知りたい思いの片思い

ちらほらと、定年退職される先生の最終講義が開かれるようになってきた。
あまり接したことのない先生だと、もうご定年のお年だったのか、と驚くことも少なくない。

学内の先生の場合はなるべく聴講させていただくが、いつも思うのは、先生の為人やこれまでの人生や教育・研究について、できれば最後の最後でなく、もっと前に知っていたかったなということだ。

なんというか、いい本を読んだときに、もっと前にこの作家さんや作品と出会っていたかった、と思うのと同じような感じで、いつも、これまでなんてもったいないことをしていたのか、近くにいたのになんでもっと早くに知らなかったのだろう、と、悔しく思う。

先生方とは普段業務に関係することでしか会話をしないし、学生と違って教育研究の直接的な構成要員になれない私たちは、かなり遠く感じられるというか、お互いにお互いのことを同じ輪の中には属さない人たちと思っている気がする。事務局職員同士だってなかなか人生を語るような機会なんて望めないのに、ましてそのような関係性の先生が生き方を語ってくれることなんて、取材でもない限りそうそうないことだと承知してはいるのだけれど。

ほんとうはもっと近い人になりたい。
もっと深い話をしたい。
生き方、考え方や、人生のこと、教育のこと、研究のこと、何かへの熱い思いなんかを聴きたい。
もっというと、そういう話をしてもらえるような人になりたい。

それがオンラインでは実現できそうな気がして、そうした思いの一部をここ(note)に託しているところがある。普段語ってもらえないことを知れるんじゃないかという気持ちで、フォローしている人が何人かいる。院生さんとか、先生とか。(いつも読んでます)

ほんとうは目の前の先生方とも、もっと仲良くなりたいのだけど。
だが私は普段あまり自己開示しないから、これはずっと片思い。

まずは先生の論文を読もうと思う。今年はそうする。

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