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波瀾万丈の中、 意に反した状態で実父の家で 重度訪問介護を利用しながらの生活がはじまった。 しかし、実父の再婚相手との生活に耐えられず 1ヶ月が経過した頃、 飛び出し、一人暮らしを決行。 この時の無茶振りに時間数を下ろしてくれた 役所や奇跡的に翌日にバリアフリー物件がみつかったことなどは奇跡の連続だったとおもう。 そして、 24時間ヘルパーさんとの生活がはじまった。 楽にみえて、これがまた楽ではない。 どこかでずっと気を遣っている。 時にはヘルパーさん
それは、就職して2ヶ月が経ちもうすぐ3ヶ月目に差しかかろうとしているところ… 突然。 勤務を終えた帰り道。歩いていたらゼェゼェ。 まるで、喘息の発作の様な状態になった。 父親が喘息持ちなこともあるし、アレルギー体質な自分。喘息を発症したのかとおもった。 一旦、自宅に帰りベッドで座って休むと少し楽になった。 とおもったら、またゼェゼェ… これはまずい。職場の関連病院の呼吸器内科に飛び込んだ。 診断はやはり、おそらく喘息だろう。 休みの日に受診して、詳細な検査を
2015年4月 無事に大学進学(言語聴覚学科) 2016年夏 大学の海外研修プログラムで、ベトナム🇻🇳を訪れる。 そうこれが、ここから先の私の 大学生活や考えを 大きく変えることとなる。ベトナムホーチミンのトップといわれる国立病院、チョーライ病院でJICA青年海外協力隊の方と共にベトナムのリハビリに触れさせて頂いた。 その時に、現地の方々の向上心の高さに惹かれる一方で制度が整っていないことで、もう少し、もっとリハビリが関わることができれば、改善の見込みが高いのではな
はじめまして☀️ 細かい自己紹介と経歴をつらつら〜っと、 ご紹介させていただきたいと思います。 1996.08.25 横浜に誕生! 中高は地元の中学に進学するのが嫌で 親に頭を下げて私立女子完全中高一貫校で過ごす。 幼少期から看護師を目指し、中学時代には フライトナースになりたい!と夢みるも… 腰の疾患で高2の冬にDr.からストップをかけられる。 この頃から体調不良が増えていった…。 が、ことごとく整形外科疾患や没頭していたマーチング、吹奏楽からのカラダへの負担、