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自己紹介part2👩🏻
2015年4月 無事に大学進学(言語聴覚学科)
2016年夏 大学の海外研修プログラムで、ベトナム🇻🇳を訪れる。
そうこれが、ここから先の私の
大学生活や考えを
大きく変えることとなる。
ベトナムホーチミンのトップといわれる国立病院、チョーライ病院でJICA青年海外協力隊の方と共にベトナムのリハビリに触れさせて頂いた。
その時に、現地の方々の向上心の高さに惹かれる一方で制度が整っていないことで、もう少し、もっとリハビリが関わることができれば、改善の見込みが高いのではないか?とおもう患者さん達をたくさんみた。
基本的に退院後のリハビリは制度では確立されておらず、昼休みや仕事の終わりなどに病院で診ていたセラピストが自費でリハビリをしにいくという場面はたくさんみたが、これを受けられるのはお金を持っているごく一部の人のみ。
そして、その患者さんの情報は行っているセラピストだけが知っており、共有されることもない。
この現実をみたとき、
私は言語聴覚士として日本で学んだ後に
ベトナムに訪問看護、訪問リハビリ
のシステムをつくりたいとおもった。
それなら、2週間の学校の研修だけでは現地のことを知るのには時間が少なすぎる。と、
翌年も夏にベトナムに飛び、現地の病院でリハビリの現状を学び、1年間で駆使したベトナム語と英語で日本のリハビリの現状を伝えたり、
患者さんにどんなリハビリがいいのか?を一緒に考えるようになった。
現地で日本とまったく同じリハビリができるわけではない。日本には当たり前にある物品などがあるわけではないので、何で代用できるのか?なにを代用しているのか?なども学ばせてもらった。
その後も現地に行ってみたり、
現地のセラピストの方とSNSでやりとりをしたり、新しく赴任された青年海外協力隊の方からメッセージを頂きやりとりをしたりと、ベトナムとのやりとりは途絶えることはなかった。
そんな夢を抱いて、4年間の大学生活を終え
2019年3月 卒業、そして国家資格合格を得た💮
嬉しいことに
総代として舞台で卒業証書を受け取ったことは良い思い出である。
また、同時にベトナムからの刺激を受けて
地域と学生の繋がりがなかなか広まっておらず、
地域に溶け込んでいない学部を地域と繋げて、
地域活性化をしたい。
それが、助け合いの文化を創り出すのではないか?と思い、学生会として地域活性に力を入れていき、市報に載せて頂いたり、取材を受けたりしたことも良い思い出である。
今でも、ベトナムも大学のある地域も故郷の様な気持ちである。
そんな志をもったまま、
地元関東の病院から奨学金を借りていたこともあり、そこで急性期、地域包括、外来での小児リハに携わることとなる。
まさか、
入職の2ヶ月後に病気で倒れるとは思いもこの時はしなかった…
ただ、高校の頃から病院に入院することが多かったり、体調不良を起こすことが多かったりしたが、思春期特有のものや疲れ、心因性と言われてきたものが、大きな病への影であったとは誰もが
考えもしなかった…
ひとつ、ずっとモヤモヤしていたものは
心因性ではない!とずっと思い続けてたのにも関わらずどこにいっても心因性扱いされていたことだった。
つづく。
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