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包丁とキッチンナイフの違いについて考えたこと(リサーチ編)

はじまり
僕はドイツのケルンで7年間大学に通ったり働いたりしていた。その間ずっと同じシェアルーム(Wohngemeinschaft、ドイツの学生にはよくある生活スタイル、略してWG)で暮らしていたのだが、僕が日本から持ってきた自慢の包丁は缶切りに使われたり、落っことされたり散々な目に遭ってきた。ある日帰ってきたら切っ先が曲がって欠けていた時(下の写真)はさすがに怒って自分の部屋にしまってしまったのだが、大学で卒論のプロポーザルを書くにあたってそのことを思い出した。その時はデザインにおける意味論/Semanticに興味を持っていていて、どうも僕の持ってる包丁とWGのやつらの頭の中にあるKüchenmesser(キュッヘンメッサー、キッチンナイフのこと)は全然違うものなんじゃないだろうかと思ったのだ。この話を日本ですると興味を持ってくれる人がいたため、ここに日本語の抄訳を書く事にした。稚拙な文章である事はご勘弁いただきたい。

画像3帰ったら包丁の先端を折られていた。心痛む瞬間…

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皿の上で包丁使うなよ!とか言ってもいつもこんな風につかわれた

なお、この文章中では「包丁」は日本における調理用刃物を指す。同様にドイツにおける調理用刃物はドイツ語表現のKüchenmesserと表記するべきだが日本語化している「キッチンナイフ」という言葉で代用することとした。また、現在のドイツが成立したのは歴史上比較的最近の出来事であり、この文章中でいうドイツはドイツ語文化圏および中央ヨーロッパも含まれる。

概略
・ドイツのキッチンナイフ=Küchenmesserと日本の包丁という言葉は、たとえそれらが現在、同一のものを指して使われる場合であっても、道具の発展してきた歴史に基づく意味論的なコンセプト(Product Semantic) の違いを内包し、更には現在のコンセプトから、その発展過程をある程度推測することも可能と思われる。
・具体的には中央ヨーロッパ、現在のドイツ周辺における調理用刃物は少なくとも中世から使われていた携行型のナイフを起源としており、そこから発展した携帯用、調理用と食事用ナイフの間に大きな形状の差がみられないだけでなく、上記の意味論的なコンセプトにも大きな差がみられない。また、手持ちの道具であったため、調理時に必ずしもまな板の使用を前提としていない。このことはドイツで見られる各種の手持ちによる食材加工方法や手持ちでの調理加工に特化した各種キッチンナイフに見られる。
・対して日本の包丁は資料の残っている中世から調理道具への特化がみられ、特に江戸時代に用途別に多様な発展がみられる。また明治以降も西洋文化の影響を受けた形状の変化がみられる。ただし使用形態は大きく変化していない。
・このことから、調理用刃物の周辺にある道具、例えばまな板がヨーロッパに今の形態で登場するのは比較的最近のことなのではないかと考えるようになった。まだ圧倒的に調査不足ではあるものの、数少ない中世の絵画中に見られるキッチンの描写を調べる限り、調理のための下敷きとしてまな板がほとんど登場しないことからも全く的外れではないと考えている。このことについて言及した資料にはまだ行き当たっておらず、日本人にも興味深い話なのではないだろうか。もし何かご存知でしたら情報、ご意見等お待ちしております。

(注意:この先の文章はとても長いです。ヒマな時にでもお読みください。絵だけ眺めるのもいいかも)

調理用刃物の発展史
日本における調理用刃物の発展
宝物として扱われた刀剣と違い、生活道具であった包丁は擦り切れるまで使われてしまい、またサビによる劣化により現存しているものがとても少ない。現存する日本最古の調理用刃物は正倉院にある魚用の包丁で、日本の包丁に見られるアゴの形状は見られず刀に近い形状をしている。次に述べる式包丁の儀のための道具と考えられ、金属製の箸と一緒に収蔵されている。

正倉院御物目録十五_Page_3

近代デジタルライブラリー,正倉院御物図録 第15, P.76

なお、一般的な包丁におけるのアゴの部分を以下に矢印で示す。

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上記の包丁は正倉院に収蔵されていることから儀式用のものであると考えられる。かなり後世になるが、16世紀の絵画上で儀式で魚を解体(式包丁の儀)する調理師が描かれており彼の持っている包丁も同じく刀状の刃物として描かれていることから、同じような使われ方をしていたことが類推できるが、日常生活で使われた道具がどのような形状であったかここからは類推し難い。

七十一番職人歌合_nr58_houchoushi_16Jhd

法印養信  七十一番職人歌合, 16世紀 

包丁正宗は14世紀に作られたもので、実際は短刀なのだが、形状が包丁に似ており「包丁」正宗と名付けられたといわれる。16世紀ごろ描かれた酒飯論絵巻に見られる鳥の解体の様子では同じような短刀形状の刃物が描かれている事からこのような形状の刃物は実際に調理・食材加工の用途に使われていたのではないかと考えられる。

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文化庁、 文化遺産オンライン、 短刀 無銘 正宗 名物 庖丁正宗 

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狩野元信、酒飯論絵巻、16世紀頃

前述の式包丁は現代に残っている式包丁の儀にて、魚の解体に使われる包丁を指す。短刀の形状ではあるものの現在の包丁にも見られるアゴがあるなど、包丁の形態の進化を考える上で興味深い。

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式包丁 出典:石井治兵衛、 1965、日本料理法大全

包丁のデザインに大きな発展が見られるのは江戸時代である。浮世絵に描かれている江戸時代の包丁は現代の包丁に近い、幅広いの刃とアゴが見られる。また出刃包丁や菜切包丁などの職業や用途に特化した包丁もこの時代に成立したといわれる。

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歌川国芳、1831、御ぞんじ 山くじら かばやき

以降、明治初期に西洋の食文化が入ってくるが、その当時の資料を見ると食事用のテーブルナイフも「包丁」と記載があるなど「切れない刃物」を定義付けできていないための混乱が見られる。ヨーロッパの肉切り包丁を真似た牛刀が使われ出したのも明治以降といわれる。

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仮名垣魯文、1872、西洋料理通、萬笈閣、P.9より

なお日本で使う調理用刃物、包丁の名称は中国の故事から来ている。荘子の伝えるエピソードの一つに宮廷で調理師(庖丁 / Páo dīng)が包丁一つで牛を解体するというものがある。ここでいう庖/ Páoは包む事から転じて厨房を指し、丁 / Dīng は使用人を指す事から調理師を指すと言われるが、日本では12世紀頃にこの言葉が調理用刃物を指す言葉に転じたと言われる。(出典)なお、中国本土では調理用刃物は菜刀(Cài dāo)と呼ばれるが、菜( Cài )は料理を指すため野菜用包丁のみを指している訳ではなく、包丁は日本独自の表現である。
もう一つ、広義の中華「系」文化圏に属する日本にも通用する点として、孟子の伝える「君子遠庖廚」の解釈の一つにあるように「(刃物を扱う)調理場に君子が入ってはならない」というものがある。調理場と同様、食卓に刃物を持ち込むことも許容しないため、全ての食材を咀嚼できるサイズに調理場で加工する必要があった。そのような文化的背景が東アジア・中華「系」文化圏での調理用刃物の発展を特徴づけているものといえるのではないだろうか。

主に中央ヨーロッパ、ドイツ周辺における調理用刃物と食器の発展
ローマ時代

古代のヨーロッパはゲルマン系やケルト系諸民族など「野蛮人」の住む地域であったため遺跡から青銅器や鉄器が見つかることがあってもどのような形態で使用されたか、類推できる資料は数少ない。対して当時ヨーロッパの中心であったローマ帝国の地域には当時の壁画が残っている場所があり、食事や調理の様子がわかる資料となっている。例えば当時ローマ帝国の領域であったボードリー(現在のスイス南西部)に残っているフレスコ画には手づかみで食事を取り、使用人が肉の取り分けにナイフを使用している様子が描かれている。

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ASAROTOS OIKOS - Au sol non balayé - 片付けられていない床
Le Château de Boudry, Suisse、西暦450年前後

中世における、食卓用ナイフおよびフォークの発展
ドイツ語圏の話になるが、カトラリーはドイツ語でBesteckと言い、もともと中世に騎士が身につけていた剣の付属品および戦闘道具を指していた。それらは鞘の外側に挿していた(挿す=bestecken)ためそう呼ばれたのだが、その中にあったナイフが食卓では食事用の道具として使われたためそこから転じて食事用のカトラリーを指す言葉として使われるようになったという。なお、中世までは招待された場合でもスプーンとナイフは持参するものであり、袋や入れ物に入れて携行された。
(Marquardt, Klaus, Europäisches Eßbesteck aus acht Jahrhunderten, Stuttgart, ISBN: 3-925369-65-1, 1997)


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中世の騎士及び従者、従者が腰あたりにナイフや生活道具を下げている
Deutches Klingen Museum, Solingen

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銀製の食器入れ/Besteck
この食器入れは高価なしつらえになっており、実際に騎士が携帯していたというより儀礼用であったと思われる。 Deutches Klingen Museum, Solingen

当時の食事の様子は中世からルネッサンス期の絵画に描かれているものがある。例えば有名な例ではAnnibale CarracciのThe Beaneaterなどである。基本的に手掴みで食事をし、ナイフで肉の切り分け、木製のスプーンでスープを食べている様子がわかる。

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豆を食べる人 The Beaneater, Annibale Carracci, 1580-90

なお、ヨーロッパで突き刺し用の道具としてフォークが登場するのは10世紀の東ローマ帝国であり、長くは宮廷での使用に限られていた。この頃のフォークはいわば先割れスプーンのように「先割れナイフ」とでもいうような形状になっており興味深い。なお教会はフォークをその形状から悪魔の持っている道具ととらえ疑惑の目を向けていた。またフォークの使用は「男らしくない」とも見られたという。
(Weiss, Hilde, Zurück zu den Fingern - zur Geschichte der Eßkultur, Wiener Zeitung, 25.04.1998)

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ForkとKnifeの中間でKnorkという名称がある

18世紀頃のフォークの普及とともに徐々に手で食べる習慣は消えていくが、例えば現在でもライチョウ料理は手で食べるものとされる。また、カトラリーがヨーロッパより遅れて入ってきたアメリカでは今でも伝統的なレストランでは手で食べる習慣が残っている。
(Petroski, Henry, S.16, The evolution of useful things, Alfred A. Knopf. Inc., New York, ISBN: 0-679-74039-2, 1992)
なお、フォークの普及と同時期にナイフは先端が丸くなり、現在のナイフ、フォーク及びスプーンのカトラリー類が成立する。この辺りは日本でも知られた刃物の町、ゾーリンゲンの刃物博物館に行ってみると詳しく解説されており大変興味深い。

絵画における描写
近代になるまでヨーロッパにおけるキッチンは使用人が使う領域であり、暗く衛生的にも問題のある場所が多かった。裕福な家ではキッチンは居住区域より離され、子供は近寄らせないようにしたという。
(Conran, Terence, Küchen-Design, Dumont Buchverlag Köln, ISBN: 3-7701-3287-4, 1993、P.19)
そのためどのような形態で調理道具、特にキッチンナイフが使われたか推測は難しいが、絵画に描写が残っているものがある。中世の肉屋の解体の様子をみると、今もヨーロッパの古道具屋にみられるような解体用テーブル(Hacktish)を使っていたり、小型の手持ちナイフや道具セットを携行している様子が描かれている。

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Schlachten von Schweinen, Tacuinum Sanitatis, 15世紀頃

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Giovanni Boccaccio, Decameron, Flandern, 1432
お前も食っとけよ。いえ、結構です。という会話に見えるがたぶん違う

これらの絵画に描かれるように(少なくとも)キッチンで調理用のナイフを携行するのは一般的であったと思われ、例えば17世期後半のこのキッチンのスケッチでも女性が腰にナイフを携行している。このような小型のナイフによる調理形態は今のヨーロッパ(少なくともドイツ国内)の家庭においてもよく見られるものであり、当時からの調理形態が現代の道具や調理方式に痕跡を残しているものだと考えられる。

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Drawing of Kitchen, Luca Giordano, 1647-1705

なお、腰にナイフを携行する習慣は20世紀に入ってもバルカン諸国やイタリア・スペインで見られた。
(Seyffert , Carl Alfred 、Das Messer, eine kurlturhistorisch-ethnographische Skizze、Philosophischen Fakultät der Universität Leipzig, Vieweg & Sohn、1911、P.38)

調理用刃物の発展の系譜と日本およびドイツ(中央ヨーロッパ)におけるアーキタイプについて
絵画や現存している中世のナイフや包丁を観察していると、すでに中世の頃から形状や使用形態が現代のものと類似していることに気づく。このような形態の類似はデザイン研究者のKrippendorfや、比較文化人類学のコンテクストでよく使われるアーキタイプと表現出来るのではないかと考える。
(Krippendorf, Klaus, The semantic turn - a new foundation of design, Taylor & Francis Group LLC, ISBN: 0-415-32220-0, 2006 P.94)
具体的には中世ヨーロッパにて自衛、多目的工具および食事の道具として広く利用されていた携帯用小型ナイフの形状が、現在もドイツにて一般的な手持ちによる調理加工の形態に影響しているとみられる点、また後述するインタビューで見られた、 日本人の視点では大きく違う、ポケットナイフ(Taschenmesser)、キッチンナイフ(Küchenmesser)及びテーブルナイフ(Tafelmesser)の三種が、すべてひとくくりにナイフ(Messer)と表現される点から携帯用小型ナイフがドイツ(及び中央ヨーロッパ)における調理用刃物のアーキタイプなのではないかと考える。(下図、左列参照)
対して日本では調理に特化した比較的大型の包丁類がみられ、ほかの刃物類、例えば木材加工用の切り出し小刀とは違った発展がみられる。また言語上も調理用刃物は包丁と呼ぶなど、工具としての刃物とは区別される。下図にドイツおよび日本における特長的な調理用刃物の形状遷移を示す。

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左列にヨーロッパの各種ナイフ、右に日本の各種包丁を古い順に示す
アゴを黒矢印にて示す

なお、例えば中国および中華文化圏で見られる菜刀(Cài dāo)は日本よりも大きく、慣性を利用した切り方が出来るなど、調理用刃物は地域や食文化により形状に顕著な差が見られる道具だといえる。この際に気づくのが日本の包丁、および中国の菜刀には特徴的なアゴ(上図、黒矢印の部分)の発展がみられる点である。このアゴはまな板の上での調理を前提とし、手持ちのではなく押切りや引き切りを前提とした調理形態への適応結果であると考える。ヨーロッパにみられる肉切用包丁、(Fleishmesser)にもアゴがあるタイプも存在するが、そこに見られる差異については後編のインタビューを交えたうえで考察する。

文化的側面
属人器、共用器、銘々器について

佐原によれば食器の形態には個人に属する属人器、食卓にて他者と共用される共用器及び食事の最中には個人で使われる銘々器に分類される。例えば日本や韓国で見られる箸やそのほか個人に属する食器類は属人器にあたり、ナイフやフォークは銘々器にあたるほか、大勢で囲む鍋は共用器とみることができる。興味深いのは日本人は和食を食べるときは属人器、洋食は銘々器として使用形態を使い分けている点である。
(佐原眞、食器における共用器・銘々器・属人器、奈良国立文化財研究所、1983)
(石毛, 国立民族学博物館研究報告別冊 16号、国立民族学博物館、1991/12/25)
現在のヨーロッパにおける食卓用ナイフは銘々器なのだが、中世においてはナイフ及びスプーンは属人器であったとみられる。前述した携帯用小型ナイフは明かに属人器であったほか、下に示すブリューゲルの絵画に出てくる踊る農民が頭に差しているスプーンも、彼が所有、おそらくその時に携帯していた属人器であったのだろう。ナイフ及びスプーンの「銘々器化」はルネサンス期に食器としてのナイフ、スプーン(およびフォーク)が成立してからであったと思われる。ただし18世紀においても高価な食器には所有者のイニシャルを彫ったものがみられる。これは高価な食器を客に「持ち帰られて」しまうのを防ぐためとも考えられるが上記の属人器と銘々器両者の性格がみられて興味深い。

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踊る農民、Bruegel, 1568, Kunsthistorisches Museum, Wien
中央の農民が帽子にスプーンを差している

上記の食事及び調理用刃物発展史を一枚のフローにまとめたのが以下である。情報量が多く、キャプションがドイツ語のままなのはご容赦いただきたい。

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石器時代から現代までの調理用刃物の発展フロー

まな板について
資料を調べるうちに比較文化人類学者の中尾が、まな板が東アジア圏で主に使われているがそれ以外の地域ではあまり見られないと述べている文章があった。
(中尾佐助、中尾佐助著作集 第II巻 料理の起源と食文化、北海道大学図書刊行会, ISBN 9784832928817, 9.2005, P.607)
これは調理用刃物の形状および調理形態と大きく関係しており大変興味深い。前述したように日本を含む中華「系」文化圏では古代中国のころから食卓で刃物を使うことはタブーとなっており、衛生状態を保てる調理加工方法としてまな板と包丁が発展したのではないかと考える。下の絵では魚売りが地べたにまな板/台を敷いて魚を売っている。

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一遍上人絵伝 福岡の市 4 巻 1299 

対してヨーロッパにおける資料にはなかなかまな板が登場せず、野菜の調理加工は基本的に手で行っている。

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Die Rübenputzerin, Chardin, 1738

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Zeichnung von Küche, Snyders, 1594-1605
右側の調理人の手元に小型のナイフが置いてある

例えば20世紀初頭のドイツの幼稚園での料理ごっこの写真では小型のキッチンナイフで手持ちでジャガイモを向いている様子が見られるほか、19世紀のフランスの本におけるキッチン道具類の描写の中にもナイフ(Couteau)はあってもまな板(planche à découper)は見られない。

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幼稚園での料理ごっこの時間Kochspielstunde‘ im Kindergarten
Frankfurt am Main, 1913

ちなみにこの文章とは何の関係ないがこのいわゆるドイツっぽい書体、Gebrochene Schriftはナチとは関係ない。ナチが推したのはセリフ付きのAntiqua

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19世紀のフランスの本に見られるキッチンの道具類/Darstellung von Küchenausstattung von 19. Jhdt.in Frenkreich
Conran, Terence, 1993, Küchen-Design, Dumont Buchverlag Köln, ISBN: 3-7701-3287-4

もちろん切るための下敷きである日本のまな板の機能がヨーロッパに不在であったということではなく、どちらかというと皿の機能とまな板の機能が混じった製品が古くから存在し、また加工作業は専用のテーブルで行われていたと思われる。例えばドイツの家庭でよく見かけるFrühstuckbrettchenはまな板のような平板形状なのだが、朝食時に皿として使われる。 調べた資料の中でも一つ、テーブルの上にまな板のような板が置いてあるものがあった。 後ろにメッザルーナが掛けてあることからその台として使っていた可能性がある。
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Buchheim, Karl, 1966, Handbuch der Kulturgeschichte -Deutsche Kultur - Zwischen 1830 und 1870, Akademische Verlagsgesellschaft Athenaion, Frankfurt am Main, S.137

また、下に示す20世紀初頭の労働者のキッチンの様子を写した写真にもまな板のようなものが映っている。この狭いキッチンスペースでは食材を切るためのスペースを確保するのも大変であったであろうし、食材加工用の平面としてこのまな板が利用されたのではないかと推測出来るが、すでに第二次世界大戦前のキッチンの状況についてインタビューを行うことは難しくなっている。

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          1930年頃の都市労働者のキッチン Volkskultur in der Moderne, Probleme und Perspektiven empirischer Kulturforschung, rowohlts enzyklopädie, 10.1986 ISBN: 3 499 5543 1 3 Ingeborg Weber-Kellermann

昔のキッチンナイフの使い方を調べあぐねているうちに、ウルム造形大を設立したグラフィックデザイナー、オトル・アイヒャーの建築に関する文章中に偶然、彼がどのようにナイフでものを切っていたかがわかる文章を見つけた。彼は第二次世界大戦前に生まれており、その世代のドイツ人がどのようにキッチンで料理していたかヒントがあると思われる。例えばテーブル(食卓ではない、作業および調理用テーブル)に関しては

„Ein Arbeitstisch ... Man hat eine hölzerne Tischplatte, auf der man auch direkt schneiden kann...“ 作業用テーブルは... 中略…木製の板でその上で直接ものが切れるようにする…
Aicher, Otl, Die Küche zum Kochen, Georg D.W. Callwey, München, ISBN: 3-433-02555-X, 01.1982

というようにテーブル上で直接食品を切っていたようだ。
上記のヨーロッパにおける小型刃物による食品加工形態と、資料中のまな板の不在は関連する2種類の道具の共進化と捉えることができるのではないだろうか。ドイツでは過去にまな板があまり使われていなかったかもしれないということは(僕の周囲にいる)現在のドイツ人にとっても知らないことであり大変興味深いのだが、未だ圧倒的に調査不足であると感じている。

まとめ
・日本とドイツにおいて、それぞれ包丁やキッチンナイフ(Küchenmesser)と呼ばれる調理用刃物は、同一の目的を持ちながらも違った発展史を持つ道具であり、その形状および形態から発展史をある程度紐解くことができる。
・日本及びドイツでの調理刃物の形状および使用形態の違いから、それらの道具のアーキタイプを調査してみる必要があると思われる。また、類似した概念であるが道具の意味論的なコンセプト(Product Semantic)にも差異があると考えられ、次項のインタビューにてさらに調査を行う。
・また、その地域固有の調理形態は調理刃物の形状と関係がある他にも周辺の器具、例えばまな板の有無や形状にも影響を与えていると考えられる。

次項:包丁とキッチンナイフの違いについて考えたこと(インタビュー編)

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