疑わしきはその「前提」


お久しぶりです、Yusonです。もう11月なんですね。
日々本当に色々なことを考えていますが、少し時間が出来、また、2020年上半期に散りばめられていた「伏線」が、いよいよ個人的に回収されてきて、「そういうことだったのか!」とテンションが上がってしまったので、不格好でも思いのままに書きたいと思います。

さて。
日々、イロイロナコトが引き金となり、自分の中で悩んだり、深く考えすぎてしまう時があります。
イライラしないように感情を抑えれば抑えるほど、負のスパイラルが始まり、なかなか抜け出せないパターンに陥いる、ということが私にはよくあったのです。その出来事の責任のありかを、どこに求めればいいのか、はっきりしない感情の原因をあてどなく探し迷っていたのかもしれません。

「変わりたい自分」はいるはずなのに、なかなか前に進めない。もう答えは分かってるのに、「生身の自分」が追い付いていないことのもどかしさに、心臓が黒くどろどろと濁っていく感覚が、どうにもこうにも気持ち悪い。
おえええ……。

何回かこのパターンを繰り返し、いい加減気付いた「イイこと」は「夜明け前が一番暗いんだ」ということでした。
そう、本当に。一つの核心を得る前夜が一番キツイ。全てが虚無。自分がこんなにも無意味に感じられる日々は耐えがたい。あなたにもそんな「革命前夜」があるかもしれません。

暗転。本題。

「無意識に刷り込まれた思い込み」から自由になれたら、とっても軽やかに生きていけるんじゃないか、と思いました。
人生は楽しいんだ!って私も思ってみたい、では一体どうすれば?と好奇心がうずいた、というよりも単に謎を解明してみたかったのですね。お隣のよしこちゃんは感じられて、私が感じられないのはおかしいじゃないか!ということですね、ハイ。変な負けず嫌いの発作が…。

「自分をいじめるだけの思い込み」を手放す、これはとっても大事なことです。でもその前にもっと深くて大事なのは、もしかしたら「思い込みの前提」をひっくり返すことなんじゃないかと思いました。私の場合はね!

どういうことなのか。

例えば、「どうして人と同じように、表面的にでも上手く器用に接せないんだろう?」と悩んだとしますよね。
そうしたらこの問いの背景には、「人と表面的に上手く器用に接しなければいけない」という前提・ルールがあるのです。そのルール(土俵・ステージ)の中であなたの日常が繰り広げられてしまうんですよ。もっと深堀りするならば、「他人と上手に関係を保たなければ、自分はダメなんだ」とか、「その他大勢の人たちと同じように振舞えないと価値が無いんだ」という思い込みにたどり着けるかもしれません。

これが「つらいよー」「苦しいよー」と思ったのなら、その「前提」、すなわち、ルール、立ってしまった(もしくは立たされてしまった)土俵をひっくり返せばいいんです。

「人と表面的にでも上手く器用に接しなくてもいい」という前提・ルールの中で日常のゲームを繰り広げられれば、それはそれは心が軽くなります。少なくとも私はなりました。今日。(笑)

前提・ルールが違えば、そこはもう別世界なのです。だから、自分にとって苦しくないルールが適用されている現実を勝手に作って、生きればいいのです。なんとこれは無料です。おっとくー!

「誰に対しても平等に優しく手を差し伸べなければいけない」ルールから、
「助けてって言われた上で、好きな人だけ助ければいい」ルールへ。

「外部のネガティブ情報に敏感に反応してしまって、ついつい落ち込みやすい自分はよくないんだ」という前提から、
「外部のネガティブ情報に反応してしまって、ついつい落ち込みやすい自分でもいいんだ。結構アイス食べたら流せるようになってきたし」という前提へ。

そんな簡単なことじゃないんだよ!大人は複雑なんだよ!って。

うん。分かります。
過去のトラウマとか、まぁ人生経験に基づいて、それぞれiroiroあるし、無い人なんていないと思います。
でも、「現実問題や心の傷は複雑で、自分なんかが到底太刀打ちできるものではなーーーーい!」って頭を抱えるより、「なんだ!実は簡単なことだったんだ!」って「前提」を変えてみたら、結構「強い自分」が協力してくれたり、「過去の自分」が応援してくれたりするのです。



憂鬱な月曜日が始まる前に、私の記事を読んで「あ、水曜日くらいまでなら、なんとか息出来る気がしてきた」と思っていただけたら満足です。サポートしていただいたら、大満足です。(笑)