憂心

文科省が何かの大学一覧を出すと、どうしても、「文科省に恭順の姿勢を示した大学一覧」みたいに見えてくる。
最近だと、英語の民間試験の利用とか、全国学生調査の対象などなど。
そんなつもりはない、純粋な情報提供なんだと、文科省は言うだろうけれど。
まぁ、穿った見方をしているという自覚はある。

最近は組織とか政策とか、関与できないところで個人の考え方と違う決定がなされて、それに従うしかないことが多いな、と感じる。
なんの権限もなく、組織とか大きなものの決定に従うだけの立場でいると、意に沿った仕事、精神的に安定した仕事というのがだんだんできなくなってくる。
誰かのためになっているという確信を持って仕事をしたいのに、それが危うくなる。というかほとんどそうではなくなっていく。
上の決定の大筋に賛同できないことが増えて我慢できなくなったら、もう辞めるしかないよな、と、最近では諦めに似た考えに陥りだしている。

ここのところとにかく仕事が嫌で仕方がない。
原因をいろいろ考えていたのだけど、やっぱり、何を決める権限もない、何も求められない、期待されない、ただ言うことを聞いて従うだけの担当が、性に合わないのだろうと思う。

部署全体がやさぐれた感じになっていて、来る話来る話にぶつぶつ文句を言うだけの部署になってきている。
そんな自分も周りも嫌いだ。
みんな学習性無力感に憑りつかれている。
人力の使い方としてこの上なくもったいない。
ほんとうによくない。
でも、どうしたらこの停滞感から抜け出せるのかが分からない。

もっと何かに力を入れて取り組みたい。価値あることをしたい。
上っ面の体裁を整えるだけの仕事が多すぎて、嫌になる。
ほぼ強制的に参加させられる各種制度等に対して、何も口をはさめず、嫌になる。
おかしいだろと思いながらそれを主導したり、不満を持ち続けながら働くのは身体に毒だ。毒とわかっていながら、飲み込まなければならない。
もっと、自分の向かう方向は善なるもので間違ってないって、思いたい。きれいな気持ちで仕事をしたい。
綺麗事かな。割り切れない私は、子どもなんだろうか。

最近ずっと同じ考えでぐるぐるしている。
自分はどうすべきなのか。どうしたいのか。何ができるのか。
このままだとかんたんに腐ってしまいそうで、というか今もたぶん腐りかけているので、こんな自分をなんとかしたい、今日この頃だ。

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