Liberal Arts についての雑駁な思考

仕事柄、教養教育を扱っているものだから「教養」ってなんなのかをずっと考えていて。
別ラインで人生哲学として「詩」のことをずっと考えていて。

そうしているうちに、大学の自由七科がなぜ自由七科なのか、なぜ自由なのか、なぜあの七科なのか、ぽろっとわかったような気がした今日。
そういうことか、と思うけれど、うまく説明はできない。勘違いかもしれない。
ちょっとしばらくもぐもぐしたい。「これ」をしばらくどうにかしたい。

そしてやっぱり思うのは、科目名にとらわれてはだめだということと、羊頭狗肉はもっとだめだということ。
自由七科のほんとうの部分を理解して継承して教養科目を構成しないといけない。そして中身とやりかたが重要。
(あぁだから教養持ってもらうのはその辺理解が深い(だろうと思われている)教授級なんだなと理解する。)

科目とシラバスを眺めると、なんとなく、狙いは悪くなくて設計思想はいい線いっているけど中身ぼろぼろで結果うまくやれてないな、という感触だけがある。
設計はわかる人がやるから悪くないんだけど実装とテストはわからない人がやってて実態はぼろぼろ、っていうよくあるシステムと同じだ。
この軽い絶望感。ここへ来てなんという既視感。
人が入れ替わること、システムを絶えず作り替えることを考えると、ああもうこれ思想の継承なんて絶対無理じゃない?と思う。
どうにかなるのかこれは、と、途方に暮れてしまいそう。

やっぱりみんなちゃんとわかってないとだめだ。わかっててやらないとだめだ。そしてベクトルをそろえなければだめだ。それだけはわかる。それができるかはわからない。何がどうとはうまく言えない。やっぱりもぐもぐするしかない。

いつかうまくまとまったら書きたい。

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