盟通信社は英米政府が原子爆弾を投下した旨を声明するラジオ放送を傍受してはいたものの、「新型爆弾」や「新爆弾」という表記となった背景に、「原爆などといったら、国民の士気がいっぺんに低下するから」[1]と、軍と情報局との対立があったことは広く知られるところです。

実際、「新型爆弾」や「新爆弾」が広島市に投下されたことを告げる大本営の発表を掲載した新聞各紙には「相当の被害」[2]、「軽視許さぬ其威力」[3]と事態の深刻さを報じています。

一方で、1941年12月8日に英米への宣戦布告の詔書が渙発されたことを記念する大詔奉戴日にちなみ、毎月8日に掲出された開戦の詔書は、通常通り掲載されています。

もちろん、新聞各社にとって毎月8日に掲載する開戦の詔書を載せなければ、当局による検閲で発行の差し止めや紙面の差し替えの処分を受けることになったでしょう。

従って、新聞社が同じ紙面の一方で「新型爆弾」の威力の大きさを報じつつ他方で戦争の継続が唱えられたとしても、何ら不思議なことではなかったかも知れません。

それだけに、あくまで戦意の維持と戦争の継続を目指した軍部を中心とする当局者と、「有利な条件を獲得のため戦争終結の時期を逸するは不可」という昭和天皇の判断[4]の乖離、そして両者を繋ぐべき関係者のあり方が、今一度問われる必要があると言えるでしょう。

[1]「ポツダム」受諾流す. 読売新聞, 1969年12月21日朝刊7面.
[2]B29新型爆弾を使用. 読売報知, 1945年8月8日1面.
[3]B29、広島に新爆弾. 毎日新聞, 1945年8月8日1面.
[4]宮内庁編修, 昭和天皇実録. 第9巻、東京書籍, 2016年, 748-749頁.

<Executive Summary>
On the Occasion of the 75th Anniversary of the Atomic Bombing of Hiroshima (Yusuke Suzumura)

The 6th August 2020 is the 75th anniversary of the atomic bombing of Hiroshima. On the occasion of this memorial day, it would be meaningful for us to remember tragic results of the atomic bombing and role and task of the authorities.

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