静と動、水と炎のような。

最近、前の会社のことを思い出していろいろ書いたが、書いたあとで久々に会社HPを見に行ったら、すっかり変わっていて驚いた。いつの間にか別の会社になっていて、社名もトップも出資者も変わってた。
あのころの同僚や上司がどれだけ残ってるかわからないが、3年目の時点で同期は3割くらいしか残っていなかったし、もう私が在籍していた頃にいた人、顔を知っている人は、みんな辞めてそうな気もする。

あんなに辛い思いをしたはずの会社がなくなって、こんなに寂しくなるとは思わなかった。

前職は、メンタルは散々なことになったけれどよくよく思い返すと良かったことも結構あった。仕事へのスタンスとか、何を大事にするべきかみたいなことを教わったのは紛れもなく前の会社で、今の私を構成するのに欠かせないのも確かだ。
好きだった人、尊敬する人もたくさんいた。
そのことはちゃんと憶えていたいなと思う。

特にお世話になったのは、2人の上司で、今日はその2人のことを書いておく。

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研修を終えて、初めて現場に配属されたときの最初のリーダーはHさんといった。病気したせいで常にマスクをしていた。病的なほど、こまやかで、面倒見が良かった。毎日、ほんとうに毎日、フロアで最後まで残っている人だった(深夜1時とか2時とか)。たぶんそうとう神経質で、いろんなクオリティに妥協しない人だったんじゃないかと思う。チームメンバーからお客さんや他部署に送られる大量のメール(CCで全件リーダー入れるようになってた)や、サポート用の掲示板の書き込みには全部に目を通していたし、なにかまずい対応をしていると、ちゃんと指摘してくれた。それも、とてもさらっと。
開発は、フロアに6つくらいのデスクで一つの島を作っていて、各自のデスクはパーテーションで区切られているので座ると誰の顔も見えなくなる。Hさんは、一つ隣の島にいたが、なにか話があるときは自分からふらっと近くにやってきて、パーテーションに寄りかかりながら、「ねぇねぇ、あれさ、」と軽く話しかけてくる。水のように自然に。
Hさんとのやり取りは、いつも質問から始まる。なんでこうしたか、まず聞いてくれた。私の拙い説明を、しっかり聞いたうえで、質問をいろんな方向に広げていって、質問と応答の繰り返しだけで、方向を正していってくれる。しわくちゃのハンカチにアイロンがかかっていくような、不思議な感覚。それが全然嫌味もイライラも感じさせないのだ。あれはすごい。今思うと、Hさんはそうとう根気強く、忍耐強い人で、人を育てることを大事に考えていた人だった。当時のHさんの年に近い年になってきたと思うが、あれを自分ができる気はしない。全く。
Hさんとは、半年くらい一緒に仕事した。

のちに、ラボ替えが何度かあって、担当機能やリーダーが変わっていったのだが、あるリーダーのチームだったとき、私は思うように言葉が出なくなっていって、話せなくなっていった。その症状が出始めた頃、私はマスクをつけるようになった。マスクをしていると、1つ私の前に盾ができる感じがして、守られた感じがして、少しだけ話しやすくなった。それは、Hさんの盾だったのかもしれないな、と思う。

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幻冬舎の見城さんみたいな、情熱とパワーのある人もいた。いつも熱っぽく話をしている人、Yさん。Yさんは、直接私のチームのリーダーだったことはなかったが、部署の統括的なポジションで、これまた全体をよく見ていてビシバシ指導してくれる人だった。
Yさんは情に厚い人だった。私はひょんなことからYさんに気に入られて、よく朝までコースの飲み会につき合わされた。話が面白くて、酔うともっと面白くて、どんどん話の熱が上がるので、つい付き合ってしまう。熱い話を聞くのは、大好きだった。
Yさんは旅行が生きがいで、管理職だったけれども半年に一回は万難排して2週間の海外旅行に行っていた。年20日の年次有給休暇をすべてこれで消化するのだ。行き先はアフリカや東欧あたりが多かったかと思う。そして、絶対誰も買わないような変なお土産や、日本人の口になじまないようなお菓子を買ってくる。無難なんて言葉は、Yさんの辞書にはなかった。
人生、自分のために生きていい、というのは、Yさんから学んだような気がする。

休職あけて復職して、それでもやっぱりだめだとなったとき、私がやめる相談をしたのも、Yさんだった。Yさんは、いろいろ親身になって話を聞いてくれて、それじゃあ辞めるのもしょうがないな、ということになった。リーダーには言っておくけど、と前置きして、最後にYさんは、「リーダー飛ばして自分のとこに来たのは、自分なら話せると思ってのことだろうけれど、それをやられるとリーダーはそうとうショックうけるんだぞ」と、私をそっとたしなめた。私は謝って、そのあと、リーダーにも辞める話をした。Yさんは、どこまでも人情の人だった。

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部署改編や、人事制度の改変があって、楽しい日々は崩れていった。新しいプロダクトの開発に、主力のリーダーたちが引き抜かれていって、部署は一世代若くなった。若手リーダーたちも、かなり頑張っていたと思うけれど、忙しさは拍車をかけて、余裕もなくなって、ギスギスしだした。給与改定でモチベーションを下げた人が多く出たし、転職する人も増えて。そんななか私はすべてを投げ捨てたまま離脱し、辞めてしまった。それが、今では会社までなくなってるとは。

今になって、あの頃の上司たちに会いたい。もう辞めてるかもしれないし、私のことなんてもう、忘れてるかもしれないけれど。

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