![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/73188804/rectangle_large_type_2_04ec85df5fb9f2c15a80283471497d6d.jpeg?width=1200)
難病になるなんて…
それは、就職して2ヶ月が経ちもうすぐ3ヶ月目に差しかかろうとしているところ…
突然。
勤務を終えた帰り道。歩いていたらゼェゼェ。
まるで、喘息の発作の様な状態になった。
父親が喘息持ちなこともあるし、アレルギー体質な自分。喘息を発症したのかとおもった。
一旦、自宅に帰りベッドで座って休むと少し楽になった。
とおもったら、またゼェゼェ…
これはまずい。職場の関連病院の呼吸器内科に飛び込んだ。
診断はやはり、おそらく喘息だろう。
休みの日に受診して、詳細な検査をしてください。と、喘息の薬を渡されて帰宅。
吸入でその日は発作が治まった。
2日後が休みだったので、予約を入れて帰宅。
翌日、科長に状態を説明して仕事をしていいと許可をもらいふつうに勤務。
ところが、ゼェゼェ。仕事中にまた発作が…
吸入しても治らない。
早退して、呼吸器内科に飛び込んだ。
喘息の重責発作と判断されて、ステロイドの投与をすると同時に入院。
しかし、一向にゼェゼェという音と呼吸の苦しさは治らない。
呼吸器の検査結果は、混合性換気障害。
喘息は否定された。
大学病院へ紹介状を書いてもらい、大学病院へ転院。
どんどん、歩くこと、食べることすら苦しくてできなくなっていった…
大学病院でもありとあらゆる検査をしたが、
なにが原因でそうなっているのかはイマイチはっきりせず。
ただ、どこかが狭まってるのではないか?という予測までしかつかず、NPPVというマスク型の呼吸器で圧をかけて狭まっているところを広げることに。それから、車椅子になった。
でも、診断はなにもついておらず
当時はすべて3割負担の実費。😶🌫️
車椅子のレンタルも月6万円。
退院と同時に発声や音声に強い大学病院への紹介状を書いてもらい、通院。
ここで、上咽頭が狭窄している。
と、ようやく診断がついた。
ただ、原因でが掴めず…心因性では?と言われて通院し続けて1ヶ月も経たない3回目の通院日。
右の顔面神経麻痺を指摘される。
元々入院していた呼吸器内科に戻され、
そこから脳神経内科へ。
ここからが、難病と診断される一歩となる。
入院中に1ヶ月もかからず、あれやあれよという間に麻痺が進み、手足が思うように動かせなくなった。立つことも、食事を自分で食べることもできなくなった。
あらゆる検査をされ、ALSと診断。
そして、退院。
退院して半月ちょっと。
訪看で右肺の音が聞こえないと、
大学病院を受診。
気管切開をすることが決まった。
その入院中に、ALSでは説明のできない
痙攣発作などが起きるようになった。
これは、ALSではないんじゃないか?
前回の入院では検査しなかった特殊な抗体検査や
色々な検査を取り直した。
結果。
スティッフパーソン症候群
と診断された。
これは、100万人1人の割合で発症すると言われている難病。
難病とはいっても、国の指定難病にはなっていない。
そして、その中でも1-2%しかいない傍腫瘍性症候群であるということがわかった。(癌を併発していたり、癌に将来なるリスクが高いことを示す)
だが、癌は見つからず…
一気に治療方針は変わり、免疫治療の道へ。
しかし、ことごとく効果がでるどころか
副作用にやられ惨敗。
薬剤調整のみでの調整を余儀なくされた。
体重は10キロ以上も痩せ、
食事は摂れる時にいくら食べても栄養値は中々上がらず…
血圧も謎の低血圧症を発症。
退院まで10ヶ月かかった。
コロナ第一波がおき、病院はコロナ受け入れモード。
突然の退院が決まった。
私の意思とは反した状態で周りがぐるぐると退院調整をし、あっという間の退院。
退院後は幾度と救急車で運ばれるもの、
発作どめの注射を打たれたり、
心因性の発作だと言われて
再検査などはほとんどできず、
気がついたら担当の呼吸器内科は外れた状態で
入院をすることもできず、
在宅生活を送るようになったのだった。
ただ、外来になったからこそ
ボトックスを打てるようになった。
いいのか悪いのか、
ボトックスはからだに合っていたらしく
発作を除いてはボトックスでコントロールが
効くようになっていた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?