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包丁とキッチンナイフの違いについて考えたこと(インタビュー編)

これは僕のドイツの学校時代のBachelorプロポーザルの抄訳です。ご興味がありましたら前編と合わせてお読みください。
後編では日本およびドイツにて家庭における包丁・キッチンナイフの使われ方、また刃物全般にまつわる経験についてインタビューした結果及び前編と合わせた考察を述べる。
前編:包丁とキッチンナイフの違いについて考えたこと(リサーチ編)

Abstract
ドイツおよび日本で調理用刃物についてそれぞれ10人程度インタビューを行ない、前編の文献調査と併せてアーキタイプ、およびProduct Semanticについて考察した。なお、本文におけるProduct Semanticについては後述する。
併せて周辺器具、特に皿やまな板の役割についても考察した。
インタビューの結果、調理用刃物はドイツ、日本共に箸やお茶碗のように属人器として扱わている例が多くみられた。また、ドイツの肉切り包丁のアゴ部分には刃がつけられておらず、そこまでがグリップ(の延長)であると考えられること、それに対して日本の包丁はアゴまで刃の一部としてデザインされていることが明らかになった。これはインタビュー時に描いてもらったスケッチに顕著に表れている。
ここからドイツにおけるキッチンナイフのアーキタイプは前編において指摘した携行用小型ナイフであるとの結論に至った。その一方で日本における包丁は古くから調理道具としての進化を遂げており、例えば言語表現上も、ドイツ語で見られるような機能と役割の混用が見られない。

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アゴとは、包丁の刃の持ち手側の角、上図でBartと書いてある部分
上段:ドイツ人(I)が描いたドイツのキッチンナイフの例
下段:日本人(A)が描いた日本の包丁の例
灰色で示すグリップの範囲の違いと、スケッチ上の簡略のされ方に注目

謝辞
インタビューをしたのはもう何年も前になるが、ここであたらめてお礼を申し上げたい。ありがとうございました!
Es ist schon einige Zeit vergangen, aber möchte ich Euch, die mein Interview mitgemacht haben, noch einmal bedanken. Vielen lieben Dank aus Tokio und hoffe, dass wir us bald wieder sehen!

(注意:以下の文章はとっても長いです。ヒマなときにでもお読みください)

インタビュー方法

インタビュー数は定性的な知見を得ることを重視し、ハンドリング可能な数としてドイツ・日本でそれぞれ10名程度とした。また、両国において職業調理経験者および幅広い年齢層からインタビューすることを心がけた。ドイツと日本、両方の文化がバックグラウンドにある家庭も2件インタビューしている。またインタビューは可能な限りその人の自宅を訪問して対面でおこなうようにしたが、現在近くに住んでおらずメールでのやり取りとなった場合や、その人が好きなことを喋りまくって終わった失敗例もあった。
また、前編において議論した調理用刃物に対するアーキタイプ、コンセプトを探るため、インタビューの場において自分が普段使っている包丁・キッチンナイフのスケッチをしてもらった。

インタビューの大まかな流れ
−前編の冒頭に書いた、僕の包丁・キッチンナイフの使われ方に関する違和感とインタビューをお願いしたモチベーションを説明
−インタビューのトピック(順不同、場合によっては聞かなかったり、テーマが違う方向に行くこともあった)
 ・刃物にまつわる良い・悪い思い出(論文中では刃物教育についてもテーマにしていたため調理用刃物以外の事も聞いている)
 ・(特に調理用)刃物の使い方をどのように学んだか
 ・子供に対する刃物教育にあたって注意していること
 ・食器を扱うときのマナーについて
 ・刃物に関することわざ
−スケッチセッション
 ・その場で家にある調理用刃物のスケッチしてもらう

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 ・後日描いてもらった刃物の写真を送ってもらい、スケッチと対比、考察した。

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−インタビュー対象者
 ・インタビューは僕の知り合いを中心に、出来るだけ広い年齢層から話が聞けるようにした。また、デザインリサーチにおける定性的インタビューの性格上、再現性より興味深い知見が出てくることを重視した。なおドイツ、特に僕の住んでいたライン地方では3代前から両親側ともずっとドイツ在住のドイツ人というわけではない事も多く、様々なバックグラウンドがある前提でインタビューしていることをご承知いただきたい。インタビューに応じてくれた人たちは以下のとおり。
 ・A 元エンジニア(現在引退)、男性、日本、60代後半
 ・B ソーシャルワーカー、女性、日本、60代後半
 ・C 調理系コンサルタント、男性、日本、30代
 ・D 砥ぎ屋のおじさん、男性、日本、60代
 ・E 技術者、男性、日本、30代なかば
 ・F 調理士、男性、日本、30代
 ・G 看護師、女性、日本、20代後半
 ・H 医者、男性、日本、20代後半
 ・I ドイツ人留学生、男性、ドイツ(イラン系)、20代後半
 ・J 保険、男性、日本、40代
 ・K 主婦、女性、日本、40代
 ・L 会計士、女性、ドイツ、60代後半
 ・M 保育士、女性、ドイツ、20代
 ・N デザイナー、男性、ドイツ(インド系)、20代後半
 ・O 美容師、女性、ドイツ、20代
 ・P 営業、男性、ドイツ、30代(メールのみやり取り)
 ・Q 技術者、男性、ドイツ(日系)、50代
 ・R 不動産、女性、日本(ドイツ)、50代
 ・S IT技術者、男性、ドイツ、30代
 ・T 流通、女性、ドイツ、30代
 ・U 技術者、男性、ドイツ、30代後半
 ・V 会計士、女性、日本(ドイツ)、30代後半
 ・W 調理士、男性、ドイツ、20代

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インタビューグループ構成、左がドイツ、右が日本グループ、中央はドイツー日本間で国際結婚した家庭と、日本に留学していたドイツ人留学生

なお、本文中で使用している、メンタルモデル、Product Semantic及びアーキタイプの定義は以下とする。
メンタルモデル:その人が使うモノに対して経験や見た目から構成する心理的なモデル。例えばスイッチを押すと電気が「流れて」ランプがつくなど。実際に水のように電気が流れるわけではないが、モデルとしては成立する。(Norman, 1998, The Design of Everyday Things, P 17)
Product Semantic:使用者があるモノに対してどのような意味づけをするか、また使用者がそれに従ってどのように行動するかを指す。記号論におけるセマンティックと区別するためにアルファベット表記のままとする。本文中ではコンセプトとほぼ同義で使用。(Krippendorf, 2006, The Semantic Turn, P.2)
アーキタイプ:あるグループに共通してみられるカタチ。ここでは主に物理的形状に注目した。文化人類学では頻出する概念だが、ここでは上と同じくKrippendorfの定義による。(Krippendorf, 2006, The Semantic Turn, P.95 なお、元を辿ればユングが提唱する概念、のはずである。)

インタビューのダイジェスト

インタビューはひとつひとつがとても興味深いのだが、結局23人もインタビューしてしまったため膨大な情報量になってしまった。ここでは数人を抜き出して概略を述べるに留める。また、包丁・キッチンナイフのスケッチと写真の対比は眺めるだけでも興味深いため、本文の最後にまとめた。

E、 技術者、日本
Eは技術者で既婚、2人の子供がいる。子供のころ両親と一緒に料理したことは特になく、外で自然の中で遊ぶタイプの子供でもなかったため幼少期の刃物に関する思い出といえば学校での彫刻刀を使った授業くらい。社会人になりたての頃は100円ショップで買ったチープな包丁なども使っていたが、現在は奥さんがキッチン用品関係の仕事をしており、良い器具がそろっている。しかし平日は二人とも仕事が忙しいため料理に割く時間が取れず、デパ地下のおかずを買ってくることも多い。
彼のスケッチはかなりシンプルだが、持っている包丁の特徴であるアゴと上に向かって緩やかにカーブを描く刃が描かれている。彼の家にあるのはZwilling Henckels製の包丁で刃、峯側とも切っ先に向かって日本の包丁より緩やかにカーブを描いているいわゆる牛刀の形状。もう一つ興味深いのが、テーブルナイフおよびステーキナイフにもアゴが描いてある点だ。彼にとってナイフも包丁も刃と取っ手が組み合わさって出来ているものなのかもしれない。

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G 、看護師、日本
Gは看護師で既婚、一人子供がいる。子供のころから家やレストランでよく洋食器を使うことはあったが、学校で洋食の時のマナーの授業があった事を覚えている。家で両親の料理を手伝うこともあり、子供用の包丁があった。現在、料理するときはほとんど小型のキッチンナイフを使う。台所には旦那のHが使う大きな包丁もあるが重くて扱いづらい。また母が贈ってくれた高級な和包丁もあるのだが、手入れに手間がかかるためほとんど使わず、少し錆びが浮いてしまった。

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スケッチは刃の部分が描き直されているが、アゴや、包丁の峰側先端の径の小さいカーブ、またグリップの模様など、外見上の特徴が良く描かれている。

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I、学生、ドイツ(イラン系)

„Ich würde dieses Messer Buttermesser nennen.“ 「僕ならこのナイフはバターナイフって言うかな」

Iはドイツで日本語科を卒業後、インタビュー時にはワーキングホリデービザで日本に滞在していた。滞在先のシェアルームはかなりカオスだったようで、より実りのあるドイツの実家での話をしてくれた。彼は実家で両親の料理を手伝いはしていたのだが、一緒に料理という感じではなくお手伝いメインだったようで、子供の頃の刃物の思い出といえば学校で彫刻刀を使ったことくらいだった。彼のお父さんは今もドイツで見かける研ぎ用のスチール棒ではなく皿の裏側を使ってナイフの切れ味を維持する。彼は良くあるテーブルナイフを「バターナイフ/Buttermesser」と呼ぶ。なぜならバターを塗るのに使うからだ。
彼はドイツの実家のナイフの素材を良く覚えており、スケッチに記入してくれた。ただし、刃が真っ直ぐについている果物用ナイフ(Obstmesser)も刃がカーブ付きで描かれている。彼は③の野菜と肉用のナイフをナイフとグリップが繋がっているように描いている一方、④の肉用ナイフにはアゴを描いている。③と④で特徴点が入れ替わっているのだが、インタビュー当時彼が日本にいたため間違えてしまったものかもしれない。

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L、会計士、ドイツ

„Ich nutze mein kleines Küchenmesser um Kartoffeln zu schälen.... Also praktisch für Alles.“ 「私のちっちゃいナイフはジャガイモの皮むきに使うわ…というか実際何にでも使ってる。」

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Lは子供のころから両親の料理の手伝いをしていて、ジャガイモを切っていた時に指をケガしてしまったことを今でも覚えている。上の写真にあるナイフは彼女が20年以上使っているのお気に入りのナイフで「私のナイフ」と呼んでいるものだ。これで大物の野菜以外大抵切ってしまう。このナイフはゾーリンゲンからの行商から、戸口で買ったものだという。彼女に限らず多くのドイツ人にとって「ナイフと言えばゾーリンゲン」というくらいゾーリンゲンのナイフは評価されている。なお、食卓用ナイフのことを彼女は「テーブルナイフ/Tafelmesser」と呼んでいた。
彼女のスケッチは物理的にあまり実物に近くなかったが、彼女にとってのナイフのメンタルモデルを探るには興味深い。やや下向きに尖っている部分が実際はナイフの先端で、歯のギザギザも表現されている。なお彼女はトマトは必ずこのナイフで切るという事でこのナイフは「トマト(用)ナイフ/Tomatenmesser」と呼んでいた。

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物理的には正確でないが先端がとがっているのが意識されたスケッチ

O、美容師、ドイツ

„Hier ist es so, dass wenn ein Messer stumpf wird, tauscht man es aus oder kauft ein neues.“ 「こっち(ドイツ)だとね、ナイフが切れなくなったら替えるか、新しく買うの。」

OはNと結婚しており一人子供がいる。彼女は自分が使っているナイフは「切るナイフ/Schneidemesser」、ジャガイモの皮むき用のナイフは「ジャガイモナイフ/Kartoffelnmesser」と呼んでいる。Schneideは刃の意味もあるため刃付きナイフとも訳せる。少し違和感があるが「切れないナイフ」もあることを考えれば切れるナイフを「切るナイフ」と呼んでも筋は通っている。なおジャガイモ用ナイフはその辺のスーパーで売っている安いやつを使っている。彼女にとってキッチンナイフは消費財であり、切れなくなったら交換するか新しく買うという。このあたり、Oの持つナイフのコンセプトはLのそれとは対照的である。
彼女のスケッチは(下側が刃)さほど物理的に正確ではないが、ブレードとグリップのサイズ比は表現している。彼女に限らずナイフの刃を上向きに反った形に描く例は日本、ドイツグループ両方に見られた。これは例えばアニメーションやイラストで見られるような単純化・記号化されたナイフに近く、彼女のメンタルモデルが投影されていると考えてもいいのではないだろうか。

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Q、技術者、ドイツ

(皿の上で包丁でケーキを切っている写真を見て)
„Das... würde ich lieber nicht machen. Aber es ist nicht unbedingt so... Mit deutschem Messer würde ich vielleicht ab und zu so schneiden.“ 「まあ、私はやらない方がいいと思うけど、、、でもドイツのナイフでならもしかしたらたまにやるかも」

Qは父方が日本人なのだが幼少期からずっと母方のドイツで育っている。上の言葉にあるように日本の包丁ではやらないがドイツでは許容される、など、ドイツと日本両方の視点から見た話をしてくれた。キッチンナイフは「野菜(用)ナイフ/Gemüsemesser」、テーブルナイフについては「テーブルナイフ/Tafelmesser」が正式名称だがあまり言わない、普通は単に「ナイフ/Messer」というとの見解。彼は家庭の事情から母を手伝う必要があり小さいころからキッチンに立っていたという。また、彼が育った70年代には郊外、田舎ではまだ子供に皮ズボン(Lederhose)とナイフを贈る習慣が残っており、彼も持っていたという。
Qのスケッチは技術者だけあってグリップ上のリベットがきちんと描かれていた一方、包丁のアゴは描かれていなかった。また、すべての刃が緩やかに上にカーブした形状で描かれている。

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インタビューからの考察

ハイブリッド形状について
・日本の牛刀は明治期に西洋文化の流入、肉食の増加とともにヨーロッパの肉切りナイフを参考にして生まれた形状であることは前編で述べた。例えばKの持っていたGLOBALの牛刀(下写真上)は刃が上に向かって反っていて先が細く、牛刀らしい特徴を持っており、Oの持っているドイツの肉切り用包丁(下)と似た形状を持っている。

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・また、戦後の高度成長期に生まれた三徳包丁も牛刀と同じように生活環境の転換を機に生まれ、牛刀や菜切包丁の複数の特徴をもっている。三徳包丁は日本だけではなく、RやV、Wも使っている。
・前項で言及したペティナイフはヨーロッパの小型キッチンナイフをベースにしているが、ヨーロッパのものよりやや大型であり、日本の包丁の要素が取り入れられていると考えられる。
このような複数の要素を取り入れ、新しい文化、コンテクストに根付いた形はハイブリッドと呼ぶこととしたい。このようなハイブリッドは日本にだけでなく、R、Vの持っているZwillings HenchelsのSantokuのようにドイツにも見られる。

刃物の価値について
近代ヨーロッパでは高級なカトラリー類は家宝として代々受け継がれたが(Heike, 2007, P.38)、Sは実家にそのような銀食器セットがあると教えてくれた。ただしOが知っているのは皿のセットを贈る習慣だという事で、この辺りは地域差もあると考えられる。(Sはバイエルン、Oはライン地方だがフランス系でもある)僕の包丁が雑に扱われたり、Oが安いナイフを使ったりしているのとは対照的なのだが、学生同士のシェアルームで、誰のものかわからない、安物の食器類がぞんざいに扱われるのは致し方ないともいえる。そのため国を問わず、世代が上がり生活基盤が出来てくるほど良質の包丁・キッチンナイフが見られた。僕の包丁がぞんざいに扱われていたからと言ってドイツ人全員が調理道具をぞんざいに扱う人たちなわけではない。当たり前だが。

刃物のサイズについて
日本のグループ、またドイツの日系の家庭(Q-R, U-V)においても、日本人のユーザーにおいてドイツのキッチンナイフ類に比べて大型の包丁類が見られた。包丁類の使用者は野菜から肉の調理加工までほとんど一つの包丁でおこなっている点に注目したい。また、その中でも女性を中心に小型の、とはいってもドイツのキッチンナイフよりも一回り大きいいわゆるペティナイフが使われていることが確認できた(B, G, K)。ドイツの小型キッチンナイフの使われ方と違うのは、大型の包丁と同様、ほぼすべての調理工程においてそのペティナイフが使われている点である。すなわち、少なくともB, G, Kにとっては包丁と同じコンセプトを持つ道具として扱われており、女性が自分の体格に合った包丁としてペティナイフを使用していたといえる。
このことは女性の体格に合った包丁が少ないことの裏返しなのかもしれない。

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それに対してドイツで特によく見られたのはチープなものから高級なものまで、様々なグレードの野菜用ナイフ/Gemüsemesserと呼ばれる小型の手持ちナイフである。このタイプはブレードが薄く曲げやすくなっているものが多く、ジャガイモなどを手にもって剥く作業に向いており、男女共に使われていた。反対に大型の包丁サイズのものは肉切り用として何点か見かけた程度であった。(Qのシート参照)

属人器としての包丁・キッチンナイフ
上記のダイジェスト部分には記載できなかったが、ドイツ及びヨーロッパにおいては結婚式の時に食器を贈る習慣があり、LやOはそれについて言及してくれた。またQや、ダイジェストには出てこなかったがJやUも子供の頃にナイフをプレゼントにもらったという。このように個人に属するタイプの道具を属人器と呼ぶことは前編にて議論した。Lが20年使い、「私の」をつけるお気に入りのナイフや料理人のWの自慢の包丁類は属人器に属すると考えられる。こうして使い込まれたナイフはスケッチにも特徴点が描かれている場合が多くみられた。対して食器としての(テーブル)ナイフは銘々器として使われ、その特徴が記憶され、スケッチに残ることも少なかった。
また、Gのインタビュー中にもあるように、調理用刃物が家庭に複数あっても、一つの刃物につき特定の使用者がいる場合がほとんどであると感じた。それは男女で体格差があり、男性が大きめの刃物、女性が小さめの刃物を好んで使うためと考えられるが、LやQの話すナイフを贈る習慣に見られるようにナイフは個人所有である場合が多く、調理用のキッチンナイフにおいても同様、属人的意味づけが行われやすいとも推定される。
この傾向がドイツ・日本ともに見られた点は注目すべきではないだろうか。なぜなら佐原によれば属人器の形態は現代ヨーロッパではあまり見られないとされるからである。また、佐原の分類は食器に関するものであり、調理道具についても適用できる点も興味深い。(佐原眞、食器における共用器・銘々器・属人器、奈良国立文化財研究所, 1983、P.1153)

まな板について
前述のQの見解に見られるように、ドイツではセラミック上で(刃がついた)ナイフを使うこともある程度許容される。また、例えばガラスでできたまな板がドイツに流通していることもそれを裏付けている。ここで考えられるのは皿とまな板が(ほぼ)同一の機能を果たしているため、Product Semantic上の違いが無いということである。Uは彼の母方の祖父母の家では皿ではなく木のプレート(Brettchen)が使われていたことを覚えていた。Brettchenは見た目がほぼ小さいまな板でその上でソーセージなども切られたりするので、つまりBrettchen ≒ 皿 ≒ まな板のロジックが成立する。そのためセラミックの皿と言ってもセラミックのまな板と表現してもProduct Semantic上同義となる。
ただし、いつ頃から今日のようなまな板(ドイツでももちろん日本のようにプラスチック製のまな板も流通している)がドイツで使われるようになったかは更なる調査が必要である。また、調理台としてテーブル表面が使われていたことも考慮に入れる必要がある。

接頭語によって機能が切り替わるドイツのナイフ
インタビューにおいて、印象的だったのは、僕にとってNGだった皿の上で包丁を使うことが、ドイツグループ(Q, S, T, U)それなりに受け入れられていた点である。何人かが「まあ、こういう風にもするけど、『このタイプの』ナイフだと皿(またはナイフ)が傷つくし良くはないね」と言っている点に注目したい。ここではナイフが切れるか切れないかはナイフの特性として捉えられていると考えられる。そのため、諸々の表現、ジャガイモ用ナイフ/Kartoffelnmesserも、切るナイフ/Schneidemesserもテーブルナイフ/Tafelmesserもすべてナイフ/Messerの特性として成立する。なお、ここまで言及する機会が無かったが大型の、日本にあるような包丁タイプのナイフはKochmesser、コックのナイフである。Uが話してくれた彼の妻V(日本人)とのエピソードが面白かったのだが、Uが手紙をキッチンナイフで開けるのをVは嫌がるという。Uにとってはナイフはナイフ、切るための道具であるのに対し、Vにとってはキッチンナイフは調理道具のカテゴリ、用途の違う道具なのだ。Uのテキトーさ、Vの細かさはさておき、ドイツではナイフは切るための機能として分類され、日本では調理の目的で分類されていると解釈出来るのではないだろうか。
以下に日本語とドイツ語における包丁ーナイフ(Messer)の定義上の重なり具合を図示す。

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ドイツ語と日本語のワードマップ
日本語を青、ドイツ語を灰色の円で示す
Besteck:カトラリー Klinge:刃物 Küchenmesser:キッチンナイフ Messer:ナイフ Tafelmesser:テーブルナイフ Werkzeug:道具

調理用刃物のアーキタイプについて

„Also das Grundkonzept des Messers ist, dass man es in der Hand halten kann, was schmales und eher scharfes.“ 「…だからさ、ナイフは基本、手に持てて、細長くて、どちらかというと切れ味の良いものだろ。」 Uより

日本の包丁のアゴは機能を持った刃の一部であることは包丁で調理したことがあるものは誰でも知っている。ジャガイモの目を取ったり、皮むきの時に重宝する部分だ。この部分は式包丁が成立する過程で出来たと思われることは前編で述べた。日本のグループ及びR, V(両者とも日本生まれ)は必ず包丁にアゴを書いており、この部分が日本の包丁に共通する特徴で、アーキタイプではないかと考える。
対してQの肉切り包丁(下図左側赤丸部分)のアゴの部分をよく見て頂きたい。日本の包丁のようにアゴの形状はあるのだが、刃はあごの5mm手前ぐらいまでしかついておらずそこでは切れないようになっている。Qのもう一つの肉切り包丁も柄がせり出してアゴを形成しているし、またLの青い柄の大型のナイフもよく見ると同様にあごの部分には刃がついていない。すなわちこれらの大型肉切用包丁はアゴの部分で切ることを前提として作られていない。ドイツの肉切用包丁と日本の包丁はとまな板の上でものを切る動作のために、結果的に同じ形状になっていると考えられる。

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もう一つ興味深いのが、ドイツのグループではほとんどナイフ・包丁にアゴが書かれていない点である。Qは(リベットの有無は記憶していたのに)アゴは描いていなかった。Lのスケッチも、物理的にムリな点に目が行ってしまうが、アゴ的なものも描かれていない。示唆的なのがIの肉&野菜用ナイフのスケッチと実際のナイフである。彼は刃とグリップが繋がるようにスケッチを描いていたが、実際はグリップが大きく曲がってアゴの形を形成している。こうしてみると上記のQの右側の肉切り包丁も同じ構造でアゴが形成されている。すなわち、ドイツで目にしたキッチンナイフのアゴはグリップの延長と考えるべきなのだ。対して日本の包丁のアゴは、刃の延長である。

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そのように考えるとLやOが包丁・ナイフをアゴのない、真っすぐなものとして描いており、ほかのドイツのグループのスケッチも同様の、細長い手持ちのナイフを描いていることは、ドイツにおけるキッチンナイフのアーキタイプを示唆しているといえるのではないだろうか。前述の言語上の表記と併せて考えるとさらに分かりやすい。ドイツ人にとっては調理用であろうともバターを塗るためであろうとも、ナイフはナイフ、一つのProduct Semanticを共有しているアーキタイプがあるのだと僕は考える。それは前編で述べた中世から使われていた、小型携帯用ナイフの形状であると考えられる。日本の包丁とドイツのキッチンナイフのアーキタイプの比較を下図に示す。

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ドイツ(上側)と日本(下側)の調理用刃物のアーキタイプ比較
Bartと書かれたアゴの位置がグリップに属するか、刃に属するかでスケッチ上での簡略され方が変わってくる

結論
中央ヨーロッパの、少なくともドイツにおけるキッチンナイフは中世の携行用ナイフから発展し、それは言語上の表現や使用形態にアーキタイプとして共有されている。ナイフ/Messerという言葉は大きな機能グループを指し、使用目的は必要に応じて修飾表現される(例:Brotmesser:パン用ナイフ)。Product Semantic、製品の意味付けはキッチンナイフに限らずナイフ全体で共有される。(パン用ナイフについてついでに言えば、ギザギザのついている長いナイフも、普通のテーブルナイフもBrotmesserと言われることがある、そしてテーブルナイフでパンも切ったりする)
その一方で日本の包丁は中国大陸からの影響を受け早くから調理専用の道具への進化が見られた。そのため包丁とその他の刃物は明確に区別され、包丁という言葉は使用目的により意味付けされている。そのため包丁のProduct Semanticはナイフという言葉の持つそれと同義ではない。
この状況で僕を含む日本人が、ドイツのキッチンナイフを包丁のように扱ったり、ドイツ人が包丁を(キッチン)ナイフとして扱うとき、扱い方が問題になることがあるのだ。

まだ分かっていないこと
冒頭に書いたとおり、本文章は僕がドイツ在学中のBachelorプロポーザルの一つであり、調査はドイツに限定していた。過去の資料を調査するため必然的にローマ帝国の時代や近隣ヨーロッパ諸国の資料も利用したが、料理文化に関してドイツは残念ながら後進地域であったため(ドイツを馬鹿にしてるわけではないですよ!)、中世から近代にかけて料理文化がドイツより発展していたフランスやイタリアの文献調査により、より詳しく過去の状況が判るのではないかと思われる。

エピローグ:自分が使っていたチープな包丁について
前編の冒頭で書いたドイツのWG(ヴェーゲー/シェアルーム)で僕の包丁の先端を曲げられた事件以来、僕はその辺の蚤の市で2本で5ユーロくらいで買ってきたこれまた怪しげな「日本風」包丁を使っていたのだが、ここまで考察してきたうえでこの包丁を観察すると、これもまた上記のハイブリッドだと考えるようになった。本当か怪しいがゾーリンゲンで作られたと刻印がある一方、形態は日本の出刃包丁を真似ている。特にこのWikipediaのページにある刃渡り10㎝のものに酷似している。つくりはチープでいかにも東洋っぽいだけのプラスチック製のグリップとペラペラなステンレスの打ち抜きの刃がついている。しかしながら小型キッチンナイフサイズの使いやすい刃渡り(100mm程度)と押し切りに適した角度を持ち、慣れると小さいまな板の上で野菜を切るときにはかなり使いやすかった。よく見ると上記のオリジナルのものより微妙に柄に対する刃の角度が強く、まな板上での使用を意識して調整されたものと思われる。なんならジャガイモの皮むきも出来る。そのためかいろんな使い方をされた挙句(たしか、シャベル替わりに使われたこともあった)、そのうち根元から折れてしまったのだが、それは良くいえば使いやすさの証だったとも言えよう。明治期の日本に牛刀が生まれ、戦後の高度成長期に三徳包丁が生まれたように、ここにも外国の文化からインスピレーションを受けて新しいハイブリッドが生まれようとしているのかもしれない。
最後にこのゾーリンゲンの無名デザイナーの作品を紹介しつつこの文章を終わりたいと思う。

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ハイブリッドDebaナイフ もともと柄はチープな木色ペイントだったのだが使ううちに剥がれ、黒い地が見えるようになってしまった。この写真を撮ってから数か月後、酷使に耐え切れず折れてしまった。ありがとうDeba。

Appendix:スケッチのリスト

以下にインタビューで得たスケッチと、実際の包丁の比較を載せる。欠番となっているところはスケッチを描いてもらえなかった人である。

A 元エンジニア(現在引退)、男性、日本、60代後半

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E 技術者、男性、日本、30代なかば

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F 調理士、男性、日本、30代

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G 看護師、女性、日本、20代後半

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H 医者、男性、日本、20代後半

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I ドイツ人留学生、男性、ドイツ(イラン系)、20代後半

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J 保険、男性、日本、40代

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K 主婦、女性、日本、40代

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L 会計士、女性、ドイツ、60代後半

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M 保育士、女性、ドイツ、20代

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N デザイナー、男性、ドイツ(インド系)、20代後半

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O 美容師、女性、ドイツ、20代

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Q 技術者、男性、ドイツ(日系)、50代

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R 不動産、女性、日本(ドイツ)、50代
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S IT技術者、男性、ドイツ、30代

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T 流通、女性、ドイツ、30代

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U 技術者、男性、ドイツ、30代後半

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V 会計士、女性、日本(ドイツ)、30代後半

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W 調理士、男性、ドイツ、20代

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