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書評

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#推薦図書

書評 #90|火星ダーク・バラード

 ディストピアと化した火星。遺伝子操作によって生み出された新人類、プログレッシブがその象徴だ。火星の開拓。人類の進化。その希求の根幹に善意はあったのか。私利私欲によって失せたのか。完全にはなれない人間。不完全な人間がシステムを作り、システムを嫌う人間が新たなシステムを作る連鎖。その構図は村上龍の「愛と幻想のファシズム」を想起させる。  システムに抗う力としての自我や暴力。恋の物語も織り交ぜながら、人と人とが交わることによって生み出される力も「超共感性」と呼ばれる特殊な能力に

書評 #89|自由研究には向かない殺人

 自由研究の題材として過去に起こった事件を据え、その全貌解明に向けた一挙手一投足を追った作品。イギリスの片田舎という決して大きくはない舞台で起こる群像劇。特に治安が悪いわけではないが、事件が常に脳裏をよぎり、コミュニティに根づいた人間関係や習慣から伝わる閉鎖的な雰囲気も重なり、ちょっとした恐怖感が常に広がる。  力強く、颯爽と。そんな言葉が似合う主人公のピップ。賢明で物怖じしない姿勢が道を開き続ける。女子高生の自由研究に関係者がここまで口を開くとは思えず、好都合なことがしば

書評 #88|教団X

 力がみなぎっている。中村文則の『教団X』はそう思わせる。人間の心奥へと潜り続け、そこにある陰陽を見つめ、その壮大さと同時にシンプルさも感じ取る。予想していたような「カルト教団を中心としたサスペンス」ではない。  シリアスさとコミカルさも共存している。その筆致でエネルギーを読者に放出する。スピード感満載。グロテスクであり、エロティック。人間と宗教の関わり。宗教の意味をも問う。

書評 #87|街とその不確かな壁

 『街とその不確かな壁』は「拠り所」のようだ。街と壁は内に存在しているように感じるし、実世界の比喩でもある気がする。自らも気づいていない、意識したこともない心の核のようなものに思いが向く。それは深海奥深くへと潜るかのように孤独であり、静謐な旅路を連想してしまう。  表と裏。外と内。肉体と精神。そうした二面性を通じ、村上春樹が何を伝えようとしているのだろう。そこに人間、人間としての営みへの問いを感じる。社会と個人。個人の中に抱える光と闇。多層性。そんな言葉に行き着く。  強

書評 #85|審議官 隠蔽捜査9.5

 『隠蔽捜査』シリーズのスピンオフ『審議官 隠蔽捜査9.5』。主人公である竜崎伸也が登場する回数は少ないが、その存在感が薄れることはない。妻、娘、息子と周辺にいる家族に視点を移しても、竜崎がもたらしている影響力や信頼を描きながら、関わりの中に存在するドラマをミステリー作品として昇華させている。  短編集ではあるが、安易さやチープさといった不満要素も見当たらない。読む手を前進させる力は健在だ。適度に力が抜けた感も好印象。原理原則を貫き、捉え方によっては堅物である竜崎を愛らしく

書評 #84|変幻

 『同期』シリーズを完結させる『変幻』。作品を貫く謎。臨海地区で見つかった刺殺体。その犯人と消息を絶った仲間。スピード感と臨場感あふれる展開。真相へと進める歩の丁寧さ、緻密さは今野敏らしい。外れがない。  魅力の多い作品ではあるが、疑問として浮かぶ要素がある。主人公の宇田川亮太だ。物語を前進させ、事件を解決へと導く上で欠かすことのできない存在。しかし、経験の浅い刑事ではあるが、それ以上に自信のなさ、特徴のなさが感情移入を妨げる。それはまるで強風の中を漂うたこのよう。質問を多

書評 #83|欠落

 今野敏の『同期』の系譜を継ぐ『欠落』。同期である大石陽子の誘拐事件と別の死体遺棄事件の二つによって生まれた渦に翻弄されながらも、主人公である宇田川亮太は解決の糸口を見つけ出そうと奔走する。  遅々として進まない捜査。徐々に交錯し始める二つの事件。暗闇から一筋の光を追い求めるような探究はじれったくもあり、快くもある。宇田川は未熟さを残しつつも、本質を見極めようとする意志が周囲の人々を巻き込み、真実をも手繰り寄せる。  解決へと向かう過程における、いくばくかの拍子の良さは否

書評 #79|同期

 警察の同期が懲戒免職によって姿を消した。四方八方にスパイの影がちらつく。絶えることのない緊張感が今野敏の『同期』にほとばしる。  本作は主人公でもある、宇田川亮太の成長の物語でもある。その逡巡、場数を踏むことによって得たその自信。それらは引力として作用し、読者を作品に没頭させる。しかし、それはどこまで現実的なのだろう。私見だが、宇田川の根幹を成す核のようなものが感じられず、感情移入の妨げとなった。終盤の大活躍も予定調和のように映った。  刑事としての矜持を拝んだ。そして

書評 #78|探花 隠蔽捜査9

 爽快感とともに一気に読み通した。今野敏が紡ぐ小気味良い文章は背中を押す風のようだ。その風に乗って『隠蔽捜査』シリーズの主人公である竜崎伸也が『探花 隠蔽捜査9』でも存分に個性を発揮し、事件の解決に主導的な役割を担う。  活躍もさることながら『隠蔽捜査』シリーズは竜崎の成長の物語でもある点が読者を魅了する。警視庁と神奈川県警の違い。昇進したことによって生まれた役割の違い。不器用な真面目さが印象に残るが、未知を学びと捉えて成長へとつなげる姿に真摯な人間性が垣間見える。  竜

書評 #76|色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

 思うことが多々ある。光と影。白と黒。『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』に限らず、村上春樹の作品には対立が存在する。しかし、それは二分しながらも、同時に一つの何かを作っていたりもする。表裏一体。淡々と紡がれる文章は流麗だ。しかし、そこには血生臭い生命力も感じてやまない。生活感の有無の共存と表現すると平易に聞こえるが、そんな印象だ。  多崎つくるとその仲間たちが作った共同体は社会における個人の写し鏡ではないか。乱れなく調和する親密な場所は美しくも、どこか不自然で脆さ

書評 #57|カルチョメルカート劇場 世界一クレイジーな移籍市場の秘密をすべて教えよう

 セリエAのカルチョメルカート(サッカー移籍市場)にまつわる狂騒劇の数々が『カルチョメルカート劇場 世界一クレイジーな移籍市場の秘密をすべて教えよう』に綴られている。  答えのない問いに対し、クラブ、代理人、選手、記者、時にはレストランの皿洗いやローマ教皇までもが喜怒哀楽に満ちた行動を繰り広げる。駆け引き、罵り合い、懐柔。ナポリ会長のアウレリオ・デ・ラウレンティスや著名代理人であるミーノ・ライオラらが繰り出す二枚舌は極上の油を火に注ぐ。大袈裟かもしれないが、登場人物の多さも

書評 #56|ディエゴを探して

 マラドーナではなく、ディエゴを探す旅。マラドーナは僕にとって神話に近い。驚異的なプレーと同時に、数々の不祥事や奇行によって浮世離れした存在としての印象が色濃い。しかし、本書を読み終え、マラドーナとは異なる「ディエゴ」の存在を初めて知った。マラドーナのルーツであるディエゴ。そのルーツを忘れなかったマラドーナ。だからこそ、この世を去ってもマラドーナはマラドーナとして人々の記憶に生き続けるのだろう。  本書に記された多くの詩的な表現に胸は高鳴る。ディエゴのプレーは「魔法」と形容

書評 #55|蹴日本紀行 47都道府県 フットボールのある風景

 宇都宮徹壱による、四十七都道府県のサッカーにまつわるエグゼクティブサマリー。歴史の要点も丁寧に網羅されている。  筆跡は淡々とし、時に自虐的でもある。しかし、そこには日本列島を踏破した、思いや感情、喜怒哀楽が込められている。山の上から、森の奥まで。比喩ではあるが、時に郷愁さえも感じさせる力がある。それが読者の肌によく馴染む。  筆者は車の運転が大の苦手と言う。しかし、運転しないからこそ、見える風景があり、訪れる出会いがある。取材には数多くの形が存在するだろう。しかし、取

書評 #54|旅する練習

 その文体は軽やかであり、描かれる風景は美しい。心も、眼に映る景色も。  乗代雄介の『旅する練習』はストイックな物語だ。歩く。書く。蹴る。練習の旅は自己を見つめる旅でもある。好きなものがあれば、歩む道は旅となる。風景も色を帯びていく。重ねる一歩に人生が映る。揺らぐ気持ちが強固な意志へと研磨されていくような感覚を覚えた。  ジーコが説いた「忍耐と記憶」。「本当に大切なこと」を見つける尊さと厳しさがこの言葉に凝縮している。書き記された難解な漢字の数々は世界に未知が数多く残され