ことばの解像度を下げることも時には必要
余計なアドバイスかもしれないが、ことばを扱う研究をしていたり、ことばに対して敏感で繊細で慎重な人は、就活ではメンタルヘルスに気を付けた方がいい。世界のことばの遣い方によってダメージを受けることになる。
普段から、ほんの一文字の助詞の使い方をあれこれ議論するのに慣れすぎて、そのことに自分では気づかないままに通常モードのまま世間に接すると、ことばに対しての拡大倍率が高すぎて危険である。眼鏡の代わりに望遠鏡を使おうとしているようなもので、ズームアウトが必要だ。
自分の心に厳密に正確に言おうとしなくていい。
細かな場合分けもしなくていい。
常に常にとにかくものごとに深く寄りすぎなので、もう少し引いて見るイメージでことばを扱うこと。
相手によってことばはかなり丸められてしまうが、ちょっと違うんだよなと思っても考え込んだり訂正しようとしたりせず、輪郭があっていればいいことにする。そう思っていないと心が消耗してしまう。
自分の表現が不正確に感じても、相手の受け取り口に合わせて少し粗い解像度にするだけのことで、それは決して嘘をつくことではない。
正確に理解してもらおうとする前に、まず大枠をわかってもらう必要があり、そのためのはじめの一口なのだから、不正確なことばを使っている自分を許すこと。
それから、適性検査やアンケートの質問項目や選択肢の曖昧さと不正確さにいちいち引っかかることもあるだろうが、これも、ぼやーっと見るものだと思って読むこと。
とくに気持ち悪いのが二項対立型の回答欄で、自分の中ではその二項は全く対立しない概念だったりすると、ただただ困惑して回答不能に陥るだろう。わかる。
結果、「どちらでもない」を選びがちになる。でもそれもほんとうは正確に答えるなら「どちらでもない」ではなくて「場合による」とか「そのようなケースが発生しないのでわからない」とかなんだけど、選択肢がないから仕方なく「どちらでもない」を選んでいるのだと言いたくなって時間を消費する。わかる。
解像度を粗く粗く、ズームをかなり引き気味にして、ぼんやりとみること。感度を鈍らせること。
意識してそのようにしないと、フラストレーションがたまって全然答えられなくなってしまう。
世の中と、他人と、ことばの解像度が違うだけのことだ。
そのことに早く気づけばよかった。
私は面接やら適性検査やらが大嫌いだったが、そのことを知っていれば、少しは楽になれたのではないかなと思う。
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