動点
年度始め、移動制限や緊急事態宣言が出て、あれはどうするんだ、これはどうするんだ、という戦いを経て、遠隔授業になり、前期の後半から対面に戻って約半年。もう前回の宣言への対応のときの議論や慎重さや対応がどうだったのかをあまり覚えていない。過去の資料や書いたnoteを見返して、そういえばそうだったな、と思う。すべてが遥か遠い昔のことのように思えてならない。
11月ごろから、今年度の終わりに向けての業務と並行して次年度の準備をあれこれ進めている。
いろんな締切を作っては、情報や意見を集めて、折衝し、調整し、決めていく。滞りなく今年度を終えて次年度が迎えられるよう、制度の綻びを補修したり、決めていなかったことを決めたり、過去の約束を呼び覚ましたり、話の行き違いで絡まった毛糸みたいになっているのをなんとかしたりしながら、わからない未来、動点だらけの物事を、とりあえず枠に収めて決めていく。今やっているのはそのようなことで、なんというか、動き回る生き物を次々に捕まえてはケージに入れていくような、そんな気分だ。
動点は、考えれば考えるほど動く。動くものを考えるときは、何かを固定したり仮定したりしないといけない。どうするかといえば、大胆にも、明日は今日と同じと仮定するのだ。そうしないと何も決められない。
来年度がどうなっているかなんて誰も何もわからないが、それでも決めなければ進まないので、この半年の実績から今日に近い明日を想定する。
その「今日」は緊急事態宣言のまだない今日だ。
最悪を想像するのでも、状況を楽観するのでもない。過ぎた今日と似た明日を想定して、来年度のことを一旦決めてしまう。そして考える範囲を小さくする。大学として決めている対応指針の警戒レベルが引き上げにならない限り、今日と同じ明日であると考え、レベルが引き上がったらそのときにまた対応を考える、ということになっている。実際にレベルが引き上がったときは、これまでの対応の経験をもとに手直しして決めていくのだろうと思う。
と言うわけで、来年度については、どうしたってドラスティックな変更にはならない。半年何やっていたんだと、考える時間はあったんじゃないかと、言われそうだけれども、考えることだけを担当する人なんていないのである。考える担当の人は、同時に、日々運用する現場の人でもあるので、当然ほかの業務を持っている。どうやったら今日と同じ明日を担保できるのか、今年の新入生、在学生、卒業生をどうするのか、ということで日々頭を悩ませているのだ。今年度を全うするだけでもけっこうへとへとなところ、かなりの編み込みと作り込みと調整が必要なことを、白紙の状態から組み直すのは実質難しいと思う。
そりゃあ考えられたらいいだろうし、実現可能ないい案があればとても素晴らしいが、二兎を追うことすら無理だと鼻で笑われるのだ。短期間で多量の動点すべてを全方位一斉に押さえるようなことはできないものだろう。一人が二人に分身でもして、相当のエネルギーを投入すれば、まぁ不可能ではないかもしれないが。
やはり、できることというのは、考えていく順番通りに動点を固定していって、ここが決まったから次はここ、というふうに次々に固めていって、少しずつ動く範囲を狭めていき、新たな対応などはそのつど少しずつ組み入れていって、最後には一人ひとりの責任の範囲にまで切り分けられたところで、それぞれができることの範囲内で、考慮したり工夫していくこと。現実的には、それだけ。
これはきっと、他所の大学も、政府や自治体なんかも、みんなそうなのだと思う。
後手後手の対応とか、ほとんど変わらないじゃないかとか、失望されるかもしれないけれど、動点ばかりの大所帯では、そうするしかできないこともある、ということだ。
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