僕のストーリーPart3
おはようございます。整体を受けに行った時、あまりの股関節のかたさに、はずかしくなる須藤祐介です。
昨日の記事で、最後の方はに夢を諦めたことを書きました。今日は夢を追いかけてた時の僕の「あだ名」をテーマにお話ししていきます。
昨日はここ数日家で遊ぶことが多くなっているこども達とマスクとメガネをして公園へ出かけました。15面くらいあるアスレチックに挑戦。楽しみながら、壁を乗り越えていくこどもたち。よく楽しんだね。
公園にはサッカーコート4面分くらいの広場があって、小学生の時に入っていたサッカーチームのグランドを思い出して懐かしい気持ちになりました。
【あだ名】
結果的にはなれなかったけど、小学5年生の時から高校くらいまではサッカー選手になる夢を持っていて、当時はそれが僕の真ん中にある人生でした。
サッカーは両親のおかげで続けることができました。結果は出せなかったけど、夢みて走ることができました。ありがとう。
小学生と中学生の時、僕のあだ名はすっぴーでした。どういういきさつでこのあだ名がついたかははっきり覚えてなくて残念なんだけど、僕はこのあだ名を気にいっていて、サッカーをしている時もこの名前で「すっぴーパス!」とか呼ばれていました。そういえば当時は〇〇ぴーってあだ名が流行ってたな。うちの学校だけだったのかな。今思い出しました。
すっぴーと呼ばれていた小中学生の頃は普段の時もサッカーをしている時もなんか楽しかった。好きだった女の子からすっぴーと呼ばれるとこっぱずかしくて嬉しかったなぁ。
高校時代、今考えるとプロを目指すにはよほどの素質がないと遅いんだけど、本格的にサッカーをするようになった。
それまで仲間と楽しくプレーしていたサッカーとは違い、上下関係も厳しかった。1年生の時はボール拾いをしている時間が長かったな。高校の時は須藤って呼ばれたり、「すとぅー(くん)」だったりあだ名はとくに無くて、たぶん2年の時に学校を2〜3日親に黙って休んだ時もあった。そこからまた学校へいって、3年間サッカーをしたけど、レギュラーにはなれなかった。
最後の試合のあと、試合には出られなかったけど、3年が集められてこれで最後だとコーチに言われて、もうこのメンバーとサッカーできないんだなと思った瞬間、それまでの3年間を思い出した僕は下を向いて、目から涙を溢れさせていた。
「すっぴー」というあだ名はもう呼ばれなくなって、いつの間にか「あの頃の僕」を僕はどこかに置いてきてしまったようだ。
大丈夫。夢は叶えられなかったけど、素敵なことが待ってるよ。
ありがとう「すっぴー」
また呼ばれたいな。
素敵な一日を。
いってらっしゃい!
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