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人生にとっての水

僕にとって大切な10/3という日

2021年の10/3。去年の昨日、僕はとても貴重な1日を送った。

人生にとっての水を与えてくれる人に出会った。

大きな愛を持っていて、無償の愛を与え続けてくれる。
とっても大きな方に出会った日だった。

この世界で最も偉大なことは人が変化するということだと思う。

人が変化する時、いつも僕は愛が原点にあると考えている。

悪い変化は正確に言えば「変質」という言葉になるだろう。(だから変化の原点は愛といえる)

誰かから貰った愛で、自分の行動が変わること。
みんなも記憶の中にそういった体験があるんじゃないだろうか。

僕の場合は、母から貰った愛で変化した記憶が説明しやすい。

当時、高校一年だった僕は、社会とは何か。お金を稼ぐためには何が必要なのか。今どこにいけば良いのか。何も知らない人間だった。

でも、とにかく人に命令されたり、自分の行動が縛られるのが嫌いで不登校になった。

母は老人ホームの介護というかなりハードな仕事をしていて、朝早く、夜遅く。そのループだった。
僕が幼かった時は優しかった母も段々当たりがキツくなり、精神的に凄く疲弊した様子でいつも怒るような人になっていた。

僕が不登校になってから、3ヶ月間全く気付かれることなく時を過ごした。

しかし、何事も明らかになる時は来るもので、僕にもその時が来た。

親なら許してくれるだろう。

そんな甘い考えだった。

けれど、予想していた以上の反応だった。

泣き叫ばれ、怒号を浴びせられた。
その日から毎日。

当然と言えば当然だろう。
母が稼いだお金で高校に所属していた。
仕事で溜め込んでいたものがあり、その溜め込みを我慢して稼いだお金が水の泡になっているのだから。

学校にも家にも居場所が見つけられなくなり、道を外れるようになってしまった。

毎日、母が眠りについたのを見計らい、家を出て夜遊び。
そして母が起きる前、5時くらいに家に帰る。

悪いことは、終わりが来る。

警察に捕まり、初めてパトカーに乗せられた。
パトカーが3台も追加で来てしまった。

早朝、親が迎えに来てくれた。

流石にもう、母にも見放されるだろうか。
家を出ないといけないだろうか。

そんな考えとは裏腹に、

家に戻った僕の目の前には、作り置きのご飯がラップしてあり、手紙と一緒に机に置かれていた。

きっと最後の一絞りだったのだろう。
大きな愛を持っている方だ。

自分も苦しい中、僕との関係が悪くなる一方で、
僕のことを考えるのは大変だっただろう。

それを境に、僕の心の中に、生活を変えたいという気持ちが芽生え、少しづつ変化していった。

人はきっと自分を突き動かしている水を持っている。
自分にとって大切なものを。

貰ったから人にも与えたくなる。

大切な水をみんなが持っているけど、忙しくなったり、どうすれば良いのか途方に暮れたり、そういう窮地に立たされた時、その大切なものを忘れそうになる。

でも手放さないで持っておくことだ。

心から手離してはいけない。

10/3、人生の師匠に出会った。

良い方向に進めば、おのずと良い人に出会える。

赤の他人だったその人は親と同じか、もしくはそれ以上の愛を水を僕に注いでくれた。

目の奥に炎のような熱いものが宿っているその人は沢山のことを教えてくれた。

どのように生きていきたいか、どんな人になりたいか。
その人の背中が教えてくれた。

僕が水を授かった去年の10/3。
そしてそこから更に1年前の10/3。

ランニングをしていた時、休憩所で買った水。
疲弊していた筋肉が、呼吸が、生き返った。
休憩が終わり、再度走ろうとした時、ほんの少ししか残っていない水が邪魔だと感じてしまった。
捨てたいと少し思った。
けれど、走り始めるとまた水が欲しくなる。
少しだけ。
面倒だけど持ちつづけて良かったと後になって思うから、今は保とう。そう思い、水の量に相応しくない大きなペットボトルを持って、もう一度走り始めた。

それは人生という長い道のりになってもきっと同じこと。

水を持ち続けることがゴールまで走る力をくれるのだろう。


愛をもらい続け、とうとう僕も愛を、水を与える側に回れるようになってきた気がする。

与える側になって初めて気付くことが沢山ある。

与えることは、難しいということだ。

自分も危険な目に遭う可能性を持っている。

ちょうど一昨日、夢を見た。

人が沢山乗った通学バスが湖に沈んでいく。

そこを通りかかった夢の中の僕が
湖に飛び込み、
窓ガラスを破り、シートベルトを外して一人一人上に引き上げる。
そんな夢だった。
(現実だとこんなカッコよく動けないだろう)

湖の中に潜って行った時、息が苦しくて、
早く空気を吸いたいという気持ちになった。

苦しいぃーーとなって、夢から覚めた。

与える時もこのような感じだろう。

「与える」という行為には、
犠牲が伴う。

自分も落ちてしまう可能性を秘めている。

でもそのリスクを承知で与えてくれる人がいる。

簡単なことじゃない。
でもその分、深い愛になる。

最後まで走ろう。
水を携えて。

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