カント哲学で学んだ「批判」と「誹謗中傷」の違い

すでにご承知の方も少なくないと思うものの、私は大学の学部と大学院修士課程、そして研究生と合計7年にわたり、法政大学で哲学を学んできました。

自立した研究者になるための準備の段階で専門を哲学から政治学に変えて再び修士課程から学びなおしたのですから、哲学科と哲学専攻の学生としての私の出来栄えが心許ないということは推して知るべし、というところでしょう。

このような私ではあったものの、指導教員の牧野英二先生からは、学部3年生の時から研究生を終えるまでの5年にわたり、懇切丁寧な指導を受けることが出来ました。

ところで、牧野先生のご指導の中でもひときわ印象的な出来事の一つが、カントの哲学の中心となる"Kritik"(批判)の概念についてのお話でした。

すなわち、牧野先生は「Kritikとか批判というと難しく思われるかも知れないし、実際に難しい概念ではある。しかし、"κρῐτής"や"κριτικός"といったギリシア語から変わらないのは『あるものと別なものを選り分ける』という意味であり、カントもこのような物事を弁別する能力としてKritikという語を用いていたということは、常に忘れてはならない」という趣旨の指摘をされました。

そして、「『批判』という言葉も『物事を比較して判定する』という意味を持っている」と言葉を継がれたことで、「そのようなものか」という顔をしていたわれわれ学生たちの理解は深まったように思われたものでした。

先日来、インターネット上でのやり取りに関し、「誹謗中傷」という言葉と「非難」、さらには「批判」という表現が同じ意味であるかのように用いられている場面が散見されたことで思い出した、1998年4月の出来事です。

<Executive Summary>
Kritik or Smear, What Is the Difference?: A Memory Concerning on Kant's Philosophy (Yusuke Suzumura)

When I was a third grade student of Hosei Univesity, Professor Dr. Eiji Makino, my super visor, told us a meaning of the word "Kritik" which is the core of Kant's philosophy. It might be very important for us to esamine a difference between "Kritik" and smear.

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